[始祖鳥生息地へ]

始祖鳥のさえずり
(1998年4月1日(水)~4月30日(木)執筆分)

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 落ちも構成もない散文的な文章を垂れ流しにさせていただくコーナーです。


[日記:最新版] [過去の日記(タイトル一覧)] [始祖鳥生息地へ]
第51回『コンテンツ欠乏症』 1998年4月1日(水)執筆
第52回『本のはなしその他』 1998年4月2日(木)執筆
第53回『眼のはなしは続く』 1998年4月3日(金)執筆
第54回『アトランティスからきたオヤジ』 1998年4月4日(土)執筆
第55回『日曜日の港』 1998年4月5日(日)執筆
第56回『鼻行類とか。』 1998年4月6日(月)執筆
第57回『次の日にずれこんだ』 1998年4月7日(火)執筆
第58回『明日からイースター休暇です』 1998年4月8日(水)執筆
第59回『とりあえず復活表明』 1998年4月16日(木)執筆
第60回『ディオニュソス入ってます。』 1998年4月17日(金)執筆
第61回『負け犬根性』 1998年4月18日(土)執筆
第62回『メールソフトを変えました』 1998年4月19日(日)執筆
第63回『しおしおのパー』 1998年4月20日(月)執筆
第64回『バイクばなし』 1998年4月21日(火)執筆
第65回『バイクばなしは続く』 1998年4月22日(水)執筆
第66回『ダーク・ピットな話題』 1998年4月23日(木)執筆
第67回『バイクばなし(3)』 1998年4月24日(金)執筆
第68回『古巣とネコ』 1998年4月25日(土)執筆
第69回『二輪とテツガク』 1998年4月26日(日)執筆
第70回『インターフェースについて』 1998年4月27日(月)執筆
第71回『グラウンド・ワークが続く』 1998年4月28日(火)執筆
第72回『今日も飛べなかった』 1998年4月29日(水)執筆
第73回『今週はどうなっているのだ』 1998年4月30日(木)執筆


[目次]
『コンテンツ欠乏症』
1998年4月1日執筆

コンテンツ拡充計画の一環として、ここしばらくとりだめていたデジタル写真に解説をつけ、アップロードしました。拡充したのは以下の2コーナーです。

始祖鳥写真館 (デジタル写真)
始祖鳥と仲間たち (野鳥の話)

 もちろん、今回出していないデジタル写真も大量にあります。  飛行機関係、自動車関係、NZの観光名所などが主ですが、もっとも量が多いのが、博物館の展示品を納めたもので、これは総計数百枚におよびます。秩序だてて分類しなかったので、もはや整理のしようもないような状態です。撮影したすぐあとに整理していればこんなことにはならないのに、まったく困ったものです。>自分

しかし、いよいよ容量が心配になりつつあります。画像データ関係は少しずつニフティサーブに移動していますが、もしそれでも間に合わないようなら、どこか別のプロバイダを探そうと思っています。記事が充実しているわけでもないのに、古いものを消すのは貧乏性のわたしにはなかなかつらいです。こうやってホームページを運営している以上、一個でも多くのコンテンツが欲しいところです。
 いっそのこと、描きためている落書きと、書きためている読み物も(あえて小説とはいわない)体裁を整えてコンテンツに加えてしまおうかと考えている今日この頃です。



[目次]
『本のはなしその他』
1998年4月2日執筆

昨日はエイプリル・フールでした。『鼻行類』ばりの大仕掛けを打とうと思っていたのですが、企画途中で挫折してしまいました。

 luna さん、わたしの読み物を楽しみにしてくださって恐れ入りつつも嬉しいです。
 4月1日に発言したのは、せっぱつまったときに『あれはエイプリル・フールだったのですよ』という逃げを打てるようにする思惑もあったのですが、これではいつまでたっても完成させることができないですね。
 今週末から創作モードに突入します。

一歩さん日記にもありましたが、 luna さん掲示板で 臥龍 鳳雛さんとlunaさんが児童文学のお話をされていました。  本のおはなしはいいですね。  子供の頃に読んだ本ですが、わたしの場合は児童文学そのものよりは、有名な作品を子供向けに書き直したリライト版が好みでした。
 三銃士(ダルタニヤン物語)や西遊記、紅はこべに胸躍らせた記憶があります。
 しかし、子供向けのリライト版を書かれる作家さんはつくづく凄いと思います。

 小学校高学年のあたりには太宰治の『斜陽』や高村光太郎の『智恵子抄』(字があっているか不安です(^^;)リチャード・バックの『かもめのジョナサン』あたりを愛読していましたが、今となっては本当に解っていたのかどうか、非常に不安です。

 『ガンバとカワウソの冒険』もあとになって(といっても確か6~7年前)アニメ化されていますよ。劇中にXLR-BAJAとしか思えない、かなりこだわったオフ車が登場するのですが、なぜかエンジン音が2ストのそれでした。音声さんはバイク乗りではなかったようです。

 皆さんがあげておられるコロボックルのシリーズは、テレビアニメで見たっきりで原作をしらないという、非常にもったいないことをしています。残念です。

 ホームズも良いのですが、同じコナン・ドイルならば『失われた世界』も外せません。そういえば、推理ものはなぜかSFの近くに置かれていたような気がしますね。
 わたしも隣にあった『太陽系七つの秘宝』で引きずり込まれたくちです。

そういえばCSでキャプテンフューチャー(NHKのアニメ版)を放映するらしいという話を思い出しました。じつは日本の衛星放送は、ニュージーランドでも映るのです。パラボラアンテナを正しく設置し、チューナーとNTSC方式が映るテレビさえあれば、見ることができるはずなのです。いや、CSを見るのためには局提供のデコーダをかませなければいけなかったような記憶もありますから、機材をそろえても見られるとは限らないですね。



