始祖鳥のさえずり |
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第74回 | 『久しぶりに飛べた』 | 1998年5月1日(金)執筆 | |
第75回 | 『ニューブライトン訓練空域』 | 1998年5月2日(土)執筆 | |
第76回 | 『とりとめもなく』 | 1998年5月3日(日)執筆 | |
第77回 | 『背景をかえてみました』 | 1998年5月4日(月)執筆 | |
第78回 | 『今日のわたしの失敗談』 | 1998年5月5日(火)執筆 | |
第79回 | 『いっぱい更新した日』 | 1998年5月6日(水)執筆 | |
第80回 | 『あと20回で100回』 | 1998年5月7日(木)執筆 | |
第81回 | 『宿酔いの朝』 | 1998年5月8日(金)執筆 | |
第82回 | 『創作圏再突入中』 | 1998年5月9日(土)執筆 | |
第83回 | 『創作モードが続く』 | 1998年5月10日(日)執筆 | |
第84回 | 『話題を追いかける日』 | 1998年5月11日(月)執筆 | |
第85回 | 『イチョウのはなし』 | 1998年5月12日(火)執筆 | |
第86回 | 『所用ができました』 | 1998年5月13日(水)執筆 | |
第87回 | 『前言撤回です』 | 1998年5月14日(木)執筆 | |
第88回 | 『さすらいの詩人・始祖鳥(大嘘)』 | 1998年5月15日(金)執筆 | |
第89回 | 『祝・日記共同体発足』 | 1998年5月16日(土)執筆 | |
第90回 | 『なにもしなかった日』 | 1998年5月17日(日)執筆 | |
第91回 | 『淘汰と相互扶助』 | 1998年5月18日(月)執筆 | |
第92回 | 『今日のフライトはハードだった』 | 1998年5月19日(火)執筆 | |
第93回 | 『霧の日』 | 1998年5月20日(水)執筆 | |
第94回 | 『食品嗜好と遺伝子工学』 | 1998年5月24日(日)執筆 | |
第95回 | 『美食倶楽部』 | 1998年5月25日(月)執筆 | |
第96回 | 『マスターアジっ子』 | 1998年5月26日(火)執筆 | |
第97回 | 『3巻目はコロッケ』 | 1998年5月27日(水)執筆 | |
第98回 | 『味皇料理会コンテスト』 | 1998年5月28日(木)執筆 | |
第99回 | 『姑息な適応』 | 1998年5月29日(金)執筆 | |
第100回 | 『ようやく100回達成』 | 1998年5月30日(土)執筆 | |
第101回 | 『タイレル・P34』 | 1998年5月31日(日)執筆 |
『久しぶりに飛べた』
| 1998年5月1日執筆 |
KUさんのページが久しぶりに大更新されていました。フレームを使わない方式にしたのですね。リブレットでウェブサーフをしているわたしには、とても見やすくてうれしいです。
当生息地に向けてリンクをはってくださって、ありがとうございます。
今月から更新頻度を増やされるとのこと、楽しみにしています。
題記の件ですが、久しぶりに飛ぶことができました。 航法(ナビゲーション)の訓練をしてきました。2時間近くでしたから、200ノーティカルマイルの距離を飛んだ計算です。
わたしが一番好きな項目は、失速回復・急旋回訓練で、ナビゲーションや計器飛行の訓練はあまり好きではないのですが、それでも飛べたことそのものが嬉しいです。
今日はこれからパーティです。ただ、明日もフライトが入っているため、あまり飲まないように気をつけようと思っています。
そういえば、『ファントム無頼』でも、酒宴に出席していた栗原さんが、終始オレンジジュースを飲んでいたというエピソードがありました。
『ニューブライトン訓練空域』
| 1998年5月2日執筆 |
透き通った空、穏やかな風。今日は、絶好の飛行日和でした。
訓練項目は、わたしの大好きな失速回復(STALLING)・急旋回(STEEP TURN)訓練でした。(これはわたしに『好きに飛べ』というのに等しいことでもあります。)
しかも、訓練空域は、クライストチャーチ東の海上にある、ニューブライトン訓練空域でありました。この空域はわたしのお気に入りです。今日も上空からイルカの群れが見えました。
ああ、しあわせ。(*^^*)
今日は久しぶりに自由な空を謳歌した記念に、機体に乗り込んでから飛び立つまでの手順を逐一書いてみることにしました。あまりの面倒さに今まで書くのをためらっていたのですが、今日は勢いがあるのでこのまま突っ走ります。
以下は、セスナ172(以下C172と略す)の発進プロセスです。
まず、ブレーキを固定、フューエルコックの位置が『両側(Both)』にあることを確認。さらにミクスチャー(混合気操作レバー)をリッチ(濃)に設定、キャブ・ヒート(気化器凍結防止装置)をOFFにする。プライマーの固定を確認、無線機のスイッチがOFFになっていることを見て、マグネトーを『両側(Both)』の位置までまわす。そしてメインスイッチをONにし、筒内に燃料を送るべく、スロットルを3回押して戻し、このときにスロットルの硬さ調整ネジが適切なものかを確認する。スロットルはこころもち押しこんだ状態で固定。この時点で、周囲を確認し、マグネトーのキーを『始動(Start)』の位置までひねり、エンジンを始動する。
エンジン始動後、油圧系(Oil Pressure)と吸気計(Suction Gage)が上昇するのを確かめ、1000rpmを保ちつつ、マグネトー系統の右(R)、左(L)をチェックする。 異常なし。無線機(Radio)のスイッチを入れ、トランスポンダのモードを『待機(SBY)』にする。ここで周波数を127.2MHzにあわせる。ATIS――空港の情報サービスである。
『風向は定まらず、5kt以下、雲はほとんどなし、雲の高さは3500フィート、使用滑走路はランウェイ02、QNHセッティングは1022ヘクトパスカル、インフォメーションコードはF(Foxtrot)』
ATISによる上記の項目を聞き取りながら、左手の甲にボールペンで書き留める。(わたしは記憶力があまり良くないのです。)それをもとに、高度計のQNH調整をおこなう。
さて、エンジンがかかったからといって、飛行機はその場で飛び立つわけにはいかない。
すくなくとも、滑走路まで地上を走っていく必要があるのだ。それに、滑走路まで移動するにしても、クライストチャーチのような巨大な空港の場合、無秩序におこなっては大変なことになる。だからこそ、地上管制――グラウンドと呼ぶ――が必要となってくるのだ。
わたしは周波数をグラウンドの121.9MHzに切り替えた。
"Christchuch Ground, Echo Lima Bravo."
送信ボタンを押し、コンタクトを取る。ELB(Echo Lima Bravo)とは、わたしの乗機のコールサインである。
"Echo Lima Bravo, Go ahead."
グラウンドから返信をもらった。わたしはタキシングを要求する。
"Christchuch Ground, Echo Lima Bravo, Request taxi from Cantabury Aviation, QNH1022, Foxtrot"
"Echo Lima Bravo, taxi to Domestic flight, call again when checks complete."
無線が国内線ターミナルまでの移動許可を伝えてきた。
"Taxi to Domestic flight, wilco, Echo Lima Bravo."
復唱(Read back)で答え、ブレーキを外す。機体が滑るように動きはじめた。
ラダーペダルを踏みながら、国内線ターミナル(Domestic flight)までC172を移動させる。今日はほぼ無風状態なので、風上に舵輪を向ける必要はないが、風があるときにはそれなりにエルロンを操作しなければならない。C172の場合、風が前方から来る場合は風の方向に、後ろから来るときは反対方向に操縦桿を倒す必要がある。
クライストチャーチ国際空港の国内線ターミナルに機体を運んだのだが、わたしがいつも好んでチェックをおこなうところには、今日に限ってボーイング737が居据わっていた。737の隣に機体をつけ、チェックを開始する。
ブレーキを固定し、エンジン回転を1700回転に増加する。油圧系(Oil Pressure)と吸気計(Suction Gage)が上昇するのを見てから、マグネトー系統の右(R)、左(L)、両側(Both)とのあいだの回転差をチェック、さらに着陸灯を点灯し、電流計をチェックする。問題はない。キャブヒートレバーを引き、作動していることを確かめてから、スロットルレバーをアイドリングの位置まで戻した。油圧系(Oil Pressure)と吸気計(Suction Gage)の針がしおれていくのを見てから、再度キャブヒートをチェック、再び1000rpmの定常回転に戻してやる。
続いて離陸前のチェックをおこなう。そろそろ筆者が息切れしてきたので、行なったチェックの列挙にとどめる。
T トリム、スロットルのチェック
M ミクスチャー、キャブヒートのチェック
P プライマーのチェック
F 燃料コックと燃料系のチェック
F フラップ動作の確認
I 計器類のチェック、DI(ダイレクションインディケーター)のセット
H 搭乗者のハーネスとハッチがロックされていることを確認
C 操縦系統のチェック(各方向に操縦桿を倒し、舵の動きを肉眼で確認する)
L 周囲の確認
前記の確認を終了した時点で、再度グラウンドにコンタクトをとる。
"Christchuch Ground, Echo Lima Bravo, Ready."
"Echo Lima Bravo, Taxi to Delta, contact tower."
"Taxi to Delta, wilco, Echo Lima Bravo."
デルタ停止位置(ホールディング・ポイント)までの移動許可を得ると同時に、機体を走らせた。停止位置で、無線の周波数をタワー(管制塔)のそれに設定する。118.3MHzである。
"Christchurch tower, Echo Lima Bravo, Ready."
"Echo Lima Bravo, Line up 02."
"Line up 02, Echo Lima Bravo"
タワーからラインナップ――滑走路上に移動せよ、の意である――の指示が出た。今日はやけにスムーズだ。機体を滑走路の中央線まで移動させる。
"Echo Lima Bravo, Approved right turn, Direct to New Brighton Training area, 2500ft or below, Clear to Take-off."
"Right turn, 2500ft or below, Direct to New Brighton Training area, Clear to Take-off, Echo Lima Bravo."
