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【始祖鳥の飛行能力について】

2000年3月15日更新

(1)果たして始祖鳥は飛べたのか
 始祖鳥が飛べたか飛べなかったかという問題については、説得力のある仮説があります。
 風切羽のかたちを見ることによって、その鳥が飛べるかどうかが判断できるというものです。(Rietschel, 1985) ダチョウなどの飛ばない鳥の風切羽は羽軸に対して左右対称であるのに対して、飛ぶ鳥は航空力学上の要請から左右非対称の風切羽を持つことが知られています。ならば始祖鳥はどうかというと、かれらの風切羽ははっきりと羽軸に対して非対称のかたちをしていますから、始祖鳥が飛べた可能性はかなり高いと考えることができます。

 また、始祖鳥の頭蓋骨にCTスキャンを行なったところ、始祖鳥の脳は視覚をつかさどる領域が大きく、バランスと空間把握にとって重要な内耳の構造も発達しているなど、現生鳥類に近い特徴をもっていることが判明しています。(→ニュースのバックナンバー)

 その他の証拠からも始祖鳥が飛べたことはほとんど疑う余地がありません。
(2)始祖鳥はどの程度飛べたのか
 しかし、どの程度飛べたかといえば、やはり現生の鳥ほどには飛べなかったはずです。鳥は翼を前下方にうちおろすことで推進力と揚力を得ていますから、この翼のうちおろし動作は飛行する上で最も重要です。このために現生の鳥は、翼をふりおろす大量の筋肉をとりつけるために胸の竜骨突起が発達しています。ところが始祖鳥にはこれがありませんから、翼の力は弱かったということを示しています。ということは、その飛び方は直線的で、旋回するときもゆるい弧を描くようにしか飛べなかったことでしょう。また、着陸速度を低く押さえられないので、走りながら着陸していたのではないかと考えられます。
 また、始祖鳥は地上から走って離陸することができたのかという問題があります。始祖鳥は高いところから滑空することしかできなかったという説があります。大きな理由の一つとしては、始祖鳥が走って出せる推定最大速度(秒速2メートル)と離陸できる速度(秒速6メートル)(Rayner, 1985)の間には『秒速4メートルの空白』があったためです。これに対して、今回シミュレーションをおこなったところ、『始祖鳥は翼の力を積極的に使うことで地上から走って離陸できる』という結果を得られたということでした。(『ネイチャー』1999年5月6日号)(→ニュースのバックナンバー) (Burgers, Chiappe, 1999)

 これらを総合して考えると、飛び立つ前に翼の力も使いながら全力で助走し、空中にあがってからは必死で羽ばたきながら直線的に飛び全力で走りながら着陸する(※1)という飛行スタイルであった可能性が高そうです。

(3)始祖鳥はどのようにして飛んでいたのか
(i)始祖鳥は本当に高いところから滑空していたのか

 始祖鳥は高いところから滑空することによってしか飛べなかったという説があります。これを踏まえてか、復元イラストなどでは高い木にとまっていることが多いのですが、ゾルンホーヘンからは――少なくとも現時点では――ベネチテス類(Bennettitale)などの3mを超えない低木の化石しか出ていません。(※3)(※4)(Viohl, 1985)
 また、樹上生活者であったはずの始祖鳥の脚の構造が、地上生活者であったコンプソグナトゥスのそれに(専門家さえ同定を誤るほどに)酷似しています。さらに後になって、始祖鳥の脚はものを掴むことができなかったことも分かりました。(『サイエンス』2005年12月2日号)(→ニュースのバックナンバー)
 これらの矛盾を抱えているにも関わらず、樹上滑空説が支持されていた最大の根拠は『始祖鳥の翼の力が弱いため』という事実です。しかし、翼の力の弱い飛行生物は、高所からの滑空しかできないと言うわけではありません。(※5)