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『眼のはなしは続く』
1998年4月3日執筆

今日付けで、NARUMI さんへのリンクを追加させていただきました。臥龍 鳳雛さんのリンクでNARUMI さんがホームページを開設されたことを知りまして、さっそくリンクをお願いしてしまいました。
 わたしはかねてからNARUMI さんのファンでしたので、リンクをはらせていただけて、とても嬉しく思っています。
 コロンビアのお話、特にバスに乗るくだりもおもしろかったです。

 当地の読者の皆さん、NARUMI さんのページは必読です。

以下は、一歩さん日記からの話題です。

4つ眼といえば、人間もある意味で4つ眼かもしれません。暗所で働く桿状体と明所で機能する錐状体の分布がかなり異なっているのです。
 錐状体は視界の中心(黄点)にピークがありますが、錐状体は中心を20°はなれたところにそのピークがあるようです。視線をそらしていたときに見えていた星が、視線を合わせたとたんに消えてしまう、ということはよくあることですね。

人間の眼の場合、色の感受性にも偏りがあるようで、三原色の中でも『青』に対する感受性が弱いようです。ふしぎなことに、ヒトの黄点には『青』を感じる視細胞がありません。つまり、青原色でできた小さい点を眼の中心で見つめると、黒い点に見えるということですね。もっとも、ヒトの前段階であったであろう樹上生活を考えると、もっとも必要そうなのは『赤』と『緑』なので『青』はそれほど重要ではないのかもしれません。いや、そう考えるとそもそもヒトはなぜ『青』を知覚できるのかという疑問がわいてきます。ふしぎです。

 光の3原色というのは、ヒトが色を感じる視細胞が3種類もっているがゆえのことで、この3つの比率を脳で処理しているがゆえでもあります。つまり、ヒトは『可視光全域にわたる白色光』と『赤、緑、青の同時発色』の区別がつかないのですよね。その意味でブラウン管は『ヒトの感覚の特性を利用した装置』ともいえます。

 ちなみに鳥の場合は4原色で世界を見ていますから、もし彼らが文明化して『カラー』テレビをつくったならば、それは4種類の発光画素をもっていることでしょう。

盲点に付いていえば、わたしたちは普通に生活するぶんには不自由を感じていませんが、これは無意識のうちに視線をずらして対処しているためらしいです。システムの不備は運用でカバーするという設計思想が感じられておもしろいですね。

 脊椎動物の方法は、盲点を作ってしまうかわりに、画像をシャープにとらえることができる『黄点』を作りやすいのだ、という説明を聞いたことがあります。しかし、頭足類の方法でも『黄点』はつくれるような気がしますし、そもそも黄点などというものは両眼立体視でもしない限りさして必要なものでもなさそうです。両眼立体視というのはどちらかというと捕食獣、鳥、人間の特徴であり、捕食される立場からすれば、全域がまんべんなく見えた方が良いわけですから、この点についても疑問が残るところです。

 なぜ盲点があるのかについてはいろいろな説明があるようですが、たまたま一番始めに眼をつくりだした脊椎動物の眼がそのような構造だったから、という説明に、正直なところ、わたしは一番説得力を感じます。どうもこれは偶然なもののような気がしてならないのです。

 ただ、『盲点』をもつ脊椎動物の眼が、それを持たないタコやイカに劣っているかと言うと、必ずしもそうではないようです。
 頭足類の眼は脊椎動物のそれと相同ですが、発生過程はまったく違っています。
 脊椎動物の網膜は脳に発生の起源をもちます。また、情報処理の点でも脳のそれと同様の働きをしめし、視細胞から入ってきた情報を双極細胞で加工し、神経節細胞でさらに処理した上で間脳に情報を伝達します。網膜そのものがビデオカメラと専用のチップによるMPEGエンコーダがセットになっているようなものですね。脊椎動物の網膜は脳の一部なのです。神経というのは短ければ短いほど都合が良いともいえます。
 それに対してタコやイカの場合、網膜は皮膚がへこんでできたものです。そのため、かれらの網膜は光の情報をそのまま加工することなく脳に伝えます。これはわたしたちの視覚以外の知覚器官と同じような伝達方法ですから、視覚のような複雑で大量の情報を送る場合、多くの神経で大量のデータを送る必要が出てきます。神経というのはむやみに増やせるものかどうかよくわかりませんが、タコやイカの網膜の解像度はそれほど高くはないと聞いたことがあります。

『飛ぶ』ということは確かにかなりハードな属性であるようで、地上に降りてしまった鳥も進化史上に数多く存在します。  ただ、条件が折り合えば全ての鳥が地上に降りてしまうかというとそうではなく、椅子とりゲームで地上からあぶれてしまった鳥は、やはり空中に活路を見出すしかありません。この場合は『ヤマネコ』が同種の鳥にとって変わっただけであり、ニッチ(生態的地位)は有限のものなので、空を飛べる鳥は存続するような気がします。現に、このニュージーランドの生態系がそうですね。  しかし、一歩さんも言われているように『鳥は飛びたくて飛んでいるのではない』という意見にはまったく同感です。  また、ご指摘のように水中から陸上にあがることが『しんどかった』のも間違いなさそうです。実はわたしたちも、『陸上を歩くのはしんどい。なにが悲しくて自分の体重を自分で支えなければならないのだ』などと、無意識のうちに思っているのかもしれませんね。