離陸許可を復唱スロットルを全速に押し込む。ヘッドセット越しに爆音が伝わってくる。プロペラの作り出す圧倒的な風圧に抗しきれず、機体が滑走路をすべりはじめる。
機体が加速し、対気速度計の針がはねあがっていく。40ノットあたりから舵輪を引きはじめ、60ノット付近で引き起こすと、機体はしごくあっさりと地上を離れた。
無風状態にもかかわらず、離陸距離が短かったのは、燃料をそれほど積んでいないせいだったかもしれない。
70ノットの速度を保ちつつ、600フィートまで上昇したのちに、右方向に機首を巡らす。数分後、わたしは高度2500フィートの上空にあった。クライストチャーチの市街地を眼下にみながら、わたしはニューブライトン空域をめざして飛んでいた。
次回につづく(嘘)
ああ、疲れました。(^^;
着陸はさらに複雑なのですが、おそらく書くことはないでしょう。
そうそう、当文は勢いで書いたため、明日になると推敲されている可能性があります。(^^;
『とりとめもなく』
| 1998年5月3日執筆 |
厦門の砂布巾さん、お元気でしょうか。
ここしばらく作品の発表も、ホームページの更新もされていないので心配です。
砂布巾さん、ということで連想が働き、世界名作劇場『ムーミン』の話題です。
(『ハイジ』以前の名作枠は、『アンデルセン物語』『ムーミン』『山ねずみロッキーチャック』『新ムーミン』であったような気がします。)
とはいいながら、旧作のムーミンは、スナフキンさんの歌う『おさびし山の歌』と、ムーミンが走るときの効果音しか思い出せません。こまったものです。(だったら話題をふるなよ>始祖鳥)
そうそう、『スノークのお嬢さん』ですが、旧作では『ノンノン』、新作のムーミンでは原語の『フローレン』をそのまま使っていました。翻訳版にならって『おじょうさん』と呼んだ場合、やはり力石徹とキャラクターがかぶるからでしょうか。(かぶらないよ>始祖鳥)
力石徹と『おじょうさん』といえば、白湯を持ってきた白木のお嬢さんの前にして、鬼気迫る飢餓の様相を呈していた力石が、突如としてダンディーさを取り戻すシーンを思い出します。
ここだけの話ですが、わたしは、あしたのジョー(声:あおい輝彦)の声真似が得意なのです。難点は、だれも似ていると言ってくれない点です。なぜだろう。
アンドロー梅田(声:山田康雄)が卒倒するシーンの声真似はわりあい受けがいいのですが、いかんせんキャラクターがマイナーなので、仲間内にしか通じません。
とにかく力石徹は素晴らしいのです。彼の死は悲しかったですが、『宝島』のジョン・シルバーとして生まれ変わってくれたので、良しとすべきでしょう。
出崎監督の『宝島』はわたしの中での冒険ものアニメーションのベスト1です。最新映像の『夕凪と呼ばれた男』に惹かれて、LD-BOXを買ってしまいました。さすが出崎監督はすごい。ガンバのLDも買っておけばよかった。(ひとつめ)
よかったさがしといえば、ポリアンナは(以下際限がないので自粛)
Gガンダムが島本和彦の影響を強く受けているというのは説得力のある意見です。
わたしもキャラクターデザインと第2話のチボデー・クロケット登場の回を見る限りそう感じたのですが、『ミスター味っ子』『ジャイアントロボ』をみるにつけ、『Gガンダム』にあらわれているのは、どうも今川監督の生まれ持った資質のような気がしてなりません。(^^;
知人が『ミスター味っ子と、マスターアジアは(発音が)似ている』という指摘をしたことがあります。そのとき周囲にいた仲間たちは、少なからずショックを受けていました。
琴鳴さんのホームページの"ROBOT MANIAX"に素敵な論文が追加されていました。
とても面白く読ませていただきました。
ここはひとつ、巨大ロボットの操縦方式に、『思考読み取り式』もくわえてやってください。
ジャイアントロボは良いですね。
以下はわたしが大好きなシーンです。
『ジャイアントロボ、スピードアップだ』
『(キシキシ)ま”』 ← 腕の振りがいつもよりスピードアップしている
スピードアップを要求されるような切迫した事態でも、決して『(キシキシ)ま”』を怠らないジャイアントロボは、とても素敵なやつだと思います。
前から思っていたのですが、分散中枢型のロボットならば、それほど複雑な操縦系統は必要ないかもしれません。
またしても生き物の話になって恐縮ですが、生き物の運動の本質は、どちらかというと末梢神経系にあるようです。運動に関して、指令中枢――ロボットのパイロットがこれにあたるでしょうか――はそれほどたいした処理をしていないという証拠が、いくつかあるのです。
【証拠1】ヒトデの場合
ヒトデは中枢らしいものを持っていません。ということは、おのおのの足がてんでばらばらな行動をとっているはずなのですが、すべての足を協調させて裏返しの状態から起き上がることができます。
【証拠2】ゴキブリの場合
トウヨウゴキブリ(Blatta orientallis)の各箇所の足を一本、または二本除去し、その結果変化した運動パターンについて調査した資料(R.A.Hinde, Animal Behavior(1970))が手元にあります。
これによると、足を失っても、なくなった足に応じて運動様式(要は脚の動かしかた)を変えることで、ゴキブリは歩行することができるそうです。
もちろん、脚のはこびかたについての同期を正常の状態でとっていたのでは歩くことはできませんから、なぜ足を失った状態で歩く方法をゴキブリは『知っているのか』という疑問が生まれます。もちろん、「昆虫は、足を失った場合の歩行方法を本能で持っているのだ」というやりかたでも説明はできますが、『本能』に頼るよりも合理的な説明方法があります。
つまり、中枢はただ『歩きなさい』という命令を出しているだけで、実際の細かい足の制御は末梢神経系が行なっている、ということでこれを説明できます。
【証拠3】ヒトの場合
例えば、ヒトが『ものをつかむ』動作を行なうとします。この時にヒトは自分自身の指の腱や腕の筋肉をコントロールしているわけではありません。
中枢は腕や指をコントロールする部位に、『ものをつかむ』という指令のみを送っているのです。
つまり、動物が歩く場合、前後左右の足は『歩く』というパターンのもとでそれぞれ独立して動いているわけです。もちろん、それぞれの足を動かす末梢神経系にはそれぞれのフィードバックがありますから、全体の連携はとれる仕組みです。
この考えをもとに、MITの研究チームが、手は手、足は足で独立して動くロボットをつくり、良好な成績を収めたようです。これは『サイエンス』にも掲載されたはずなので、バックナンバーを辿ればもとの記事が出てくると思います。
つまり、このアーキテクチャに基く限り、操縦者の神経を接続するまでもありません。対象を指定するポインティングデバイスと命令を与える仕組みさえあれば、ロボットは操縦できてしまう理屈です。
命令を与える仕組みは、音声認識でも良いでしょうし、極端な話、ボタンだけでも構いません。ボタンが5個あれば32通りの命令を送ることができます。現代の戦闘機の武器のシステムはこれに近いようです。
こうなると、ロボットのパイロットには、操縦に練達するよりも、むしろ『戦術家』としての資質が重要となるかもしれません。
今日は雲一つない快晴でした。
午前中に空港で航法訓練に関するグラウンドワークを行なったあと、クライストチャーチの東の岬に行ってきました。
今日初めて通ったのですが、本当に凄い道です。崖っぷちを切り崩してつくった道路で、ガードレールはなく、道幅は普通の道路の一車線ほどしかありません。対向車とのすれちがいは一苦労、崖から落ちそうで怖かったです。
とはいえ、足を運んだ甲斐はたしかにありました。
無風状態のなかを船外機で走るヨットを見下ろしつつ、歩きます。海がきれいです。 岬まで歩きつくと、セグロカモメやロック・ピジョンのほかに、ウミツバメの仲間(速すぎて同定できず)やウの仲間(おそらくパイド・シャグであろう)、正体未確認の小鳥(双眼鏡する前にどこかに行ってしまった)の姿も見ることができて、楽しかったです。
今日はこれをメインの話題にするつもりでしたが、おまけのようになってしまいました。
『背景をかえてみました』
| 1998年5月4日執筆 |
先日の飛行機の話題が、lunaさんにご好評をいただけるとは予想していませんでした。嬉しかったです。ありがとうございます。
これからは飛行機関係の話題も充実させていくつもりです。いっそのこと、ぴかさんにならって事典をつくろうかとも思ったのですが、日記に塗り込めたほうが当地の文化(^^; にあっているような気がしますので、今後も日記中心でいこうと思っています。
レートルシリーズというまんが作品があるとは知りませんでした。 第二次大戦下のヨーロッパ、少女とアライグマと飛行機、これらの材料をまとめるのは大変そうですが、面白そうな作品ですね。読んでみたいです。
『超音速漂流』は読みました。かつて航空パニックものが一世を風靡しましたが、空中での極限状況、限りある燃料と時間、地上と隔絶された閉鎖空間としての旅客機は、『絵』としてのドラマを作りやすいのでしょうか。これが船や自動車だと違った話になってしまいますね。
このジャンルの正統派では、『シャドー81』が好きです。
一方、航空パニック映画のパロディである『フライング・ハイ』も捨てがたいです。(^-^)
昔から『パイロットの3割頭』と言われていることですが、地上にいるときには、なんでもない計算や判断が、空中にいるときには、とんでもない難問難題に変わってしまうことがあります。操縦というのはかなり頭(集中力)をつかうものであるためでしょうか。
とにかく、地上でできることは、あらかじめ地上で済ませておくに限ります。
『人間が空を飛ぶということほど不自然なことはない』という言葉はまったく真理だと思うのですが、その反面『人間が空を飛ぶことは、いわれるほど不自然なことではない』という意見もなかなか興味深いものです。
実際のところ、ヒトと鳥のあいだには、かなりの共通点があるのです。
(1)眼が良く、鼻が弱い。
(2)色覚を持つ。
(3)音によるコミニュケーションを得意とする。
(4)物を掴むことのできる手(足)がある。
(5)多くの場合、一夫一妻制をとっている。
※もちろん上記はすべて一般的な話で、例外はたくさんあります。
つまり、ヒトが空を飛ぶことは、少なくともネコやネズミが空を飛ぶほどには不自然ではない、ということも言えなくはないようです。
luna さんの 日記と、ゴールデンウィークで連想した話題です。
件の『銀河英雄伝説』に『ゴールデンバウム朝』というタームが登場します。
これについて知人がいつか話していたことなのですが、これは『サーベルタイガー』『フォルクスワーゲン』『ルパン・ザ・サード』と同程度に気色の悪い言葉だそうです。
正しくは『ゴルデンナーバウム』ではなかろうか、というのが彼の意見でした。
『ルパン・ザ・サード』といえば――全然関係のない話ですが――かの怪盗の名前が、『可憐な雑草』ルーピンと同じ綴りだったことを知り、イメージのギャップにショックを受けたことを思い出しました。
実は、このページは秀丸エディタ(と、そのマクロ)で書いています。
このことには別に信念があるわけではなく、HTMLエディタソフトのかわりに、同じ投資でホームページの素材集と(※1)、HTMLのタグ辞典を買ってしまったためでもあります。
HTMLエディタソフトは、正確な構文を作成できるのが魅力ですね。わたしは、時々<TABLE>構文を閉じ忘れたりしています。(IEではこの間違いがわからないのです。)それに、テーブルのバランスとりや、文字の修飾の手間が、かなり省力化できそうです。こういう点でHTMLの手動入力は、はなはだ非効率ではあるとも感じますし 、本質は『情報を伝える』ことを考えると、それ以外については徹底的に省力化、合理化すべきなのかもしれません。
とはいえ、このホームページは趣味事なので、非合理さそのものを楽しむというのも悪くないのではないかと、開き直っている今日この頃です。
目的と手段について一考。
プロフェッショナルと好事家の違いについてよく引き合いに出される例ですが、F1のパイロットは、勝利するためにそれが有効であると判断したなら、躊躇なくオートマチックトランスミッションを使いますし、プロのカメラマンもオートフォーカスを使います。
これに対して、アマチュアには、マニュアルトランスミッションを愛好する人々も存在しますし、マニュアルフォーカスのカメラをこだわって使う人々もまた然りです。
ものごとを達成する過程にこだわることができるのは、好事家ならではの幸福な特権なのかもしれません。
【注釈】
※1 ホームページの素材集
これを買ったはいいのですが、もったいないことに、いまだ全く使っていません。これの供給媒体がCD-ROMであったため、そして現在愛用しているリブレットがCD-ROMのない環境であるため、結局のところ、手元の素材集は日本に帰国するまで使えないのでありました。間抜けです。
もし2ヶ月後に、当生息地がやたらきらびやかで重いページになったら、『始祖鳥は素材集に手を出したのだ』とお考えください。
