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始祖鳥の生痕(落書き)



第1回『ナナミちゃん』
(名作劇場「七つの海のティコ」より)
1998年1月27日執筆
第2回『ティコ・ジュニアとナナミちゃん』
(名作劇場「七つの海のティコ」より)
1998年5月11日改稿
第3回『ブリーチングするティコ』
(名作劇場「七つの海のティコ」より)
1998年9月18日改稿
第4回『ペペロンチーノ号について』
(名作劇場「七つの海のティコ」より)
1998年12月24日執筆
第5回『ヒカリクジラの骨のこと』
(名作劇場「七つの海のティコ」より)
1999年4月5日執筆

番外・1『普通海賊キャプテンナナミ』 1998年10月18日発掘


『ナナミちゃん』
1998年1月27日執筆

 『世界名作劇場』枠の海洋冒険物TVアニメーション『七つの海のティコ』より、主人公の、ナナミ・シンプソン嬢です。
ナナミ・シンプソン( 似てない(;_;) )  鉛筆で書いたものをスキャナーで取り込んだものです。取り込み前に、ペンくらいは入れるべきだったですね。本来は深海探査用潜水球「スクイドボール」の上に腰を下ろしている構図だったのですが、取り込みの過程で、スクイドボールは取り払ってしまいました。
 それにしても、全然似てません。ごめんなさい。

 さて、本作は『世界名作劇場』枠の唯一のオリジナル作品です。  シリーズ中でもっとも異色の作品ということもあって、歴代の名作劇場ファンのみなさんからは、あまり評価がかんばしくないようです。

 確かに、キャラクターの言動なども類型的、ご都合主義的な面はありましたし、考証的には首をひねる部分も多くありました。
 この作品を楽しんで見ていたわたし自身、あの最終回にはどうしても首をひねらざるをえないのです。結末そのものに触れるので詳細は避けますが、物語の帰趨を超自然的なものにゆだねてしまうような作劇は――いや、超自然的なものはいいのですが、『デウス・マクィナス』を登場させて収拾をつけることは、やはり避けるべきだったような気がします。

 しかし、本作のような物語を当時のブラウン管上で見ることができるというその事実は、わたしにとってそれらの欠点を相殺するにあまりある条件だったのでありました。粗削りではありますが、それが気にならなくなるような、なにものかを感じたのです。

 そうなると、あとはお決まりのコースです。わたしがこの作品のファンになるまでに、ほとんど時間はかかりませんでした。

 わたしは、受け手にとっての物語の価値とは、ストーリー、登場人物、あるいは世界観に、どれだけ感情移入できるかということだと思っています。
 どんなひとでも楽しめる、つまり感情移入のできる、非のうちどころのない作品は、すばらしいと思います。この意味で、作劇や描写にいびつさがある――歴代の名劇作品と比較した場合に余計にそれがめだつ――『七つの海のティコ』は、受け取りやすい作品ではないかもしれません。
 しかし、消化しやすい作品――よくこなれた物語を享受するだけというのは受け手の怠慢です。それはエンターテインメント亡者以外のなにものでもありません。描かれなかったことは想像力でおぎなえばいいのです。ご都合主義と見えたことにだって、深く考えれば重要な意味が見えてくるのかもしれません。そうなれば、少々の描写不足やご都合主義など、能動的に作品に働きかける手掛かりにさえなりえます。
 わたしは、話自体の不整合や、上記にあげた欠点も承知したうえで、わたしはこの作品を評価しています。いつか、こういうお話を自分で描いてみたいと思わされる作品でした。

 さて。
 この機会に、わたしはカミングアウトさせていただくことにします。

 わたしは、この作品のファンだったのです。

 放映中に関連書籍も探しました。
 カバヤのお菓子のおまけのゴム人形も集めました。(※1)
 この作品のLDを全巻買いそろえてしまったことも白状します。

 しかし、このうえに――

『ナナミちゃん萌え~(はあと)』

 などと言いだした日には、『アブないひとクラブに入会おめでとう状態』になってしまいかねないので、今回はこの辺で自粛して置くことにいたします。

【注釈】
※1 カバヤのお菓子のおまけ
 スコットとアルとナナミちゃんとペペロンチーノ号が手元にあります。




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