水中人の可能性はおもしろいですね。鰓で呼吸する完全水中生物が知性を持ち得るか、という点について考えてみようと思います。

 頭足類の仲間、特にコウイカやマダコのようなもっとも進化しているといわれているものが、知的生物となりえる条件をそなえているのだそうです。
 ただ、ネックとなっているのが個体の寿命が体の大きさに比して短いこと、そして、鰓呼吸をしている限り、大きな脳の活動に十分な酸素を供給できないのではないか、という2点です。

 海に帰った爬虫類、鳥類、哺乳類が、おぼれ死ぬリスクを抱えつつも空気呼吸をあきらめきれない理由は、空気を直接呼吸することにより大量の酸素を得られる、すなわち大量のエネルギーを得ることができる点にあるようです。
 ところで、脳というのは非常に酸素要求量のおおきな器官です。(理科年表が手元にないので具体的な数値はわかりません)
 ヒトなみの脳を水中に溶け込んだ酸素(鰓呼吸)のみでまかなおうと思うなら、なんらかの工夫をしなければならないことでもあります。

 対策を考えてみるならば、海水温が冷たければ冷たいほど酸素の飽和量は増していきますから、『水中人』は冷たい海に住んでいるかもしれません。これでも不十分ならば、漏斗を使ってできるだけ多くの海水から酸素を吸収する『ラムスクープ型生物』も面白そうですが、問題は、このセンセイが登場したとたんに周囲一面が(酸欠で)死の海になってしまうことでしょうか。(^^;



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『アトランティスからきたオヤジ』
1998年4月4日執筆

このタイトルは、水中人類の話題からの連想で、それ以上の意味はありません。

 『わ、わしはよい海底人です。
  邪魔だてする奴を格好よく抹殺して、そのあと人類を正しく導こうかなとか思ってましたよ?』

というようなシチュエイションを想起されたみなさん、ご期待にそえずごめんなさい。

今日付けで、KU(けいゆう)さんへのリンクを追加させていただきました。  かれは、釣りやアウトドアと京極夏彦を愛し、ダンディズムを追求する仙台在住にふさわしい伊達男でもありますが、(以下筆者による自主規制)。
 ホームページに登場するアライグマのラス君は、机の引き出しを開けて中身を広げたり、コンピュータのキーボードをばらばらにしたりと、その名の通りの大活躍を見せているようです。でも、かれのいたずらを語るKUさんはとてもしあわせそうです。
 そうそう、ホームページの表紙を見てもわかるとおり、かれはイラスト・マンガがとても達者です。じつはここだけの話ですが、KUさんとわたしは10年くらい昔のこと、同じサークルでマンガを描いていたことがあるのです。それが縁で、今にいたるまでことあるごとに酒席を一緒にしています。帰国したらまた遊んでくださいね。(^^)/

 当地の読者の皆さん、KUさんのページをよろしくおねがいします。

以下は、一歩さん日記からの話題で、環境と進化の関係についてです。

 ほかの環境に比して深海が『試練』となり得る生物は、つまり『深海に起源をもたない』ということでもあります。深海で発生した生物にとって、深海は『標準の環境』ですから、それが進化の圧力になりえるのはちょっと考えにくいかもしれないですね。

 深海が『特殊で厳しい環境』になりえる生物は、つまり深海に起源を持たない生物でもあるともいえます。さて、かれがなぜ自分の庭でもないところにあえて踏み出してきたのかといえば、『他の生物(同種も含む)にニッチ(生態的地位)をしめだされてしまったためしかたなく棲み分けた』ということでしょうか。

 誤解のないように補足しますが、『しめだされて新たな活路を求めた』ほうが敗者というわけではありません。その場だけに着眼するのならそれは敗北のように見えますが、新たな活路を開いたという点でその生物は勝利しているとも言えます。
 特殊、あるいは先鋭的な進化(そんなものがあるとすればの話ですが)は、わたしの知る限り、例外なしに『本来の環境からしめだされた』生物から生まれ、また『しめだされなかった』生物は古来の形質を維持し続けます。  生物の世界は競走ではありますが、生物は生きている限り、敗北することはないのです。
 かくいうわたしたちも『しめだされた』生物の生き残りなのですよね。

 その意味で、やはり進化は、『他の生物』があってこその進化なのかもしれません。
 一歩さんの言われる『敵』(進化の圧力)は、直接、捕食-被捕食者だけではなく、同じ環境を生き、同じ餌を捕食する『競争者(ライバル)』であってもいいわけです。
 と、ここまで書いたところで『住んでいた環境それ自体が変化した』場合もあることも思いつきました。嫌気性生物から好気性生物への進化がそうでしたね。

『既存の方法、酸素によって動力を得る方法では難しそう』ということで、『不可能』ということではありません。生物というのは時として思いもかけない方法で環境に適応することがあるのですよね。  ただ、エネルギーを酸素によらない生物やケイ素生物(!)のことまでを網羅すると、もはやわたしの知識が及ばず、『何でもあり』の世界に突入しそうなので、現状の生物を基準に考えるのならば、以下のような条件を満たす必要があるような気がします。

(1)酸素燃費のよい脳の開発
(2)知能の発達に圧力をかける環境

 この2つが必要条件(十分条件ではない)となりそうです。

『妖怪百目のタコ』にも爆笑しましたが、眼が自意識を持つ(鬼太郎のオヤジさん (^^;)というアイデアもすばらしいです。さすがはアイデアメーカーの一歩さんですね。胃袋が自意識を持つよりも説得力があるような気がします。
 タイトルは『オヤジと踊れ』なんてどうでしょう。
 ……だめ?