『今日のわたしの失敗談』
| 1998年5月5日執筆 |
一歩さんの日記からの話題です。
一歩さん、事故はこわいですね。
予測もしていなかった事態、というものほどこわいものはないです。
確かに『予測もしていなかった事態』を『対処可能な事態』に訓練によって転換することはできるのですが、こと『事故』に関していえば、訓練のしようがありませんし、大変です。(『自分の命をもって相手を倒す究極奥義』を伝授する方法が参考になりそうですが、これらは大抵の場合『究極奥義』なので、おいそれと教えてもらえることはあまり期待できないでありましょう。)
危険を予測することについては、教習所で教えてくれるのですが、事故そのものに対する対処というものは習わなかったような気がします。いざ事故が起こった際、いかにしてダメージを最小限度にとどめるかとか、燃料の引火を防ぐためすぐに電装系を切るとか、水没が予想されるときにはドアを少し開けておくとかいうことも重要な要素のような気もすこしします。
ほんとうに、ご無事でなによりでした。
新谷かおるはいいですね。
比較的、最近のものでは『ガッデム』が良かったです。『ファントム無頼』の神田さんと、『エリア88』でハリアーに乗っていた男の子(キム、だったかな)のコンビを見られます。(^^;
そういえば栗原さんが飲んでいたのはウーロン茶でした。(^^;
オレンジジュースを飲んでいたエピソードもあったような記憶があります。第2巻あたりの、かつてファントムのパイロットだった寿司屋さんのおはなしだったような気がしますが、本が手元にないので確認できません。ごめんなさい。
今日のわたしの事故――ではありませんが、失敗談を披露します。
1時間30分の単独航法訓練を無事にこなし、あとはクライストチャーチに降りるばかり、という時のことです。
クライストチャーチ南のバーナムキャンプ上空で、管制空域内の進入許可を要求したところ、次のような指示が返ってきました。
『EOW、V874空域をインターセプトし、ウェスト・ジャンクションを経由、舗装滑走路02へ直入せよ。高度は1000ft以下を維持。なお、ウェスト・ジャンクションにて管制塔をコールのこと』
『了解』とばかり、指示通りにV874空域内に進入――したのは良いのですが、自分がいったいどこを飛んでいるのかがわからなくなってしまいました。
まったくの晴天の中、よりによってお膝元の管制空域内で機位不明になった(笑)という大失態です。こりゃまずい。これがばれたら、当分の間、単独飛行をさせてもらえないかもしれません。
それに、機位不明になったことは、黙っていればわからないかもしれないのです。このまま飛んでいても自分の位置を再び確認できる可能性があるし、どうしてもわからなければ北上すればワイマカリリ川に突き当たるはずで、そこから海をめざせばよい、という考えが、一瞬頭の中をかけぬけました。
しかし、ここは国際空港の管制空域内、空中衝突の危険もあります。正直に言うべきでありましょう。
『ロスト・ポジション(機位不明)、EOW』
しばし沈黙があったような気がしました。ヘッドセットの向こうから、なかばあきれたような声がきこえてきました。
『進路を北西に取ること。空港を確認できたら管制塔をコールせよ』
この数分後に空港を発見し、無事着陸することができましたが、当然ながら、着陸後、管制塔からお叱りの電話をいただきました。当分の間、単独飛行はさせてもらえないかもしれません。明日も飛ぶことになっているのですが、飛ばせてもらえるかどうか怪しいです。(笑)
結果は翌日の日記にてお知らせします。
『いっぱい更新した日』
| 1998年5月6日執筆 |
今日の更新は充実しています。
『ナショナルジオグラフィック・マガジン(日本版)』へのリンクを追加し、 ジュラ紀の長い午後(雑文)コーナーに日記をリライトした記事を追加、さらに『始祖鳥にひとこと(伝言)』コーナーを新規開設しました。
上の文章はリンクが多すぎて読みにくいですが、とにかく今日は上記の仕事を片づけたわけです。つまり、残るのはこの日記だけである、とこういう次第です。
そうそう、『始祖鳥にひとこと(伝言)』コーナーですが、ただの伝言フォームではありません。
伝言を書き、『送信』ボタンを押してくださった心優しいみなさんに向けて、なんと! 『コロコロコミック』に連載されていた『とどろけ!一番』について書いた文章が表示されるしかけです。
いくぞ、答案二枚返し。
――って、マイナーすぎて引きにならないか。
伝言コーナーの文章は、一週間に1回程度のペースで更新する予定です。
読者の皆さん、どうぞよろしくおねがいします。
luna さんの 日記からの話題です。
休日の帆走、おつかれさまでした。
腕や背中はイメージできますが、足に筋肉痛がでるということは、かなり足も使って操船しているということですね。確かにディンギーのレースの写真をみると、そうかな、という気もしてきます。
オプティミスト・ディンギーという艇種は、全長2mなのですね。驚きました。シーカヤックよりもコンパクトな船なのですね。操作がとても忙しそうです。
わたしにとって、海は非常に興味のある対象なのですが、同時に怖くもあります。
特に小さな船の上から底の見えない水面下を覗き込んだりした場合、妄想がふくらみ、とても心細い気持ちになってしまうことを、ここに白状します。しかし、ヨットには乗りたい、という矛盾した心理状態です。(^^;
2日前の日記で『パイロットの6割頭』と書きましたが、実際のレートはもっと厳しく、正しくは『パイロットの3割頭』であるそうです。該当箇所は修正しておきました。
ううむ、6割でもきびしいのに、使える知能が3割では、もはやなにも残らないぞ。>自分
今日は残念ながら飛べませんでした。
といっても、昨日の行状に原因があるわけではなく、機体が定期点検整備から返ってこなかったためでありました。機体にどこか問題があったのでしょうか。(^^; ちょっと冷や汗です。
下手をすると、明日も飛べないかもしれません。長引くようなら、機種をC172からパイパー・チェロキー140に変えてもらおうかと思っています。
『あと20回で100回』
| 1998年5月7日執筆 |
一歩さん、リンクの不具合のご指摘、ありがとうございます。m(__)m
さっそく当該箇所を修正しておきました。
一歩さんの日記からの話題、お酒のはなしです。
第二話ですが、自家製のワインとは凄いです。メチルには注意なさってくださいね。ここニュージーランドでは、普通のスーパーで『ビール醸造セット』が売られていますが、なんか気が引けて手を出せずにいます。第三話については、わたしも聞いたことがありました。燃えのこりのアルコールが気になるのでしたら、吐くまで飲めば大丈夫です。(^-^)
さて。
●本日の大ヒット
第一話 『桜島の灰つきる地に、幻のカボスギキュウリを見た!』
この話に抱腹絶倒しました。(^-^) オチも見事なサプライズ・エンディングでした。素晴らしかったです。当地の読者の皆さん、このお話は必読です。
いやはや、まさか『とどろけ!一番』の話題にまでついてくるとは思っていませんでした。
さすがは一歩さん、脱帽です。
というわけで、この日記の読者の皆さん向けに、『伝言コーナーのおまけ』のアドレスを公開します。内容は『とどろけ!一番』その他についてです。
唐突に話題が変わりますが、わたしは『川口浩探検隊』シリーズが大好きでした。
あれはエンターテインメントにおける『引き』というものの威力を見事に体現した素晴らしい番組でありました。あの芸風は凄いです。
あそこまで楽しませて貰えるのなら、多少芝居がかっていようと(『多少』どころではないという話もあります)、いつも目的のものが見つからずに夕陽にたそがれようと、もはやそんなことはまったく問題ではありません。
わたしは、LD-BOXが発売されたら買うと思います。(でないと思うぞ > 始祖鳥)
おそらく、わたしと同じ思いを持っているかたがたが、たくさんいらっしゃるに違いありません。
よし、あとで検索をかけてみることにしましょう。
『宿酔いの朝』
| 1998年5月8日執筆 |
宿酔いの朝です。
ここのところ、金曜日の夜にはパブにいくのが日課となっていますが、しかし、昨日は飲みすぎました。
ううう。
一歩さんの日記からの話題です。
かもんたつお はすばらしいですね。
かれのせいで、わたしは『勝手にシンドバット』をまともに歌えなくなってしまいました。
ワインのはなしは一歩さんの日記ログを探してみることにします。
これまた一歩さんの日記からの話題です。
拙文を読んでくださって、ありがとうございます。
わたしは『とどろけ!一番』が好きでした。理由は、『マンガ』としておもしろかったからです。主人公の努力のベクトルは、確かに奇怪に映りますが、読者である子供たちも、そもそもこれが現実のお話だとは思っていないでしょう。(^^;
それに、ある意味では、スポーツ的な勝負ごとはしかるべく『変』で不毛であるともいえます。
例えば陸上競技にしても、より速く走るという目的のために手段をえらばないなら、なにも自分の足で走る必要はありません。『より速く走る』ということではなく、『自分の足で走る』という、手段そのものにあるのですよね。
わたしたちは日々の糧のみにて生きるものにあらず、役に立たないものにはロマンティシズムがあるような気がします。
ですから、『正確さ』が達成されたあとは付加価値を追うようになるということ、つまり『より速く』『より美しく』という方向性を追求するのはしごく道理にかなったような気がします。
身近なところではクオーツ式腕時計(※1)が良い例です。これらは水晶発振子の採用により『正確さ』がほぼ達成(※2)されてしまったため、現在では『デザインが良い』『衝撃に強い』などの付加価値で売っているようなものですね。
そうそう、少年誌から青年誌へと変わりつつあるというお話ですが、最近は子供のマンガ離れの傾向があるようです。ゲームの方がおもしろい、というのが子供たちの弁であります。やはり、インタラクティブ性が魅力なのでしょうか。
少年誌でも、SF的なものは(ブレイクはしませんが)時々登場しているような気がします。
わたしは『アストロノーツ』が好きでした。
10年ほど前に、少年ジャンプで連載されていた『恐竜大紀行』は傑作でした。これは一話完結ものだったのですが、どの話もすばらしいものでした。
日本にいるときは古本屋でこれの単行本を探しているのですが、なかなか見つかりません。神田の古書店街に行けばあるのかもしれませんが、それがどこにあるのか自体をを知らないので、探しあぐねています。
『まいっちんぐマチコ先生』とは、すばらしいチョイスですね。
当時わたしは小学校高学年でした。(だからなんなのだ>始祖鳥)
わたしとしては、永井豪先生の『けっこう仮面』を一押ししたいところです。
作中の主題歌も歌えます。ぐわーっ、けっこう。
luna さんからアーサー・ランサムについての情報提供をいただきました。
ありがとうございます。
宝さがしのお話もあったのですね。『カリブ海』とか『海賊』などという単語を聞くと、読みたい衝動が高まってきます。
アーサー・ランサムの著作ですが、Foxを扱っている本屋さんがないため、あちこちの古本屋を探しています。
わたしの発音が悪いのか(いまだに『Bird』の発音が苦手です)、わたしというキャラクターにアーサー・ランサムのイメージが結びつかないのか、一度で分かってもらえた試しがなく、しかも『扱っていない』というのが決まり文句です。
しかし、どうしてアーサー・ランサムがないのでしょう。図書館にあったのは"THE COOTS IN THE NORTH"だけだったし。英連邦なのに。(;_;)
そうそう、『死人の箱(the deadman's chest)』とか『亡者の箱』というのは、『宝島』などの海賊ものにはよく登場するタームですが、語源はどういうところにあるのか以前から疑問に思っていました。
真相をご存知のかたは、よろしくご教授をおねがいします。
【注釈】
※1 腕時計の付加価値
腕時計ですが、わたしは前面にストップウォッチボタン、上面に気圧計と温度計がついているものを愛用していますが、温度計のほうは全く役に立ちません。気圧計は、空港のインフォメーションよりも、いつも+3hPaほど高いところを表示します。計器としてはあまり役に立たないようです。
AVOSETの航空腕時計が欲しいです。
※2 時計の正確さ
わたしの車のメーターパネルの時計は機械式で、一日に30分狂います。(笑)
この車が作られた時代には、クオーツの技術は一般的ではなかったのでしょう。
そうそう、昔の時計といえば、ここクライストチャーチの週末のフリーマーケットで、昔の懐中時計などの類がよく売りに出されています。
衝動的に一個欲しくなったりするのですが、このうえ骨董品にまで道楽をひろげては収拾がつかなくなりそうなので、いつも寸前で思いとどまっています。時計のはなしはまた別のところで書く機会があるかもしれません。
『創作圏再突入中』
| 1998年5月9日執筆 |
現在、ニュージーランド時間で午前6時(日本時間3AM)、創作モードに再突入中です。あ、電波による交信は可能です。(^-^)