(ii)脚と言う名のカタパルト

 空中での推力が十分でなかったとしても、初速があれば飛行は可能です。実際、現生の鳥でさえも初速度の9割を脚の力に頼っている、という研究結果があります。(※4)(Earls, 2000)
 当然ながら鳥の種類によって翼の生み出す推力は違うので、その後の加速で差はつきます。しかし出足(初期上昇速度)に関しては、どんな鳥でも条件は脚の力に依存する、ということになります。ならば、始祖鳥の脚はどうかといえば、それこそ小型恐竜並みのたいへん強力なものがついています。始祖鳥や現世の鳥の恥骨が後退していることは、脚を振り下ろす筋肉を格納すべきスペースを確保するためであった、という説明も成り立ちます。
 始祖鳥の飛行能力を干潟における外敵からの緊急脱出用と仮定するなら、水溜りを飛び越せる程度の初速度と滑空能力があれば良いわけです。干潟の水溜りでスタックする外敵を尻目に、始祖鳥は追跡を逃れることができます。

 さらに干潟のような平坦な地形ならば、地面効果を利用して滑空距離を伸ばすことができるという利点もあります。(※5)

(iii)地面効果飛行説

 そして2002年10月、Cork大学のO'FARRELL, DAVENPORT, KELLYにより、英国鳥類学協会の論文雑誌『IBIS』10月号に、非常に説得力のある論文が発表されました。
 始祖鳥が地面効果(※5)を利用した飛行者であったという仮説です。
 (→ニュースのバックナンバー)
 彼らの主張によると、始祖鳥をWIG(※6)と仮定することによって、始祖鳥の飛翔筋が弱い理由、長い尾を持っている理由などが合理的に説明できるのです。

・始祖鳥の飛翔筋は貧弱にもかかわらず、それ以外の特徴は始祖鳥が能動的に飛んでいたことを示している理由
 地面効果を積極的に利用すると最大で筋力の35%を節約できるため、始祖鳥の筋力でも十分浮上飛行することができます。

・始祖鳥の尾羽が長い理由
 地面効果飛行に入る前と後では、揚力の発生位置が大きく変わるため、始祖鳥の長い尾は重心の調整のための水平尾翼として役立った可能性があります。実際、人間の手によって作られた地面効果翼機も、同様の理由から巨大な水平尾翼を備えています。

・低木のみの平坦な湿地に生息していた理由
 ゾルンホーヘン一帯は始祖鳥が生息していた当時は湿地帯(泥干潟)であり、高木の化石は見つかっていません。そのため樹上から滑空していた可能性は考えにくいのです。しかし地面効果を利用して飛んでいたと仮定するならば、この問題をスマートに説明できます。泥干潟の平坦な地形は地面効果飛行に最適です。

・翼竜と共存できていた理由
 始祖鳥よりもはるかに飛行能力に優れた小型翼竜(プテロダクティルス類)が、始祖鳥を駆逐することなく、相当長い期間にわたって始祖鳥と共存していた事実については今まで明快な説明がありませんでした。
 これは地上すれすれを飛行する始祖鳥と、空高く飛行する翼竜とではそもそもニッチの競合が起こらなかったからだと考えられます。


 非常に興味深い論文でしたので、全文を日本語に翻訳してみました。よろしければご覧ください。

翻訳『始祖鳥は地面効果による飛行者であったか?』▼
2002年11月19日翻訳
O’Farrell, B., Davenport, J & Kelly, T. (2002). Was Archaeopteryx a wing-in-ground effect flier? Ibis 144 (4), 686-688

 同様の論文で、始祖鳥をバシリスクのような水面滑走者と仮定し、翼の揚力を体重の補助に使っていたという説です。こちらも興味深いものですので翻訳しました。

翻訳『始祖鳥はバシリスク型の水上走行者であったか?』▼
2009年6月9日翻訳
John J.Videler(2005), Avian Flight, 102-114

(4)始祖鳥の初列風切羽の強度に疑問(2010年5月16日追記)

 2010年5月14日のサイエンス誌に、始祖鳥の飛行能力について、新たな方向から検証した論文が掲載されました。  この論文を執筆したNuddsとDykeは、始祖鳥の羽軸の太さに着目しました。始祖鳥の羽軸の太さを、同様の現生鳥類と比較したところ、以下の結論を得たという内容です。

(a)始祖鳥の羽軸が限性鳥類のものと同じく中空だったら、初列風切羽が折れてしまい、自分の体重すら支えることができない。
(b)始祖鳥の羽軸が限性鳥類のものと違って中身が詰まっていたら、羽ばたきは可能。ただし、諸レでも現生鳥類のものに強度で劣る。