 眼と指先の感度の実験結果、勉強になります。指の方が精度が良いのですね。
 たしかに眼は遠隔操作型スタンド、じゃなかった、接触していない遠隔地の情報を知覚できるところに最大の売りがあるわけで、精度の点でも勝ってしまったら、触覚の立場がないかもしれませんね。それこそ定規がレーダーに負けるようなものかもしれません。

 ただ、おもしろいことにヒトの視覚はヒトの顔に対して非常にセンシティブでもあります。マンガなどでヒトの顔を描いていたりすると実感できるのですが、わずか0.1mm、あるいはそれ以下の違いでも受ける印象がまったく変わってしまうこともあります。  眼の精度の物理的限界は実はもっと高いもので、むしろ問題は網膜で情報を圧縮する際の処理方法に問題があるのかもしれません。

海棲知性体の『地上生命』についての講釈、爆笑しました。考えてみるとわたしたちの存在そのものが奇跡に近いのかもしれませんね。というわけで『返歌』です。

『高さ50mの木ですと?馬鹿もやすみやすみ言いたまえ。だいたいどうやって頂上まで水を供給するのだね。件の惑星の大気圧によって持ち上げられる水の高さはせいぜい10m、これは厳然たる事実なのですぞ。途中に水タンクを作れば話は別だが、この絵を見る限りそんなものはどこにも見当たらない。
 それに50mもの高さを支える構造材を生物が作り出せるなどという前提からして間違っている。
 まったくナンセンス極まりないですな。』
(太陽系第三惑星を舞台にしたSF小説への、生物学者(350歳、ガニメデ在住)の反論)

昨日(4月4日)も例によってカイコウラに行ってきました。
 クジラを見るのが目的だったのですが、普通の方法で見ても面白くありません。
 修行中の身で末席とはいいながら、これでもパイロットの端くれです。そう、飛行機を借りて空からクジラを見てみようと思い、カイコウラ・エアロクラブを訪問して交渉したのでした。ここで飛ぶのもC150も初めてであることもあり、さすがにソロでは飛ばせて貰えませんでしたが、一時間112ドルで機体を借りることができました。
 乗機はセスナ150AEROBATです。その名の通り、構造が強化され、全方向のGに耐える曲技飛行仕様で、シートベルトも4点式です。
 C150を飛ばすのは初めてだったのですが、舵が軽く、操縦しやすい機体でした。ただ、いつも操縦しているC172と違い、フラップが自動的に止まらないことにとまどいました。C172はレバーを望むフラップ開度にあわせると自動的にそこで停止するのですが、C152はレバーが上下とニュートラルしかなく、思うところで止めるためには自分で止めてやらなければならないのが面倒です。着陸のときに10度あけるところを全開にしてしまい、とまどいました。それ以外の点は、メーターの配列が若干違うくらいで、ほぼ同じ作りで、飛ばしやすい機体でした。

 離陸した後に、カイコウラのシール・コロニー(アザラシの集落)上空で3G旋回をしたり、周辺の山間を飛び抜けたりして遊んだあと、クジラを見るために沖合いに向かいました。
 見ると、ホエールウォッチング用のボートが集まっているところがあります。そこを目指して飛ぶと――いました。
切れ込みの入った尾びれ、角張った体型、左側前方に開口したひとつの噴気口――マッコウクジラです。
 空中から見たマッコウクジラはまるで潜水艦のようでした。いや、わたしは空中から潜水艦を見た経験はないのでこの例えは誠実さに欠けるかもしれませんが、とにかく空中から潜水艦を見たならばこのように見えたでありましょう。
 ホエールウォッチング用のボートの人たちも、表情は見えませんが、とても楽しそうでした。
 かれらを見下ろしながらわたしは、
 『ふふふ、愚劣下等なる地上人類め。』
 『マジンガーZは空からの攻撃によわい。』(c)デビルマン不動明
 などということはまったく思っていません。ほんとうです。

 クジラは普通のカメラで撮影しました。現像できしだい、このホームページに掲載する予定です。
 しかし、訓練ではなく、純粋な楽しみで飛ぶのはほんとうに楽しいですね。さ来週もまたいこうかな、と思っています。



[目次]
『日曜日の港』
1998年4月5日執筆

今日はリトルトン港のヨットハーバーに車を止め、海をたゆたうヨットを背景に、アジサシの採餌を観察していました。デジタルカメラでとりたかったのですが、かれらのスピードに液晶の表示速度がまったく追いつかず、結局あきらめました。
 わたしのデジタルカメラも、そろそろマグネットコーティングが必要のようです。(^^;
 しかし、ヨットはいいですね。乗ってみたいです。来週末はワナカの航空ショーを見に行く予定が入っているので、2週間後あたり、天気が良かったら挑戦してみようかと思っています。

一歩さん日記からの話題です。

 頭足類の寿命に関する具体的な数字は、理科年表の生物項目に出ているのではないかと思いますが、理科年表が手元にないため確認ができません。

 飼育しているものの寿命は、確かに短くなるかもしれません。
 タコに関していえば、たしかに飼育下ではストレスを感じている証拠があります。有名な俗説で『タコは飢えると自らの足を食う』というものがありますが、これは誤りであるそうです。自らの足を食うのは、小さな水槽で飼われた場合などに限られ、決して自然の状態のタコはこのような行動はとらないとのことです。

 現在知られているタコやイカの仲間は、成長が早いかわりに、ことごとく寿命が短い(あの巨大なダイオウイカでさえも寿命は10年以下という話を聞きました)ことを考えると、なにか生き物としての設計上の問題があるのかもしれません。
 もちろん、だからといって『メトセラ』なタコやイカがいないとは限らないのですが、現在知られている頭足類を考える限り、可能性はあまり高いとは言えないような気もします。