第二次世界大戦中期を舞台に、チリ側パタゴニアに生存しているらしいメガテリウムをめぐって、主人公であるイギリス人古生物学者と、ナチスドイツがるんるんぱっぱする冒険もの――のはずだったのですが、第二次世界大戦中期のチリに関する資料がそろわずに難渋しています。舞台を現代に移そうかとも思ったのですが、そうすると敵役に困ってしまいます。(『輝ける道』などは確かペルーの組織ですね。)困った、困った。
結局のところ煮詰まってしまい、やはり書きかけて暗礁に乗り上げている『1970年代、カナダ・ノーザン・テリトリーを舞台にした恐竜タイムスリップもの(イヌイットの話もかかわってくる)』のテキストファイルをふらふらと開いたりしています。で、やっぱり書けないのです。(^^;
わたしが書くものは、どうしてもエンターテインメントのレベルに達しないのです。
創作されるかたは、ほんとうに偉大ですね。
一歩さんの日記からの話題です。
一歩さんにとっては、かのマンガは『身近で現実的な』ネタだったのですね。
わたしにとっては、『中学に進学するのに受験を要する』という概念そのものがファンタジーでしたから、魔球投手のはなしや、宇宙空間でのサバイバルや、地球滅亡を扱った作品と同じのりで読んでいたような記憶があります。
つまり『とどろけ!一番』は、わたしにとって『他人事だから楽しめる』マンガだったということだったのかもしれません。
どう考えてもおもしろく見れられなさそうな素材を、読ませるものにしてしまう手管は、今考えてもたいしたものだと思います。アニメ版の『ミスター味っ子』のノリに近いかもしれません。もっとも、やはりネタ的に苦しかったようで、最終回あたりは奇怪なボクシング漫画(必殺技が『進研パンチ』でした(^^;)になって終わった記憶があります。
作品における『見せかた(演出)』の力を意識した点で、忘れられないマンガでした。
というわけで、このマンガは好きです。(^-^)
「アストロノーツ」は、史村翔の原作だったのですね。沖 一(おき はじめ)が絵を描いていたのは覚えていますが、これは知りませんでした。
装着感の良い腕時計というのは聞いたことがあるので、すでに売られている気がしますが、いっそのこと、懐中時計にするというのはいかがでしょう。
腕時計といえば、軍用機のパイロットは、飛行中は右手に時計をつけることが多かったようですね。スロットルを握るのが左手、操縦桿を握るのが右手であるためなのでしょうか。わたしの乗っているC172の場合、というより大抵の軽飛行機のスロットルは、機長席から見て右側にあるので、これとは全く逆の位置関係です。
ぴか さんの
日記からの話題です。
浅学にして、マンデルブロ集合はフラクタル図形に包括されるものだと理解していました。両者は違うものだったのですね。
ハヤカワ書房で出ていた『カオス』の文庫本は、『ジュラシック・パーク(上・下)』(わたしにしては珍しく、カタ本を買いました)と前後して呼んだのですが、記憶はすでに馬頭星雲の彼方です。
事典の更新を楽しみにしています。
『創作モードが続く』
| 1998年5月10日執筆 |
昨日、ぴか さんから当生息地1000件目のアクセスのお知らせと、証拠の画像をいただきました。
日頃のご愛顧、ありがとうございます。
←ぴか さんからいただいた 1000件アクセスの画像です。 |
午後6時頃の薄暮の中、飛行場からの帰り道に、自車の左側のヘッドライトが点灯していないことに気付きました。電球のフィラメントの問題か、はたまた電装系統そのものの問題かを判断するため、灯火をハイビームにしたとたん、なにかがはじけるような音とともに、灯火系統が死んでしまいました。点火系、方向指示器とブレーキランプは無事なので、昼間は乗っても大丈夫なのですが、さすがにこの状態で夜間は走れません。
この不具合は、数日前に雨が降ったせいでしょうか。(いや、わたしの車は冗談ではなく雨に弱いのです。)明朝、明るくなってから電装系をチェックする予定です。単純にヒューズの劣化によるトラブルであることを切望しています。(^^;
これから創作モードに突入します。(今まで絵を描いて遊んでいたのです(^^;)
とりあえず今日はここで失礼します。m(__)m
『話題を追いかける日』
| 1998年5月11日執筆 |
今日付けで、AMEQさんのホームページ、『THE GATES OF CREATION』へのリンクを追加しました。
非常に資料価値の高い、硬派のホームページで、特に『SF翻訳作品作家別集成』は、わたしの知るかぎり、質、量においてもっともすぐれたものです。
当地の読者のみなさんはすでにご存知のかたが多いと思いますが、AMEQさんのホームページは必見です。
願わくばエッセイのコーナーも充実されることを期待しています。(AMEQさんのエッセイはおもしろいのです。)
昨日話題にした車の灯火系のトラブルですが、今日調べてみたところ、リレーまわりに問題があるらしいことが判明しました。これから冬に向かって日が短くなるというのに夜間走行ができないのではこまりますし、明日修理に持って行こうと思っています。
昨日描いた絵を一日おいて見たところ、あまりの情けなさにしばし呆然となりました。
あわてて彩色をしたのですが、焼け石に水のようです。とほほ。
水中の雰囲気をだしたかったのですが、付属ソフトでのレイヤーの重ねかたが分からず、結局のところ断念しました。
KUさん、上手にイラストを書く方法、教えてくださいよう。(;_;)
一歩さんの日記、およびぴか さんの日記からの話題です。
フラクタルについての明快な説明、勉強になります。
『構造がリカーシブである』『プログラマブルに記述できるが、マッピング的には記述できない構造』という特徴は、まさに生物のそれですね。
一般にいうフラクタル図形には、どこか有機的なものを感じるのですが、その理由はこのあたりにあるのでしょうか。
luna さんの 日記からの話題です。
宮崎駿氏の番組、ぜひ見たかったです。
サン=テグジュペリの航路とは、『南方郵便機』のそれでしょうか。これの文庫本は今手元に持っています。サン=テグジュペリは大好きです。『夜間飛行』『南方郵便機』などの作品中にただよう、職能主義と行動、そして登場人物の持つ自己超克の誇りが、たまらなく好きです。
雰囲気は全く違いますが、『星の王子さま』も良いですね。
わが妹N嬢へ。
先週の日記が読めないトラブルの報告、ありがとう。さっそく修正しておきました。
ええと、ロスト・ポジションの件でわたしが叱られたのは、教官ではなく管制塔です。――なおのこと悪いという話もありますね。(^^;
それから、小学館の学習雑誌についての情報提供も感謝します。『おはよう!姫子』は、あの当時すでに終了していたのですか。残念です。(何がだ>始祖鳥) しかし、『パンク・ポンク』と『名探偵カゲマン』、『リトル巨人くん』はなんとなく今でも連載していそうな気がするのですが、どうでしょう。
ううむ、今日は話題を追いかけるだけで終わってしまったぞ。
『イチョウのはなし』
| 1998年5月12日執筆 |
電装系の修理に150ドルもかかってしまいました。ううむ。
ここクライストチャーチのハグレー公園には一株のイチョウの木が植えられています。
博物館側からはいってすぐ左に植えられているそれは、残念ながら雄株らしく、ぎんなんは付けません。
生きた化石の宝庫ニュージーランドにも、さすがにイチョウが自生しているわけではなく、これは日本から持ち込まれたものだそうです。しかし、日本のものも、中国から移入された帰化植物らしいと聞いたことがあります。原産地の中国南東部から、鎌倉時代の僧侶によって持ち込まれたもののようです。
イチョウの仲間が繁栄をきわめたのは中生代はジュラ紀、約1億5千万年前のことです。
これと並んで『生きた化石』とされるメタセコイアは、新生代第3紀(約6000万年前)のものですから、その起源の古さではイチョウに軍配があがりますね。
中生代当時のイチョウの仲間は種数、個体数ともに他の植物群を圧倒していたのですが、白亜期末から急速に衰退し、現在記載されているイチョウは一属一種、わたしたちのよく知っている Ginkgo biloba のみです。
学名の Ginkgo はどこに由来しているのか不思議でしたが、よく考えた結果、銀杏(『ぎんなん』ではないほうです。)の音読みが起源ではないかということに思い当たりました。――もしかすると違うかもしれません。(^^;
現在のイチョウは扇形をしていますが、化石イチョウのバイエラやギンゴイテスは扇形に細かい切れ込みがはいっていて、どこかシダを想起させますが、その印象を裏切らず、種子植物としては原始的な性質を持っています。
(1)精虫をつくる(種子植物では、ソテツと並んで例外的な特徴)
(2)栄養器官と生殖器官の区別がはっきりついていない
さて、上記の説明については次回にお話しようと思います。
( このネタで引っぱるつもりらしいぞ > 始祖鳥 )
『所用ができました』
| 1998年5月13日執筆 |
今週末に所用で400km南の町、ワナカまで行かなければならなくなりました。
金曜、土曜、日曜日の連載はお休みとさせてください。
午後に寒冷前線が通過しました。
晴れわたっていた空がみるみるうちに真っ暗になって、豪雨とともに雹が降ってきました。雨やら水飛沫で外の視界はゼロに近かったです。この状態でVFR(有視界飛行)で飛んだら、もはや生きては帰られないでありましょう。
予報で知っていたとはいえ、飛ばなくてよかった。
そうそう、いつも乗っている機体『ZK-EOW』が、エンジン換装で2週間ばかり工場にはいってしまうため、そのあいだ、別の機体『ZK-DEP』に乗ることになりました。
この弐號機(※1)のC172なのですが、計器類のレイアウトがかなり違います。それは特に気にしないのですが、唯一気になるのがフラップまわりです。
フラップの操作系統が、以前カイコウラで操縦したC150型と同じく、
『レバーを押しているあいだフラップが動き続ける(つまり自動的に止まらない)』
というものです。さらに、フラップ角度を表示する計器が壊れているため、肉眼での確認のために、両脇のフラップの支柱にマジックインキで10度きざみのマークが描かれています。
気分は第一次世界大戦のパイロットです。(*^^*)
『素晴らしきヒコーキ野郎』の世界ですね。――『素晴らしきヒィッツカラルド』とは無関係です。念のため。
『人間の土地』は、南米航路のお話だったと記憶しています。当時の飛行機の信頼性を考えると大変なことですね。海を渡らなければならないですし、高々度性能の低いエンジンでの数千メートルの山越えもありますし、かくも長距離のナビゲーションは、自分のベースの管制空域内で機位不明(※2)におちいってしまうわたしには信じられません。(^^;
(滑走路の10マイル手前で行方不明になるなよ > 始祖鳥)
村岡花子訳ですが、『Well now』を『そうさな』と訳したのは凄いと思っています。
マシュウのキャラクターはこれで決まってしまってようなものです。(^^;
名作劇場で放映されたものは、公式には『原書から直接アニメ化した』ということになっていますが、アニメ版も明らかにこの翻訳の影響を受けていますね。
【注釈】
※1 なぜに弐號機
この機体は赤い色をしています。いつも操縦しているEOWは青い機体なので零號機ですね。
※2 機位不明(ロスト・ポジション)の一件
わたしは短距離はともかく、長距離の航法は得意なのです。本当です。近すぎてわからなかったのですよう。信じてくださいよう。(^^;
『前言撤回です』
| 1998年5月14日執筆 |
昨日の日記で書いた所用ですが、今週末は中止となりました。
今週末の日刊連載は平常どおりおこないます。
今日付けで、当ページを Infoseek と goo に登録しました。
登録前にあらかじめ『始祖鳥生息地』で検索をかけた結果、臥龍 鳳雛さんのサイトとAMEQさんのサイトがヒットして驚きました。
さて、当ホームページをよりビジュアルな方向に展開すべく、落書きコーナーを強化することにしました。
なにかいい題材はないかと思案しつつ、おもうままにシャープペンシルを走らせた結果、『ガンバ』のノロイ(のようなもの)、斜め前からみた宇宙戦艦ヤマト、ガンダム、オパビニア、ハルシジェニア、『謎の円盤UFO』のインターセプター、ゲッター1、ゲッター2、グレートマジンガー、ぼのぼの、シマリスくん、ヤッタラン副長、矢吹丈、丹下段平、ダイス船長、コナン、ラナ、『はじめ人間ギャートルズ』のマンモー、ディノニクス、『宝島』のジム・ホーキンズ少年、後ろから見たアルカディア号、要するにぜんぜん役に立ちそうもないもので、ノートの見開きが埋め尽くされていました。
現在、非常にむなしい気分に襲われています。
この過程で、『未来少年コナン』について、以前から不思議に思っていたことを思い出しました。
NHKの本放映時に、かの作品には、コマーシャルのかわりにアイキャッチがはさまれていたことをご存知のかたは多いと思います。