 前者が正しければ、始祖鳥は翼を広げてのパラシュート効果すらできなかったことにあります。(自分の体重で風切羽が折れます。)
 後者が正しければ、従来の説から大きな修正はありません。

 こちらも、全文を日本語に翻訳してみました。よろしければご覧ください。

翻訳『始祖鳥と孔子鳥における初列風切羽の細い羽軸が乏しい飛行能力を示唆する』▼
2010年5月16日翻訳
Nudds, Robert L. & Dyke, Gareth J.(2010), Narrow Primary Feather Rachises in Confuciusornis and Archaeopteryx Suggest Poor Flight Ability , Science 328: 887-889

【注釈】
※1 ゆっくり飛ぶのは楽ではない
 飛行機には出力曲線(Power curve)というものがありまして、ある一点を超えると速度を落とせば落とすほど全体としての抵抗は増えていきます。経済巡航速度以下で飛ぶにはそれなりのパワーが必要です。

※2 低木の化石しか出ていない
 実のところ、ゾルンホーヘンの植物相についての系統だった研究論文は存在しないようです。
 しかし、dinosaur ML のログに記事がありました。

Wellnhofer actually thinks (in the article before this one) that Archie, an insectivorous ground runner capable of perching, lived there and was only blown into the lagoon by "exceptionally strong century storms"...

 引用元: http://www.cmnh.org/dinoarch/2001Apr/msg00763.html
dinosaur ML
 要は『滑空者としての』始祖鳥が止まるにふさわしい高さの木は周囲には存在しないないため、化石となった始祖鳥は嵐によってたまたま干潟に運ばれてきた、というのがベルンホーファーの見解とのことです。しかし、むしろこの事実は『始祖鳥は樹上生活者ではなく、地上生活者であった』ことを示しているのではないかと私は考えています。遠くの樹上生活者が嵐によって干潟まで飛ばされてきたと考えるより、もとから地上生活者として干潟にすんでいたと解釈したほうが合理的です。(Viohl, 1985)

※2007年1月15日追記
※3 トビウオやトビイカ
 実のところ、樹上滑空説は、トビウオやトビイカの存在を見逃しています。トビウオは飛距離にして100メートルから300メートルを滑空することが可能です。つまり十分な初速度があれば、必ずしも空中で推力を維持しつづける必要はありません。

※4 鳥は初期上昇速度の9割を脚の力に依存している
 生態の異なる鳥であるホシムクドリ(Sturnus vulgaris)とウズラ(Coturnix coturnix)の比較をおこなった結果、両種とも離陸時の初期上昇速度の約90%は脚によるものであった、という論文です。
引用元:
 Kathleen Earls
Feb 2000, Journal of Experimental Biology

 かすみ網にかかった鳥が網に取りついたまま飛べなくなるのは、足の力による反動が全部吸収されてしまうためです。

※5 地面効果(Ground effect)
 航空機が地面または水面近くを飛ぶ場合、水平飛行のために要求される推力と誘導効力(induced drag)が減少します。この現象を「地面効果」または「表面効果」と呼びます。要は地面や水面すれすれを飛ぶことによって、より少ない力で飛ぶことができるようになるわけです。
 地面効果影響下では、鳥はその力の最大35%を節約できるそうです。

※6 WIG(地面効果翼)
 地面効果を積極的に利用した翼、またはそれを装備した乗り物のことを指します。原理上、船よりも高速に、飛行機よりも大量の荷物を運ぶことができますが、現状、縦の安定性(機種の上下)が大きな問題であるそうです。地面効果に入ったときと抜けるときで、機首が上下にはげしく振れるためです。対策としては、飛行機の水平尾翼に当たる部分を大きくすることがありますが、始祖鳥の長く巨大な尾羽は、この縦安定に対する解答ではないかと言うのが今回の仮説です。

※7 樹上から滑空する始祖鳥
 非常にポピュラーな誤解で、いまでもよく樹上から滑空する始祖鳥のイラストを目にしますが、現在わかっている限りにおいて、樹上ということはまずありえません。 そもそもゾルンホーヘンには高木はなかったと思われます。当時のゾルンホーヘンは干拓前の諫早湾のような、平坦な汐干潟でした。(Viohl, 1985)