 ところで、わたしの知る限り、淡水性の頭足類というのは存在しないのですが、いったいどうしてなのか前から不思議に思っていました。それほど体制的に優れているとは思えない、腹足類(巻き貝のなかま)が淡水どころか陸上にまで進出しているというのに、まったく首をひねるばかりです。
 なにか頭足類独特の構造にまつわる(浸透圧関係など)問題があるのでしょうか。

『植物の寿命』について念のため補足しますと、もちろん大部分の植物には寿命がありますが、スギの仲間などには一部『寿命』そのものがあやしいものもあります。たしかに寿命自体はあるようなのですが、それが成長しすぎたゆえの構造的、物理的限界なのか、それとも分裂回数の上限なのかがよくわかりません。もし前者だとしたら、彼らは条件さえ整えば不死なのかもしれないですね。



[目次]
『鼻行類とか。』
1998年4月6日執筆

一歩さんの3日付けの日記 での質問に答えるのを忘れていました。
 『赤』『緑』『青』につぐ鳥の4色目は、『黄色(橙)』だそうです。ヒトよりも広い波長を見ることができるというよりは、可視光帯域を細かく分割し、色に対する感受性を向上させているようです。

鼻行類とは、フランスの核実験によって消滅したハイアイアイ群島を舞台に、鼻を進化させ、独特の適応放散を遂げたという哺乳類のことです。詳しくは一歩さんぴか さんが解説してくださっています。スチール(写真)が1枚もないのは、資料を保管している研究所が群島内にあったためという設定でした。今だったらCGとかを駆使して作り出せるのでしょうね。詳細な骨格図まである解剖学的解説と、生態学的解説のマニアックさには驚くばかりです。この本は好評らしく、前回の帰国時に本屋で見かけたときには、装丁が変わっていました。そのうち文庫化されるかもしれませんが、あの怪しさはあの専門書そのものの装丁でなければ表現できないような気がします。
 SF好きなかた、知的な大嘘が大好きなかたならば、この本は一読に値します。

 ちなみに、鼻行類、ナゾベーム(ハナアルキ)たちのなかで、わたしが好きなのは、鼻から空気を噴射し、マッハ0.8で飛ぶジェットハナアルキです。

くだんの作品は『青い海のエルフィ』だったと記憶してします。内容云々以前に、あそこまであからさまなパロディというのが、なんというか、凄いですね。(^^;
 海系のタイトルはなんか似通ったものが多いような気がします。『七つの海のティコ』、『海のトリトン』、『ふしぎの海の某』、『ふしぎな島のフローネ』――って、これは海じゃないですね。
 さて、今議題の懸案となっております人魚の酸素確保問題についての話題です。(アナウンサー口調>始祖鳥)

 わたしたちの知っている脳は大量に酸素を消費するうえに、酸欠に弱いという弱点があります。この弱点をいかにして『水中呼吸のみ』で克服するかというところがこの議論の焦点です。
 空気呼吸のマッコウクジラが2時間以上の潜水、また深度3000mまでの潜水が可能なことを考えると、ここまでして水中(鰓)呼吸にこだわる必要もないという突っ込みは予期していますが、これでは当たり前すぎるので『水中呼吸』にこだわってみることにしましょう。

 一歩さんの電気分解法は、電気分解で取り出せる酸素と、電気を作り出すのに必要な酸素を比較すると、後者が前者を上回ってしまいそうなのが難しそうですね。酸素を使わない方法でエネルギーを取り出す共生体を住まわせる場合か、酸素とは全く別の動力源を使えるサイボーグなどに有効かもしれません。
 とりあえず、わたしなりに考えたのが以下の3つの方法です。

(解決策その1)ラムスクープ型生物
 巨大な漏斗を前面に据えて、ゆっくりと泳ぐ方法です。これはジンベイザメやヒゲクジラのように餌も確保できますから、便利そうですね。
 問題は、本人はよくても周囲が酸欠状態になってしまうことでしょうか。
(解決策その2)高速移動する
 単純に、鰓に大量の水流を送ってやることでカバーする方法ですね。
 これによって確保できる酸素が、泳ぐのに必要な酸素と脳を維持する酸素をあわせたものを上回れば元が取れます。また、動いているがゆえに広い範囲から酸素をとれますから、酸欠の影響をまんべんなく分散することができます。ただ、この方法では外洋性のサメのように、泳ぐのをやめると酸欠で死んでしまいそうです。死なないまでも酸欠による脳障害・記憶の欠落などを招きそうです。

(解決策その3)冷たい海に活路を見出す
 じつはこれが一押しだったりします。(^^;
 さて、水中に溶ける気体の量は水温に反比例します。炭酸水が良い例ですね。具体的には、0℃付近の水は、20℃時の1.6倍に相当する酸素を溶け込ませることができるそうです。南極海に棲む魚は、普通のものに比較して6割程度の面積の鰓があれば良い計算です。