作中の登場人物がスロットのごとくパタパタと切り替わるものなのですが、これに謎の生物が登場するのです。体はピンク色で、顔は赤塚不二夫系のこの生物は一見首長竜にみえるのですが、これは本編に一度も登場していません。
ほかのキャラクターは、コナン、ラナ、ジムシー、ダイス、ロボノイドといった本編に登場するレギュラーキャラクターなので、この謎の生物の正体がいっそう気になります。
真相をご存知のかたがいらっしゃいましたら、ぜひご教授のほどをおねがいします。
そうそう、以前から思っていたのですが、ラオ博士(※1)はほんとうに兜剣造博士(※2)に似ていますよね。
【注釈】
※1 ラオ博士
『未来少年コナン』に登場する太陽エネルギーの権威。丹下段平にちょっと似ています。
※2 兜剣造博士
『グレートマジンガー』の設計者にして、マジンガーZの操縦者、兜甲児の父親でもあります。公式には事故で死んだことになっていましたが、10年のあいだミケーネ帝国の侵略に備えて、ロボットを建造し、パイロット(剣鉄也)を育成していたのだそうです。つまり、彼にとってはミケーネ帝国のみが重要で、世界征服を企むドクターヘル(前作『マジンガーZ』の仇敵)の所業については見てみぬふりをしていたらしいのです。なんだかなあ。
『さすらいの詩人・始祖鳥(大嘘)』
| 1998年5月15日執筆 |
フロッピーディスクの整理中に、2年前のワナカ(クライストチャーチから400km南の町)在住時に綴った、リリカルな小文(笑)を発見しました。今日の題目はこれでいきます。
なお、文章が松本零士先生の『巻き物』のイミテーションに見えるのは気のせいです。
リリカルな小文その1
((@)-------------v--------------v----------((@) \ / \ / || 天地万物の宇宙の真理として || || マグロはツナ缶にするよりも || || 刺し身で食べるほうが旨いと決まっている || || だがここの人々は生の魚は食べない || || || || 今度日本に行ったときには || || マグロの刺し身をたらふく || || 食べてやろうと始祖鳥は思う || || || || しかし今は牛肉を食べつづけるのみだ || / \ / \ ((@)------------- -------------- ---------((@)【解説】
リリカルな小文その2
((@)-------------v--------------v--------((@) \ / \ / || 男が消えてしまったデータのために || || 涙を流しても || || それは弱いことでも || || 恥ずかしいことでもない || || 単なる馬鹿だ || || || || こんなことなら前もってバックアップを || || 取っておけば良かったと始祖鳥は思う || || || || しかしそれはもう後の祭りだ…… || / \ / \ ((@)------------- -------------- -------((@)【解説】
リリカルな小文その3
((@)-------------v--------------v---((@) \ / \ / || 日本でもNZでも山を登るときの || || 原則に変わりはない || || || || しかしNZの山には無数の家畜がいる || || 糞は避けて通れない || || 始祖鳥は糞にまみれた登山靴を || || 見て泣いた…… || / \ / \ ((@)------------- -------------- ---((@)【解説】
その結果、愛用の登山靴が(※1)牛糞まみれになってしまい、悲嘆に暮れている心情を歌ったのがこの作品です。
いやあ、2年前の自分は、まさに他人ですね。(笑)
【注釈】
※1 登山靴
もちろん、この登山靴は今も愛用しています。
『祝・日記共同体発足』
| 1998年5月16日執筆 |
昨日付けで、ぴか さんの立案により、日記共同体(命名・luna さん)が発足いたしました。
めざせ、通貨統合。(なんか勘違いしてるぞ > 始祖鳥)
一歩さん、ぴか さん、luna さん、そしてわたしからなるこの秘密結社は、群体として行き詰まったホームページ(行き詰まっているのはお前だけだ > 始祖鳥)を人為的に補完し、進化させる目的に基いて結成された――わけではありませんが、ネタの相互補完という意味において、一番得をするのはわたしのような気がします。
当生息地がネタの心配なく操業できるのは、ひとえにみなさんのおかげです。
今までありがとうございました。そして、今後とも、どうぞよろしくおねがいします。
こういう試みは、掲示板やニフティの会議室的とはまた違ったおもしろさがありますね。
掲示板やパソコン通信のコミュニケーションがシリアル(直列)な印象を受けるのに対して、WWWは情報の展開がパラレル(並列)である印象を受けます。
管理者が自分なので、図版を埋め込める、フォントやレイアウトを自由に設定できるというのも利点ですが、WWWの最大の長所はリンクの自由度にあるような気がします。 リンクを有効に利用することで、ひとつの情報が数倍の価値をもつ、というのは興味深いです。
これはやはり知的産業革命なのかもしれない、などといまさら『プレジデント』の見出し(※1)のようなことを考えてしまう今日この頃です。
図書館で児童文学コーナーでアーサー・ランサムを探っているときに、ジョナサン・ケープ製のカタ本を発見しました。オレンジ色に地図をあしらった格好良い装丁でした。
しかし、書名がおもいだせません。(^^;
ツバメ号とアマゾン号のシリーズであったのは確かです。
ぴか さんのところにねずみ講まがいのメールが届いたというお話に関連する話題です。
わたしは、ねずみ講に参加するひとの思考と論理に、なかなか興味を覚えていました。
たとえば、第1世代50人がそれぞれ50人の第2世代から利益を受けるとすると、2500人が必要です。2500人の第2世代がそれぞれ50人から利益を受けるとすると、第3世代に必要な人数は125000人となります。この計算で、第4世代は625万人、第5世代は3億1250万人、第6世代にいたっては地球の総人口の3倍に近い、156億2500万人となり、もはやガニメデ星人のご登場を願うほかなくなってしまいます。(^^;
ねずみ講の参加者たちは、地球の人口も資源も環境も有限であることをすっかり忘れているのか、あえて気付かぬふりをしているのでしょうね。
一歩さん、不具合の原因がわかってよかったですね。
現象が複雑怪奇な不具合ほど、得てして単純な原因であることが多い気がします。 『泣き笑い』、というのは至極道理にかなったもののようです。『笑う』という表情は『泣く』動作が中断されたものだということを聞いたことがあります。表情をつくる筋肉の動きを分析した結果、わかったことだとのことです。
今回は『笑い』がなぜ進化したかについて一考してみようと思います。
『笑い』は知的意味で『高級』な感情です。
『泣く』という行動には
『精神的不快』と『苦境』を外部に知らしめるということで、同種からの扶助を得やすくする、引いては遺伝子生き残りの確率(生存価)が高くなるというメリットが考えられるのですが、『笑い』はその意味で不可解です。
人似機械としてのロボットが『悲しみ』の感情を持つのは、『笑い』を持つよりもはるかに容易でありましょう。
さて、ここで動物の行動を以下のように分類します。
生得的行動(本能) | 判断をともなわない固定された行動系 |
快・不快知覚行動(感情) | その場、その瞬間において もっとも合理的な判断をおこなう論理系、およびコミュニケーション系 |
論理異存行動(理性) | その場、その瞬間のみならず、将来も考慮したうえで もっとも合理的な判断をおこなう論理系、およびコミュニケーション系 |
『泣く』『笑う』という行動は、どうやらこのうちの『快・不快知覚行動』に含まれそうです。
この感情が進化する仕組みについて、淘汰の面から考えてみます。
(1)異種間淘汰によるもの
これを具体的に言うならば、『笑う個体は捕食を免れる』『笑う個体はより多くを捕食できる』ということでしょう。
(2)同性間淘汰によるもの
言いかえれば『笑うことがオス同士の闘争に有利に働く』ということですね。
ゴリラやセイウチなどの、オスの体が巨大な生物、シカのようなオスだけに角が生える(トナカイのような例外はありますが)生物の進化を説明する理論です。
(3)異性間淘汰によるもの
これは『笑うオスはメスに好んで選択される』ということでしょう。孔雀のオスのかざり羽の進化は、これによって説明されます。
(1)は可能性としてあまりありそうではありません。笑うことによって食物を得たり、捕食者から逃れることができるとは考えにくいですね。
また(2)(3)についても強力な反証があります。それは、ヒトの笑いに『性的2形』が存在するようには見えないことです。同性間淘汰、異性間淘汰が存在する動物は、雌雄の形態、性質が変わってきます。しかし、ヒトの『笑い』に関してはこれはなりたちません。笑いが男性のみに存在し、女性には存在しない(または弱い)感情である、またはその逆、ということがあるなら話は別ですが、やはり自然淘汰では『笑い』の起源は説明できないようです。
ならば、笑いは『淘汰』ではなく、社会性動物としての相互扶助にその因をもつのかもしれません。
赤ん坊が『笑う』こと、そして成人がそれに対して受ける印象をかんがえると、赤ん坊に擬態することで『自分は無害である』ことを示すことができる可能性があります。『微笑み』に代表される笑いがそうかもしれないですね。
ただ、内部からわきあがってくる類の衝動的な『笑い』はやはり説明が困難です。これは、動物行動学よりは、文化人類学や哲学の守備範囲かもしれません。
【注釈】
※1 『プレジデント』の見出し
いわゆる『徳川家康に学ぶ情報戦国時代の生き方』とかいうセンスですね。
わたし、東スポの見出しのセンスもなかなか好きであります。
『なにもしなかった日』
| 1998年5月17日執筆 |
一歩さん、『ジャノメミシン』とは懐かしいですね。
『ぶらざあ』は電子タイプライターを作っているようです。
結局最後まで出てこないで『世の中そんなに甘くない』というオチを恐れていたので、登場してくれたところで安堵の溜め息をつきました。(^^;
((@)-------------v--------------v-----------((@) \ / \ / || 天地万物宇宙の真理において || || 一歩さんの渾身のギャグはおもしろかった || || || || しかし || || || || ランプというよりきゅうすに見えるのは || || 気のせいだろうかと始祖鳥は思った…… || / \ / \ ((@)------------- -------------- ------------((@)
今日は一日中何もせずにいました。
じつは、今日、マリーナまで行って飛び入りでヨットに乗せてもらおうと思っていたのですが、朝方の放射冷却による冷え込みが激しく、起き苦しい(日本語が変だぞ > 始祖鳥)状態だったので、結局暖かくなるまでシュラフの中で読書です。
鳥の観察に行くのも気が進まず、日がな一日、ミルトンの詩集を読みながら、ベランダでパイプをふかしていました。晴天の週末を何もしないで過ごすのは久しぶりのことです。
庭にハウス・スパロー、ヘッジ・スパロー、クロウタドリ、ホシムクドリが、かわるがわる姿を見せます。庭に植えたコスモスの花から、ミツバチやマルハナバチが蜜をあつめていました。
((@)-------------v--------------v-------((@) \ / \ / || あたたかい秋の日差し || || 庭にコスモスの花 || || 大柄で気のやさしいマルマナバチが || || ペイロードいっぱいの花粉を取り込んで || || ふたたび飛んでいった || || || || いったい || || どこから来てどこへ行くのだろう || / \ / \ ((@)------------- -------------- --------((@)
『淘汰と相互扶助』
| 1998年5月18日執筆 |
今回の演目はluna さんの 日記からいただいた話題、『淘汰』と『相互扶助』についてです。
数年前に、アメリカの砂漠からティラノサウルス・レックスの完全な標本が数体発見されました。研究者が『スー』と名づけられた一番大きなメスの個体を調べていたところ、足を骨折して、それが治癒した痕跡が見つかったのです。
つまり、足を骨折して動けない状態にいたであろう彼女に、少なくとも足が治癒するまでのあいだ、何ものかが食料を運んでいたということにほかなりません。
キツネやオオカミ、イルカなどにもこの種の行動は見られます。自然界が『淘汰』のみによって動いていると仮定した場合、こうした相互扶助関係は不可解です。足を怪我した動物はいうまでもなく『弱者』です。本来淘汰されるべき、しかもみずからのライバルになり得る『弱者』をなぜ救わなければならないのでしょうか。
なぜ、ということであれば、それが彼らにとって利益にかなうからにほかなりません。