 ヒトの脳の酸素要求量に関する資料が手元にないのでわかりませんが、この環境ならどうにか脳を維持できるかもしれないですね。

 低温では通常、酵素の化学的活性が低下するため、生物の活動は低下するのが普通です。しかし、温度,環境さえ安定していれば、低温で活性の高い酵素を使えばいいだけの話ですから、生き物というのは順応することができるようです。もちろん、これらの生き物が10℃以上の環境に移された場合。たちまち痙攣して動けなくなり、死んでしまいますが、環境が低温で安定していることが前提ならばこの心配もありません。
 結局、南極に棲む魚にとっては酸素の確保よりも低温による血液の粘度上昇のほうが問題であるらしく、血液の流動性をあげるため赤血球そのものをなくしてしまったものもいます。(※1)
 つまり、南極海などの冷たい海にならば、えら呼吸の知性体も存在できるのではないか、というのがこの説の骨子です。

luna さんは、いつも原稿のプリントアウトを持ち歩かれていたのですね。凄いです。
 合唱の練習、がんばってください。小説の新作を楽しみにしています。

ぴか さんが6日未明の 日記で、『本気で自分の信じる世界をSFしようと考えている』ということを発言されていました。
 これは、ぴかさんがハードSFを書かれるということなのでしょうか。とても楽しみです。

当ページを少しでも見られるページに補完するべく、臥龍 鳳雛さん『Garyo-Ko Java専門館』に目を光らせています。サーブレットはファイル操作ができるのですね。いろいろなことができそうです。うちのプロバイダは無理なので、日本に帰ってからサーブレットの使えるプロバイダを探してみようかと思っています。

日本は桜の季節なのですね。こちらはもう秋の気配です。皆さんの日記を読みつつ、地軸は確かに傾いているのだなあ、と妙な感慨に浸っています。

【注釈】
※1 赤血球のないさかな
 Channichthys rhinoceratusがそれです。驚いたことに、この魚には赤血球のみならず英名もないようです。北米の川に見られるパイク(オニカマス)のような面構えのハゼに似た魚で、これの同属の魚にはCommom Ice Pikeという名前が付いています。普段は巨大な胸鰭をはばたかせてゆっくりと泳ぎ、緊急時には尾びれで泳ぎます。同じような形の魚と最高速度では変わらないようです。

【参考文献】
題名著者名ISBNコード
"Antarctic Fish Biology"Joseph T. EastmanISBN 0-12-228140-3
"A HISTORY AND ATRAS OF THE FISHES OF THE ANTARCTIC OCEAN"RICHARD GORDON MILLER?



[目次]
『次の日にずれこんだ』
1998年4月7日執筆

昨日の訓練は充実していました。帰るなり倒れ込むように寝てしまい、気が付いたら朝になっていました。というわけで、この日記は4月8日の朝に書いています。

一歩さん日記 からの話題です。
 ううむ、「マッドテープ」ですか。(^^;
 アニメ・特撮の主題歌のサビの部分を『宇宙の騎士テッカマン』のものに置き換える『無理矢理テッカマン』や、キューティーハニーとキャシャーンの主題歌を組み合わせた『おしりの小さなキャシャーン』などを覚えています。
 『海のトリトン』と組み合わせた『海のテッカマン』が傑作でした。
 これの影響はおおきく、わたしが『海のトリトン』を歌うと、つい最後のフレーズが『テッカマーン』になってしまいます。(^^;

わたしも『エルフィ』のあの台詞には抱腹絶倒したひとりです。

 こういう事を書いて誤解を招くのが怖いのですが、作品は『面白い』ことで評価されるもののような気がします。パロディであろうとなんであろうと、面白いということはその作品の存在を正当化するような気もします。ある意味で『ウケるが勝ち』なのですよね。

 もちろん、特定の読者に対しての『面白さ』を追求した結果、製作者が責任をとらなければならないこともあるかもしれません。(著作権上の問題、差別や偏見の問題などですね)

『海のテッカマン』の話題です。
 確かに『酸素が大量にある』環境で可能性を検討したほうが良さそうですね。  そうなると、知性を持ちそうな生き物、つまり神経系が発達している海産の生き物といえば、以下が思い浮かびます。

(1)軟骨魚類
(2)硬骨魚類
(3)頭足類
(4)甲殻類
(5)爬虫類
(6)鳥類
(7)哺乳類

(5)~(7)は酸素呼吸ですから除外するとするなら、可能性が高そうなのは(2)(3)でしょうか。ううむ。

luna さん日記関連の話題です。

 ごめんなさい、「スターレッド」は未読です。萩尾望都は教養として抑えて置くべきだとは思っているのですが、なかなか機会にめぐまれませんでした。文庫化もされつつあるようですし、帰国したら探してみようかと思います。

 『不可視不聴域の波』という言葉だけを取ってみると波長の問題をさしているのかな、とも思いますが、lunaさんのお話から想像すると情報処理の過程そのものが違っているのかもしれません。
 よく考えるとヒトの網膜はそれ自体でかなり情報を圧縮し、処理していますから、たとえ可視光範囲であっても、ヒトの眼で『認識できない』ものはあるのかもしれません。  ヒトの認識の不備をつく(つまり裏をかく)『保護迷彩』というのも面白そうですね。光学的には『見えて』いるのに、ヒトの認識ではそれをとらえることができない存在、というのも面白そうです。『妖精』が認識できない理由につかえそうです。

 ヨットは傍目に見ているだけでも良いものですね。
 このあいだ、家族旅行でオークランドに行った時には、膨大なヨットの数と設備のすばらしさ、それを楽しむ層の厚さに仰天しました。ニュージーランドのセーラーが強いわけが分かるような気がします。

 ここクライストチャーチはそこまでは及びませんが、マリーナにいくとかなりの数のヨットが係留されています。ニュージーランドでは、ヨットを牽引している車をよく見かけます。船自体もそれほど高価なものではないようです。知人が『ヨットはジョギングの次に安いスポーツだ』という意味のことを言っていました。