キツネのようなつがいで狩りをする動物や、オオカミのような組織的な狩りを行なう社会性動物の場合、相互扶助は重要なファクターのひとつです。
つまり『ライバルが減る』ことによる利益よりも『仲間が減らさない』ことによる利益が上回る場合、それが傷病個体に餌を運ぶという行動となってあらわれるわけです。
さて、ヒトの場合はどうでしょう。
ヒトの社会は競争原理によって機能している面はありますし、曲解されたダーウィニズムや優生主義が、それを合理化するためにしばしば引き合いに出されます。これは一見論理が明快であり、自然界の法則に乗っ取っているように思えるかもしれません。
しかし、これらの主張には決定的な破綻があります。ヒトは『社会性動物』であるという点を(知ってか知らずか)考慮していないのです。
たとえば、多くの文化圏において、殺人(同族殺し)は罪になります。
自分と活動場所が競合するライバルは、片っ端から格好よく抹殺していったほうが、個体の利益にはかなうはずであり、これこそが『淘汰』というべきものですが、ほとんどの人はこのようなことはしません。
同種を殺すということは、自分が同種からの相互扶助を受けられなくなることを意味しています。いいかえれば、殺人をおこなうということは、他者に殺されることを容認することでもあります。これは社会性動物としては致命的です。この個体は、短期的には利益をおさめますが、社会性動物であるかぎり、長期的には大きな不利益をこうむるはずです。
第二命題として、『相互扶助は種を弱体化させるか』という点について考察します。
種そのものの『弱体化』という概念はじつは曖昧なもので、強弱の基準をどこにおくかで全く変わってきます。
たとえば、樹上生活について考えるのなら、『ヒトは後ろ足の指が対向していないし、尻尾が退化してなくなっているから、クモザルに劣る種である』ということも言えますが、こんな発言をする生物学者は聞いたことがありません。
『ヒトのヒトたるゆえんは知能にある』というならば、絶滅したヒトの亜種、ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)は、現代人よりも大きな脳容積を持っていました。しかし、『現代人は知能の点でネアンデルタール人に劣るから、現生人類を滅ぼし、ネアンデルタール人を復活させるべきだ』という意見にはいまだにお目にかかったことがありません。
むしろ『ネアンデルタール人は脳容積は大きかったが、知能は現生人類に劣っていた』という説明をしばしば耳にします。絶滅人類の知能をはかる方法などあるわけがなく、彼らが同時代の現生人類に劣っていたという証拠はどこにもありません。かれらの埋葬あとに(献花されたであろう花の)花粉が発見されたというのも有名な話です。これはかれらが『死』に対する観念をもっていたことでもあります。あるいは『神』の概念すら持っていたかもしれないのです。
『絶滅した』という結果からすべてが帰納されていますが、生き残るためには狩りをするのに必要十分な知能と体力があれば良いわけです。むしろ、脳のような大量のエネルギーを消費する器官は小さいほうが、少ない食物で生き延びることができます。つまり『クロマニヨン人(現生人類)は知能が低いゆえに生き延びた』というあまり愉快ではない仮説もなりたちます。
これは以前某所で書いた記憶がありますが、ニグロイドに多く見られる遺伝病で『鎌形赤血球性貧血症』という症例があります。
赤血球は本来凹型の円盤状をしていますが、この症例の赤血球は三日月のようなかたちをしています。この症例が重度の場合、正常な酸素交換が妨げられ、臓器疾患で死んでしまうと聞きます。このような致命的な遺伝子は淘汰されつくしてしかるべきです。事実、ニグロイド以外の人種ではこの症例はほとんど(もしくは全く)存在しないと聞きました。しかし、予想に反することにこの遺伝子は、アフリカ由来の黒人層には高い頻度で存在します。
詳しく調査したところ、鎌形赤血球をもつ個体はマラリアに対して強い抵抗力があることが判明したそうです。つまり、貧血の危険を代償にして、マラリアが蔓延する地での生存確率が増すいうことのようです。これは果たして『遺伝病』でしょうか。それとも『有利な形質』でありましょうか。
ヒトの進化の方向性がわかっていない限り、いや、たとえわかっていたとしても、どの形質が優れていて、どの形質が劣っているなどとは、誰にもいえないのです。
特殊化、遺伝子の均一化が進みすぎた生き物の仲間は哀れです。かれらはその特化した環境においては無敵ですが、環境の変化に対しては無力に等しく、新たな種の系列を生み出す可能性もわずかです。
生物にとっては、むしろ『遺伝子の均質化』こそが『弱体化』であるのです。ほんとうに人間の種の可能性を考えるのなら、全ての遺伝子要素を残しておくのが最善の方法でありましょう。
前記のような理由から、曲解された『淘汰』を人間社会に無批判に持ち込むのは避けるべきではないかと思っています。
多様性を否定する考えは、それこそが『淘汰』されるべきだというのがわたしの考えです。
一歩さんの日記からの話題です。
異性間淘汰によって『笑顔が素敵』な遺伝子が増えていくという命題ですが、『笑わないでなおかつモテモテの男性』が存在した時点でこの仮説は崩壊します。(^^;
異性間淘汰、同性間淘汰ではまずありえない、という証拠もあります。
これらの淘汰の場合には、『選ぶ側には淘汰圧が働かない』という大原則があり、選ぶ側であるメス(例外はありますが)には淘汰圧が働きません。
シカのオスには角があり、体躯もメスの5割増しほどもありますが、これはオス同士の闘争、メスの嗜好などによってつちかわれたものです。しかしこの種の淘汰はあくまでも『選ばれる側』に働くものであり、選ぶ側であるシカのメスは、種の原始的な状態(『劣っている』という意味ではなく『変化する前の』という意味です)をとどめています。
異性間、同性間淘汰によって発生する形質は、雌雄のそれで異なってくるのが普通です。つまり『笑うのはオスだけ』(またはその逆)ということであれば、命題は成り立ちますが、そういう事実がないところから判断するに、可能性はきわめて薄い、というのが結論のようです。
一歩さんの発言でふと気付いたのですが、『笑い』とは『希釈された狂気』なのかもしれませんね。笑っているとき、わたしたちは狂気のふちにいるのかもしれません。
伝言コーナーに新しい文章を追加するのをすっかり忘れていました。ごめんなさい。 というわけで、『みなしごハッチ』に関する、わたしの幼き日のとっておきの恥ずかしい話(もう時効だから良いでしょう)を執筆中です。
ああ、受けを取るがために身を削っているような気がしてならない今日この頃です。
『今日のフライトはハードだった』
| 1998年5月19日執筆 |
luna さんの 日記からの話題です。
昨日付けの拙文について、『本能や学習と、簡単に呼べないのではないか』というご指摘をいただきましたが、これはわたしの意図したところではありません。すくなくとも、文中でも本能や学習という類の言葉はまったく使用していないのですが、おそらくわたしの文章にはそう解釈できるあいまいさがあったのでしょう。(後学のために、どの箇所でそうお感じになられたのかご教示くださればさいわいです。)
不明瞭な文章をお詫びするとともに、論旨を明快にする点、次回から注意いたします。
あらためて、昨日の日刊連載の要点の再掲です。
【前段の要約】
社会性動物の行動は『淘汰』の概念のみでは説明することは困難である
社会性動物にとって『相互扶助』は重要な要素である
【後段の要約】
ヒトの形質の、なにが優れているかということは誰にも決められない
遺伝子の多様性がうしなわれ、均質化することこそが『種の弱体化』である
不明瞭な論旨について、あらためてお詫び申し上げます。
さて、動物の行動において、いわゆる『線引き』がなされるのは『これは助からない』あるいは『これを助けることは利益にかなわない』と判断したときです。判断の基準はにおいであったり、動きであったり、それは種によって各種様々です。(※1)
ところで、社会性動物が他者を助けるのは、その行動が個体自身の利益にかなうからにほかなりません。本人に利益に関しての自覚が無かったとしても、他者を助けた個体は、他者に助けてもらう可能性が増えるため、このような行動をする個体は増えていくことになります。相互扶助の原則とは『他者を助けることで自身を助ける』ということになります。
さて、これらの特性がヒトにもあてはまるものと仮定すれば(この種の一般化は危険ではありますが)、相互扶助が社会性動物としての特性である以上、やはりその人の社会とのかかわりかたによって決まるのではないかと考えています。
いいかえれば、その人の社会的立場、あるいは親身になってくれる親兄弟、親族、知人、『その人に生きていて欲しい』と願うひとがどれだけいるかということによって『線引き』はなされるのでしょう。
ご質問の意図が、文化人類学的、社会学的、法医学的、あるいは人道的な見地での『線引き』にあるのでしたら、的外れになってしまいますね。申し訳ありません。
luna さんのご意見はもっともだと思います。他者など所詮わかるはずもないのだから、理解しようとする努力は所詮空虚なものであるといえます。したがって、これを『五十歩百歩である』と一蹴されるのもひとつの考えではあります。
ただ、わたしはどちらかというと『五十歩と百歩はちがう』という考えかたのほうが好きです。
他者に五十歩近づくための、洞察力と想像力(※2)が、わたしは欲しくてたまりません。
一歩さん、その理論はお見事です。未来のことだけに、誰も否定できません。(^-^)
しかし、TVアニメーション『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する『綾波レイ』のようなキャラクターが好評を博している現状を考えると、この特性強化は相殺されて立ち消えになってしまうかもしれない――と思ったのですが、よく考えると異性間淘汰はメス(というより選ぶ側)には働かないという原則があるのでした。(^^;
というわけで、『男性はむっつりしているが女性は今と変わらない』という結果になりそうなのですが、いかがでしょうか。
【注釈】
※1 動物が他者を助ける判断基準
これについては母ヤギと2頭の仔ヤギを使った実験が有名です。
1頭は健康、1頭は病気の仔ヤギを持つ母ヤギは、病気の個体に対して優先的に世話をしますが、ある限度を超えてしまうとその仔ヤギを放棄してしまいます。
この『線引き』の基準に付いて調査した結果、病気の仔ヤギの目を布で覆ってしまうと、母ヤギはその仔ヤギに対して無関心になることがわかったそうです。
ヤギの場合、『線引き』の基準は、病気の個体の『目が閉じっぱなしでいるか、そうでないか』ということのようです。
※2 洞察力と想像力
他者(他の事象)を理解する必要がなければ、洞察力と想像力はまったく無用の能力のような気がしてならないのです。
『霧の日』
| 1998年5月20日執筆 |
今日の訓練時間の一時間くらい前のこと、良く晴れていた空にみるみるうちにもやがかかり、滑走路の向こう端が見えないくらいの霧になりました。
クライストチャーチ空港はVFR(有視界飛行)閉鎖です。
これはだめだと思いつつも一縷の希望をこめて、CALの待機室でコーヒーを飲んでいたところ、いつのまにかわたしは世間話大会の渦中に巻き込まれていました。(つまりみんな飛べないので暇なのです)
というわけで、オーストラリアの農薬散布パイロットと話していたときに、たまたまどのくらいの高さから撒布を行なうのかの話題になりました。
『撒布高度は10フィート(約3メートル)位かな』
思わず口元まで運んだコーヒーを吹きそうになるわたし。
念のため、ききなおしましたが、あくまでも10メートルではなく、10フィートだそうです。10フィートといえば普通の部屋の天井くらいの高さ、なにげなく旋回をしたら簡単に失う高度です。さらに、この地上10フィート(約3メートル)をGS(対地速度)60ノット(毎時108km)で、飛び回るのだ、とかれは言っていました。
こういう作業をホバリングのできるヘリではなく、固定翼機でやってしまうことに驚きました。確かにコストの面でいえば固定翼機はヘリの3分の1ですむわけですから、需要はあるのでしょう。
それにしても、わたしは農薬散布の固定翼機パイロットには絶対になれません。(^^;
わたしの昨日の日記ですが、luna さんの意図されるところを誤読し、頓珍漢な文章を書いてしまいました。
luna さん、および読者のみなさまにお詫びを申し上げます。申し訳ありません。
共通認識や普遍性というものはどのようなもののか、わたしの考えのどの部分が固有の(他者と共有していない)もので、どの部分が普遍性を持っているものなのかということは、非常に興味のある所です。文化人類学とはほんとうに魅力的な学問ですね。
ヒト対ヒトで少しでも理解をしようと思うのなら、これまた不完全な言葉を尽くすしかないわけですが、これが動物相手になるともはや絶望的な気持ちになることがあります。