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『明日からイースター休暇です』
1998年4月8日執筆

明日から、400km南の町、ワナカに行ってきます。復活祭(イースター)に開催される南半球最大の航空ショーを見分するためです。
 帰宅予定は月曜夜で、それまで当生息地の更新ができない可能性があります。
 あるいは友人宅から更新することもあるかもしれませんが、読者のみなさまにおきましては、無駄足になってしまう可能性が大きいと思いますので、当地を月曜日まで巡回から外されることをお勧めします。
 どうぞよろしくおねがいします。

今朝、意図せずして、愛機リブレット20の対衝撃試験を敢行してしまいました。
 ケーブルを引っかけて、80cmくらいの高さから床に落としてしまったのです。左右のラチェットの爪が折れて飛んだほかは見た目は何ともないようでした。液晶も無事です。ただ、電源が入っていた状態だったので、ハードディスク(2GBに乗せ変えています)のヘッドがシッピングしていたかどうかが不安で、念のためスキャンディスクをかけたのですが、破損クラスタはなく、胸をなでおろしました。
 いやあ、リブレットは頑丈にできています。

 しかし、普段は空気のように感じていますが、もしリブレットが壊れたらかなり困るであろうことを実感しました。Eメールが使えなくなることはもちろん、こうやってホームページを更新することもできなくなってしまうのですよね。

luna さんは、英語、独語のトライリンガルなのですよね。凄いです。
 わたしなんか英語どころか、もはや日本語も怪しい状態なので、かなり困っています。

 ワッタシィー、ニホンゴ、ワッカリマセェーン。(泣)

 ドイツ人のトラベラーはなぜか世界中どこに行ってもいるので、かれらと直接話ができたらおもしろいだろうな、といつも思うのですが、思うだけでいつも終わっています。われながら根性がたりません。(実はスペイン語も勉強しかけでとまっているのです。)
 わたしの出会った限りのドイツ人旅行者は、年配の方はともかく、おおむね英語が達者なので、あえてドイツ語を話す必要もなかったりします。(^^;

luna さん日記から、高度なテクノロジー文明の成立の必要条件、そして鉄とテクノロジーの関係についての話題です。

 鉄自体はアルミニウムについでありふれた金属ですし(『水素』という突っ込みはナシです)、取り出しやすく、頑丈であり、加工が効くという点で、非常に使い勝手が良いものですよね。高度なテクノロジーを加速するには有効な素材かもしれません。

 日本の生態系はほんとうに復元力が強いですね。牧場開発の結果、禿山だらけになってしまったニュージーランドを見ていると、確かにそんな気がします。日本の土地はおおむね肥沃です。この観点から見ても『黄金の国』と言っても良いかもしれません。
 この希有な生態系の復元力が鉄生産を支えていたというのは面白い視点ですね。古代文明は、ことごとく周囲を砂漠化させて滅びているのも、このあたりに理由がありそうです。
 鉄に依存しない文明といえば、オルメカ、マヤ、インカと言ったあたりの中南米の文明がそうだったような記憶があります。しかし、かれらの水晶の研磨技術や石組みの技術は、今日の目で見ても驚くべきものだそうです。レトリックかもしれませんが、『インカの石組みは、剃刀の刃一枚も通さない』という言葉を聞いたことがあります。

 インカには車がなかった、という話もありますね。子供向けの玩具に車のついたものがあったようですから、知らなかったということはないようなのですが、なぜかかれらはそれを使わなかったようです。
 あげくのはてに『文字』がないというのも不思議です。結び目で事象を記録する『キープ』という方法はあったようですが、それでもやはり奇妙な気がします。

 逆に言えば、これらのものがなくても大帝国をつくることができてしまうわけですから、高度文明の必要条件というものを考えるのは難しいことかもしれません。

ピカチュウ はかわいいです。しかし、わたしはピカチュウの軍事利用が心配でなりません。(アメリカやロシアでは『ストロボ兵器』を研究中だと耳にしました。)
 やはりピカチュウは平和利用がいちばんですよね。



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『とりあえず復活表明』
1998年4月16日執筆

イースター休暇から復活です。
 帰ってきてからすぐに引越しをしたこともあり、また、一度筆を絶ってしまうと、ふたたび筆をとるのが億劫になってしまったこともあり、今日まで更新が滞ってしまいました。
 読者のみなさん、申し訳ありません。

 ワナカの航空ショーはなかなか見ごたえがありました。今回はロシアの飛行機が主役です。個人的にはMe109G10が飛来し、スピットファイアと模擬空戦をおこなった前回のほうが好きでしたが、ポリカルポフ・I16(日本の文献では「イ16」と表記されることもあります)の編隊飛行などというものは、世界中でここでしか見られないことを考えると感涙ものです。Bf108も可愛かったです。

 ショーには3日間通い、露天の部品屋さんで、ショート・サンダーランド(イギリスの飛行艇)の舷側の窓を買って帰ってきました。

 現在、大量のデジタル写真の整理に難渋しています。

luna さん日記の御柱の話題を読みました。凄いです。

 実際に見たことはないのですが、巨大な『柱』が土煙とともに落下していくさまは、テレビの画面を通してさえも、すさまじい光景でした。

 その場にいあわせたら凄い迫力なのでしょうね。

レビュー大会はおもしろそうですが、残念ながら今回の参加は見送ります。
手元にある日本語の本は図鑑や事典がほとんどで、小説はあまりもっていないのです。ごめんなさい。

一歩さん日記からの話題です。

一歩さんはZZ-Rを買われるのですね。納車が待ち遠しくてたまらないことと思います。
昔の250は、大柄なものが多かったですね。400と共通の車体を使っているものが多かったためかもしれません。ほんの10年くらい前までは、「250専用設計」ということが売りになったのですよね。コンセプト的にはZZ-Rの先祖筋にあたる、2気筒のGPX250Rがそういうコピーだったような気がします。