その行動や生理特性、習性や生息環境などの知識を総動員し、洞察力や想像力で欠落をおぎなうしかありません。理解するということはおそろしく遠い道のりだと思っています。
lunaさんも、ぴかさんもご指摘されていましたが、『理解』が簡単に成り立つという発想は不思議ですね。そのひとにとって世界が閉塞している、あるいは相手を理解することに時間と労力を割いたことがないのなら別ですが、やはり不可解です。
『相手を理解する気はないが、自分のことは理解してほしい』類のかたには時々出会うことがあります。わたし自身がそうなっていないことを祈るばかりです。
ぴか さんの 日記から、『正義』についてです。
『義』という概念は東洋古来のものだと思いますが、『正義』というのはどこか不自然さが漂う日本語ですね。明治時代あたりに『justice』の翻訳語として発明された言葉ではなかろうか、とさえ思います。
さて、英語の『justice』の意味を調べてみると、司法、裁判官、治安判事といった言葉が並んでいます。『just』で英和辞書を調べてみると『公正さ』という解説が載っています。これは、どうやら『遵法』と切り離せない言葉であるようです。
この語義を解釈するなら、『遵法』にそぐわないもの、あるいは独善的な要素を含むものは、本来の『正義』ではないということなのでしょうか。しかし、ウルトラマンや仮面ライダーが法律にのっとって戦っているようには思えないのです。しかも、あまり『公正』であるようにも思えません。つまりかれらは『正義の味方』ではないという結論になってしまいます。
しかし『司法の味方』『遵法のヒーロー』では、なんか警察官みたいですね。
『食品嗜好と遺伝子工学』
| 1998年5月24日執筆 |
日刊連載復活です。復活一日目ということで、今日はライトな文体でいってみようと思います。
一歩さん、ご心配をおかけして申し訳ありません。
この数日間なにをしていたのかは、ひ・み・つ。(はあと)
一歩さんの日記からの話題です。
クジラの肉は今でも調査捕鯨でとれたものを食べられるので(※1)、わたしはお考えにはあまり魅力を感じません。
それよりもわたしはマンモスの肉を食べたいぞ。
ロシアの氷付けマンモスから遺伝子再生して(※2)、骨付き(※3)のまま丸焼きにして食べるのだ。
遺伝子再生した、オーロックスのステーキ、ケンタッキー・フライド・ドードー、オオウミガラスのテンダーロースト(※4)、ヒース・ヘンやリョコウバトのブロスを食べてみたいよう。
――って、わたしの立場上そんなことが言えるわけがありません。
つまりですね、前述したことはあくまで話を面白くするためであり、わたしの本心ではありません。信じてくださいっ。m(__)m
問題発言だらけの今日の日記でした。
【注釈】
※1 コンビニの鯨肉
鯨肉がほんとうにおいしいと思っているなら、レトルトカレーになんか入れるなよお。タツタあげにしろ、タツタあげに。
※2 マンモス補完計画
このプロジェクトはほんとうにあったのですが、ロシアの国情が周知の状態であるため、暗礁に乗り上げたままだと聞きました。
『心配ない。計画は順調に遅滞している。』
※3 マンモスの骨付き肉といえば
あの番組のタイトルは、『はじめ人間ゴン』『はじめ人間ギャートルズ』のどちらが正しいのでしょうか。わたしは後者だと思っているのですが、資料によっては前者の表記をつかっているものもあるのです。
※4 オオウミガラスのテンダーロースト
これは冗談抜きでいけると思います。オオウミガラスが絶滅したのは、これが飛べない鳥であったこと(※5)、そしてその肉があまりにも美味だったからだと聞きます。合掌。
※5 飛べない鳥といえば
そうそう、似たような生活様式をしている今日のペンギンが生き残っているのは、肉がまずかったため(※6)、つまり船乗りが飢えているときにのみ殺されたからだそうです。
※6 ふと思い出したのですが
とある日本の研究者が、シーラカンスを解剖後に刺身にして食べたところ、あまりおいしいとはいえない味(ひかえめな表現)であったそうです。
『美食倶楽部』
| 1998年5月25日執筆 |
わたしは辛いものが苦手ではありますが、そのくせタイ料理の酸っぱく辛い味付けは好きなのです。そういうわけで、いつもインスタントラーメンは『スパイシー・タイ(トライデント社製造)』を食べています。
ところが、昨日買い物に行ったところ、件のラーメンがなく、かわりに『スパイシー・タイ・チキン・ココナッツ・フレーバー』という新製品が陳列されていました。
ものの試しに買ってかえり、作ってみたのはいいのですが――ココナッツの甘酸っぱいにおいが、吐瀉物のそれを想起させるのです。そう思って見ると、白っぽく、ほのかに黄色味のあるスープの上面に、白っぽいかすが浮遊大陸のごとく漂っていて、やけにリアリティを感じます。
一瞬、捨てようかと思いましたが、思い切って食べてみると味は悪くありませんでした。でも、もう買わないと思います。(笑)
三食分買ったので、これを消費し尽くしたら終わりです。
一歩さんの日記からの話題です。
『おいしくないけれど体によい』『おいしいけれど体に悪い』というものはいくらでも存在します。
味覚というものは、『食ってうまい、という事は、即それが栄養として優れている』ことを感知できるわけではなく、『いつも自分が食べているものに近いか、そうでないか』という情報しか返してこないものなのですよね。
つまり、以前に食べて大丈夫だったものと比較して『近似性があれば』食べるというのが野生動物のとるやりかたのようです。いいかえれば、野生動物というのは食べ物に関して非常に保守的で、よっぽどの窮地におちいらない限り、一度刷り込まれた味のものしか受け入れないもののようですね。
これはネコに関する動物行動学の本に書かれていた話です。 この著者が野良猫を拾ってきたのですが、このネコ、なぜかインスタントラーメン(とそれに準ずる食品)しか口にしようとしません。野良猫として生活しているうちに身についた食性のようで、(ネコにとって)変なものばかり食べ続け、結局早死にしたそうです。
シャチの食文化の話も有名です。シャチはクジラ類ではもっとも多彩な食物をとる種のひとつです。かれらが捕食するメニューは、イカ、魚、鳥、ウミガメ、アザラシ、イルカ、そしてクジラにまでおよぶことが知られています。
では、かれらはどんなものでも食べるのかといえばそうでもなく、彼らは群れごとに特定の餌生物を好む傾向――食文化があり、例えば、『サケを餌にしている群れ』の前をアザラシやイルカが横切っても関心をしめさないということが知られています。
少なくとも鳥類、哺乳類において、刷り込み(食文化)は食性に多大な影響があるといえるでしょう。
わたしの場合はといえば、決して食べ物にこだわらないというわけではありませんが、『嫌いでないもの』ならば、一ヶ月同じものを食べていても平気なのです。
現にわたしは数ヶ月ばかり、ラムチョップとフィッシュアンドチップスばかり食べています。要するに、基本的に肉食(魚食)なので、肉や魚があればとりあえず満足なのです。ニュージーランドで生活しているときはおおむねこのような食生活ですが、とくに病気もしていないので、この食生活に適応してしまっているのかもしれません。
『マンモー』と『ドリーちゃんのパパ』の話はまたあしたにします。
マンガ版は『はじめ人間ゴン』『ギャートルズ』の二種類があったのですね。わたしは後者の復刻文庫本を書店で見かけたことがあります。(園山さんでしたっけ)
アニメ版の最終回は、どこからともなく登場した『ブンメイ』という男が、便利な道具や機械をあの作品世界にもたらすというものでした。それをよしとせずに、静かに去っていく主人公一家のうしろ姿と、それにつづくエンディング(ひとつの星が漆黒の宇宙に出現し、そこに朝がおとずれ、ひたすらに風がふいていた歌)が今でも記憶に残っています。あの歌は好きで、今でもよくくちずさんでいます。
『マスターアジっ子』
| 1998年5月26日執筆 |
ブラボー!
うーまーいーぞ~~~~~~~~~~(大気圏外に飛んでいってしまった)
というわけで、昨日に引き続いての味覚の話題です。
○ンダムファイト、レディ・ゴー!(ものがちがう>始祖鳥)
一歩さんの日記からの話題です。
シャチが人間を襲った記録がないという事実は、ひとえにかれらがヒトを『食べ物として認識していない』ゆえだと思います。すくなくともわたしの場合は、生きているイヌやネコを見ても食欲はわかないのですが(よほど飢えれば話は別です)ヒツジやニワトリを見ると『うまそうだ』と感じるので、シャチが食物に対して持っている感覚はおおよそイメージできる気がするのです。
最初にヒトを食べたサメは別に迷うことはなかったのではないかと想像しますが、最初にナマコを食べた人間は迷ったことありましょう。最初の勇気ある一匹が『ヒトはおいしいこと』を確認すれば、あとはそれをどうやって伝達するかですね。
『七つの海のティコ』が成り立たなくなってしまうのがちょっと残念ではあります。(^^;
野生動物の多くは刺激物や、未知のにおいに対してセンシティブであるようです。
『今までに食べたことのないにおいがする』『経験したことのないにおいがする』ことは、かれらにとって『危険なにおいがする』ことと同義なのでしょう。
さて、ダイエット食品に使われる合成甘味料を、わたしたちは『甘い』と感じます。しかし、この種の甘味料は人体で変化吸収されませんから、『甘い』=『栄養になる』という式は必ずしもあたっていません。こういうことが起こるのは、合成甘味料が砂糖の示すイオン基パターンのそれに『近似』であったからで、それ以上でもそれ以下でもありません。合成甘味料は人工物であるから例外であると考えるのならば、それは違っています。自然界にあるものでも、例えば砂糖の300倍甘い植物として知られるステビア(Stevia rebaudiana)から抽出される糖は、人体で変化、吸収されません。
つまり、味覚という感覚は、摂食内容の分子構造を分析して『これは栄養が良い』ことを検出できるわけではありません。学習強化によってつちかわれたパターンか、生得的に持っていたパターンと照合することによって、おいしいか、おいしくないかを判断する――つまり、既得のパターンとの「近似性」を検出する感覚なのです。感覚そのものに学習が強く関与するという意味では、むしろ視覚、聴覚、嗅覚に近い感覚器ですね。
『自分が過去に食べて安全だった食物、あるいは(こういう言いかたはしたくありませんが)生得的に安全であると知っている食物』が『おいしいと感じる食物』であり、それ以外は『おいしくない食物』ということになるのでしょう。
そうそう、「例外は、どんなに多くても、一般にそう評されている限り『例外』なのである」というくだりにはちょっと賛成しかねます。(^^; 一般にそういわれていること、つまり『既存の価値観』に判断を委ねるのは便利ですが、その時点で思考停止を招いてしまう危険があるのですよね。(^^;
ヒトの生得的に『おいしい』と感じる味覚パターンには、おそらく限りがあるはずです。つまり、ヒトの食性が拡大していくかぎり、『最初に食べたときはおいしくないが、つづけて食べるうちにおいしくなるもの』は今後増えていく一方だとわたしは思ってます。
味覚には後天的、文化的な影響が大きいと、わたしは思っています。肉と果物しか食べたことのないひとが、はたして『体に良い種類の』魚介類をおいしいと 感じるでしょうか。わたしにはそうとは思えないのです。
しまった、今日もマンモーの話の前に力尽きてしまったぞ。
『3巻目はコロッケ』
| 1998年5月27日執筆 |
luna さんの 日記からの話題です。
イルカの肉はほとんどがカニ漁の餌か、家畜用の飼料になると聞きました。食肉向けに市場にでまわっている鯨肉がイルカの肉かどうかはわかりませんが、その可能性はなくはありません。
しかし、大型のクジラも調査捕鯨で年間数百頭が捕獲されていますし、その死骸は普通の方法で肉と脂に加工することが認められていますから、市場に出回っている鯨肉はおそらく本物であろう、とわたしは思っています。
100gあたり1000円~2000円という価格もイルカにしては高すぎる、というのがその根拠のひとつなのですが、値段はどうにでもきめられる気がするので、こればかりはちょっとわかりません。
あるいは、カレーや大和煮の缶詰に入っている肉はイルカ(あるいはクジラの不味い肉)かもしれないですね。これらは素材の味を消す料理なので、多少ひどい肉でも、食べる人にはわからないでしょうね。
創作の部屋に掲載された lunaさんの作品、これから拝読させていただきます。
FSF『感想の部屋』撤退につき、感想はここで書かせていただこうと思います。
ぴか さんの 日記からの話題です。
『ギャートルズ』についてのご教示、あいがとうございます。
三年前の文庫ということは、絶版になっているかもしれないですね。最後に見かけたときに買っておけば良かったです。
わたしはその時、隣にあった『宇宙海賊キャプテンハーロック(全3巻)』を買ってしまいました。
これのあとがきは秀逸で、1巻目は小松左京、2巻目が豊田『ダイノサウルス作戦』有恒、3巻目は――さぞかし凄い人選であろうと期待に胸を膨らませつつ巻末を開いたところ――そこにいたのは(ものまねの)コロッケでした。この人選の基準はいまだにわたしにとって謎のままです。
じつは、昨夜、約1500行の読み物を書き上げました。
――おお、ついに完成したぞっ。これぞ史上もっともおもしろい恐竜ものだ。マイケル=クライトンなんか目じゃないぜ!――と書き上げた直後は思ったのですが、一夜明けて再読したところ、内容のあまりの情けなさ加減に暴れたくなりました。
ホームページにアップロードしなくてほんとうによかった。
推敲でフォローできるレベルの問題なのか、キャラクター、ガジェット、構成そのものに根本的な問題があるのかはこれから分析してみます。(;_;)
世界構築と人物描写とストーリーテリングの手管を奪取すべく、lunaさん、琴鳴さん、砂布巾さんのホームページで秘密諜報活動をおこなうことを考えている今日この頃です。
『味皇料理会コンテスト』
| 1998年5月28日執筆 |
ぴか さんの 日記からの話題です。
アルコールやカフェインのような刺激物を、『(味がよい、という意味で)うまい』と感じるようになる仕組みは不思議ですね。
ぴか さんご指摘のとおり、お酒やコーヒーや煙草を『うまい』と感じるのと、ご飯を『おいしい』と感じるのは、たしかに別種のものなのかもしれません。少なくとも前者にはなんらかの習慣性が関与していそうな気がします。
習慣性というものはどのあたりのトピックなのか(『生理学』かなあ)、見当がつきませんが、『習慣性』が形成される経路というのは興味深いので、これから資料をあさってみます。
一歩さん、『生得的な味覚と学習強化による味覚』についてのお考えに異存はありません。
かつて、006Pという乾電池がありました。もちろん今でもあります。(※1) これは箱型の、中型の消しゴムほどの大きさの乾電池で、無線玩具類(※2)によく使われていました。おそらく今でも使われています。(※1) この電池は、一般のそれと違い、プラス、マイナスの電極が、上面に並んでついているという特徴があります。電圧は9V、電流は単5相当でした。つまり『電気の味』を見るのに実に好都合な素材なのです。
わたしの経験によれば、あれは『辛い』と『苦い』の中間の味だったような気がします。つまり、わが味覚は電流を『刺激物』として認識したということなのでしょう。
味覚は電解質を検出する感覚ですから、電流に対しても反応するというのは納得できますが、『辛い』『苦い』という感覚を覚えたのは、電圧が高すぎたのか、電流が多すぎたのか、それとも電流そのものに対して味覚がかえす反応はもともとそういうものなのか、よくわかりません。
視点を変えてみれば、舌には電流感知器官としての側面もあるわけです。一部のサメなどが備えている生体電流を検知する器官の存在になんとなく親近感を覚えます。
水中でしか使えないという制約はありますが、これはコミュニケーション手段として便利そうです。以前に話題にした海底知性体、『アトランティスから来た若大将』あたりは、この能力を発達させているかもしれないですね。(^-^)
【注釈】
※1 同じことを伝えるために2文を費やさなければならない
どうして日本語には現在完了形がないのでしょう。不便でしかたがありません。
――ということがのたまえるくらいの英語能力を身につけたいです。願わくば、英語で小説を書ける程度の言葉の吟味能力が欲しいと思う今日この頃です。
※2 無線玩具類といえば
小学生のころ、わたしは6輪F1マシン、タイレルP34を模した無線玩具を持っていました。止まったり後退したりはできませんでしたが、左右に曲がれるというものでした。(舵角は調整できませんでした。)
タイレル(あえてティレルとは言わない)P34には個人的にこだわり(※3)がありますが、今回はあえて書きません。
※3 往年のスーパーカーブーム
『多角形コーナリング』『ペガサス・キック』あるいは『ロータス・ヨーロッパで天地逆さまになってのゴールイン』というタームを聞くと何か体内に熱いものがこみあげてきます。ちなみに、セガ社の家庭用ラリーゲームではランチア・ストラトス(デルタではありません)を愛用しています。ベルトーネデザインは秀逸ですね。
このままブレーキがかからないと『マシンハヤブサ』『アローエンブレム・グランプリの鷹』『激走!ルーベンカイザー』まで話がずれこんでしまいそうなので、今回は割愛します。
『姑息な適応』
| 1998年5月29日執筆 |
luna さんの日記に驚きました。
喉頭炎とは、熱もでるわけですね。
メンソレータムのエピソードもすごいです。文面を読んだだけでむせかえりそうな気がします。
luna さん、どうかくれぐれもお大事になさってください。
今日も晴天で、絶好の飛行びよりでした。
『初めての飛行場で、着陸が一度で決まらない』ことをインストラクターに相談し、一緒にサーキットを同乗してもらいました。その結果、ベース・レグ(下記図面参照)にはいるのが早すぎるため、ファイナル進入時の高度が高すぎることが原因だと指摘をうけました。
それにもかかわらず、今までなぜ(結果として)うまく着陸できていたかといえば、ファイナル・レグでうまくそのフォローをしていたからに他ならないのだそうです。
フォワード・スリップ(※1)やフラップ急展開などの姑息な技術(普通は使う必要のないテクニック)ばかりを進歩させて、おおもとのベース進入時の誤ったタイミングを改善していなかった、というわけですね。(^^;
確かに『滑走路に降りる』点においては、同じ結果を得られるのですが、わたしの方法では基本がなっていないため、環境が変わるとぼろぼろになってしまうのでした。
変な適応をしてしまうというのは困ったものです。
午前中の訓練を終え、午後からあらためてソロ(単独)飛行でベースの進入タイミングを復習しました。しかし、一度ついた癖はなかなか直りません。困ったぞ。
【注釈】
※1 フォワード・スリップ
進行方向に対して機体を斜めにし、ラダーを使って強引に飛行機をまっすぐ進ませるテクニックです。速度を落とさずに高度だけを落としたいときに有効です。
『ようやく100回達成』
| 1998年5月30日執筆 |
早いもので、この日刊連載も100回を数えることになりました。
いつもこの日記を読んでくださっているみなさん、ありがとうございます。
今後とも、どうぞよろしくお願いします。
『POPULAR MECHANICS MAGAGINE』というアメリカの雑誌があります。
かなり有名な雑誌のようで、日本でも大きな書店に行くと手に入るのですが、ここクライストチャーチの本屋では見かけません。なんてことだ。
とにかく、この雑誌は記事もさることながら、広告がおもしろいのです。
自作飛行機(エクスペリメンタル)やULPの組立キット程度にはわたしは別に驚かないのですが、これがヘリコプター(オートジャイロではない)やホバークラフト、潜水艦の組立キットとなってしまうと、もう呆然とするしかありません。
もっとも、同じ金額を払うのなら、わたしの場合は飛行機を買うと思います。『実用に耐える』潜水艦よりは、飛行機のほうがまだしも安価でありましょう。(^^;
DOORS プロバイダーパワーサーチにて帰国後のプロバイダの検討を開始しました。
地元からアクセスできて、ホームページの容量があって、CGIが自由に使えるところという条件で、いくつか目星をつけておきました。これでNIFTYから完全に撤退できるかな、と思っています。
さらにはNTワークステーションを導入して、これを家庭内LAN(※1)のプロキシサーバとして設定し、テレホーダイと組み合わせること『テレホーダイ時間帯は繋ぎっぱなし』環境を実現する――という妄想を思い描きつつも、NTワークステーションどころかWIN95を動かすのがやっとの機械しかない(※2)ことにはたと気付き、白昼夢からさめるのでした。
【注釈】
※1 家庭内LAN
LANはリブレット購入と前後して導入をすませており、4ポートのハブもあります。繋がるべき機械が2台だけなので『ピア・トゥー・ピア』でも特に構わなかったのですが、勢いにまかせてハブも買ってしまいました。問題は、つなげるべき機械がいっこうに増えないということですね。ファイルやプリンタの共用ができるのも便利ですが、『ポップアップサービス』でメッセージを送るのが楽しくて良いです。(直接話したほうがはやいという話もあります。)
※2 WIN95を動かすだけですでに限界
これは妹のパソコンなのですが、コンパックの一体型『CDS520』です。ハードディスクとメモリだけは増設していますが、ほかはまったく手をつけていません。
ちなみに、わたしの愛機は『X68000』が2台、往年の名機『日立S1/10』、『カシオFP1100』、そして現在手元にある『東芝リブレット20改(2GB仕様)』です。
ペンティアム――。なんですか、それは。(;_;)
『タイレル・P34』
| 1998年5月31日執筆 |
23日付けで、AMEQさんが掲示板を開設されていました。
一週間も気付かないとはなんたる不覚。
さっそくリンクのページに追記しておきました。
このコーナーは、いつも週のはじめにページを切り替えています。つまり、日曜日は何も書いていない状態から筆を進める必要があります。
ここでつまらないことを書くと、数少ない読者のみなさまに読んでいただけなく可能性もありますが、はじめてここを読んでくださるかたがたには即座に見捨てられてしまうでしょう。
そういうわけで、日曜日のたびに、なにかおもしろいことを書かねばならないという強迫観念におそわれるのです。
しんどいよう。(笑)
今日は『始祖鳥の生痕』向けに『アローエンブレム・グランプリの鷹』に登場したレーシングマシン、『トドロキスペシャル』のイラストを描く予定でした。(※1) 結局仕上がらずに終わってしまいましたが、数日中に何とかしようと思っています。
さて、今日のお題はこの『トドロキスペシャル』のモデルであろうと思われる、『タイレルP34』でいこうと思います。
このころのF1マシンはフロントタイヤを巨大なフロントスポイラーにおさめて整流する設計法をとっていました。
流線型は亜音速内でもっとも抵抗の少ない断面形状です。速度がある程度以上速くなると、流線型をしていると揚力によって車体が浮き上がってしまい、パワーを地面に伝えられないという不都合が起こります。地面に押し付けるためには、くさび型をしているほうが都合がよいわけです。
さて、この考えに基づくと、車体を横から見てきれいなくさび型にするためには、フロントタイヤが邪魔な突起物になります。邪魔でなくするためには、それを小さくすればよいわけですが、タイヤを小さくすると設置面積が減ってしまいます。そうなると、グリップも低下しますし、ブレーキングやコーナリングに支障が出てしまい、結局のところ速く走ることはできなくなってしまいます。
――ならば、前輪を増やし、数でおぎなえば良いのではないか、と気付いたひとがいたのでしょう。
かれらは一度見たら忘れられない、強烈なシルエットの車体を作り上げました。
史上唯一の6輪F1マシン、タイレルP34の誕生です。
この設計法法は、重量の増加をカバーしてありあまるものがありました。異形ともいえる車体でありながら、強かったのです。
もっとも、この車体のアドバンテージは、コーナリング能力や流体力学的に優れていたということよりも、前輪タイヤの直径が小さいため、相対的にブレーキの性能が向上したことによるところが多かったと聞きます。
しかしスタンディングウェーブ(※2)の対策が難しかったためでしょうか、ダンロップが小径タイヤの生産をとりやめたこと、さらにレギュレーションが変更されたことで、史上唯一の6輪F1マシンは、サーキットから永久に姿を消しました。
タイレルP34――この異形の車体は、いまでもわたしの記憶の中で、特別な位置を占めています。
【注釈】
※1 アローエンブレム・グランプリの鷹
あるいは、わたしの年齢±5歳くらいの方しかわからないネタかもしれません。
話の前半で主人公は、ランチア・ストラトスとランボルギーニ・カウンタックを折衷したようなスタイルのラリーマシンに乗っていた記憶があるのですが、この車体の名前がおもいだせません。
そうそう、ランチア・ストラトスといえば、先日の日記で、ストラトスをデザインしたのはピニンファリーナと書いてしまいましたが、正しくはベルトーネです。該当箇所は訂正しておきました。
スーパーカーはいいですねえ。いずれ場をあらためて『サーキットの狼』や『マシンハヤブサ』についても言及したいと思っています。
※2 スタンディングウェーブ
タイヤが高速で回転中に、設置面からもとの形状に戻る速度が追いつかなくなり、周囲に波のようなうねりが発生し、最終的にはタイヤそのものの破壊(破裂)を招くという現象です。
高速で走行しているとき、タイヤの空気圧が低いとき、車輪の径が小さいときに発生しやすくなります。
タイヤが小さいということは、同じ速度で走っている場合、相対的に回転速度が大きいということでもあり、大径のそれにたいしてスタンディングウェーブ対策は困難なものになることでもあります。