 オンロードは概して小型化の傾向があるような気がします。コンパクトであることは、重量が軽くなる、車体の剛性をたかくできるという点で有利であるためでしょうか、レーサーレプリカでは特に顕著ですね。NS250RからNSR250RG(’87)、NSR250RGからNSR250RL(’90)に乗り換えたときの衝撃をおもいだします。これを考えるとZZ-Rはまだ大柄なほうでしょう。

 逆にオフロードのものはモデルチェンジのたびに足(サスペンション)が伸びていくので巨大化の傾向がありますね。



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『ディオニュソス入ってます。』
1998年4月17日執筆

一週間のあいだ日記の筆を取っていなかったためか、書き出しの段階で苦労します。文章を書くということは、自分の思考を文字で濾過することでもありますが、思考はすなわち言語であり、自分のなかの言語が薄くなるということは思考そのものに支障をきたすことでもあり、別の視点から考えるなら言語はある程度文化的なものでもあり、そうである以上、ヒトは自身の属する文化の範疇でしか思考ができないともいえて、なにか支離滅裂な状態です。現在、かなり酔っています。

luna さん、読者としては早く続きを読みたいというのも本音ではありますが、小説の続きはあせらずに仕上げてくださいね。

一歩さん日記からの話題です。

 日本とこの国が同じ『時』を刻んでいるかという命題は面白いです。
 論理学でいうところの、逆、裏、対偶といった言葉を思い出しました。

 一個所にとどまって生活している限りに置いては、時の流れと季節の循環は同期しているので、これらをあえて分かとうとは思わないのですが、これが渡り鳥、たとえばキョクアジサシあたりの時と季節のとらえかたというのは、やはり変わってくるのかもしれません。

 これを感じることができるようになったのはヒトの歴史においても、つい最近のことなのですよね。

唐突ですが、今、無性に『恐竜もの』を書きたくてたまりません。 『失われた世界』や『恐竜探検隊ボーンフリー』や『恐竜戦隊コセイドン』や『ダイノサウルス作戦』が頭の中を駆け巡っています。 なんというか、ニーチェの言辞でいうディオニュソス的な衝動に突き動かされているようです。(つまり、かなり酔っているらしいのだ>始祖鳥)

 いかん、明朝(もう今日ですね)11時にフライトがあるのだ。酔いよ、さめてくれ。



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『負け犬根性』
1998年4月18日執筆

今日の飛行訓練は中止でした。
今朝がたの激しい雨で、クライストチャーチ国際空港(※1)のグラス・ランウェイ(芝を敷き詰めた滑走路)が閉鎖されてしまったためでした。2時間ほど待機して、結局果たせなかったのですが、そのあいだに、オフィスにいたインストラクター(挨拶以外で話すのは今日が初めてだった)と雑談をしていたときに、ふと以下のような話題になりました。

   『始祖鳥(仮名)よ、君はラインパイロット(※2)になりたいのか』
『いいえ、わたしはラインパイロットになるためには歳をとりすぎています。
 観光飛行、または不定期運送のパイロットを目指そうと考えています』

 29歳なのです、と私はつけくわえた。彼は怪訝な顔でいった。
『私のインストラクターは37歳のときにエア・ニュージーランドのラインパイロットになった。
 そして私もラインパイロットを目指している。ものごとを行なうのに遅すぎるということはない』

 もとより定期運航便のパイロットをめざしていたわけではありませんが、(辺境の航空会社の空席に潜り込もう、という考えなのは秘密です。)こういう物言いをするということは、初めから負け犬根性が入っていたということでもあり、我が身が恥ずかしくなりました。自分の努力不足、能力不足を他に転嫁するのは潔くないことですね。年齢がどうという問題ではなく、結局は本人のやる気の問題なのでしょう。

 しかし、エアラインに職をアプライするには800時間は必要だと思うのですが、わたしはその8分の1強を飛んでいるのに過ぎません。今までの飛行時間の8倍を飛ばなければならないことを考えると、道は果てしなく遠くもあります。

 いまは、目前の課題をこなすのみ。明日は飛べるといいな。

ジャック・ヒギンズの『裁きの日』を再読しています。
 わたしの場合、太宰治(または吉村昭)を読みたい気分とジャック・ヒギンズ(またはデズモンド・バグリイ)を読みたい気分が交互に訪れるのですが、今の心境は後者です。

【注釈】
※1 クライストチャーチ国際空港
 わたしの両親は、ここに降り立つなり、『秋田空港のようだ』という名台詞を吐いてくれました。
 これではあまりにも秋田のひとに失礼だ……じゃなかった、ここはニュージーランドで2番目に大きな、トラフィックも煩雑な国際空港なんだぞ。(訓練の場所をかつてのワナカからここに移したのもこれが理由でもあります。)ターミナルは質素だけど。(;_;)

※2 ラインパイロット
 定期運航路線のパイロットのことです。いわゆる『ジャンボジェット機(B747)のパイロット』はこのカテゴリーに属し……って、よく考えると、『ミリタリー』がありました。(^^;



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『メールソフトを変えました』
1998年4月19日執筆

今日は、写真の整理と読み物の資料探し、一日が暮れてしまいました。
 そうそう、新しいメールソフトの試供版をダウンロードして遊びました。
 4種類から選択できる仮想ペットがメールを運んでくれる、楽しいメールソフトです。
 わたしはティディ・ベアに『巴ムサシ』と名づけ、現在特訓中であります。
 ううむ、オンラインで製品版を手にいれる方法はないものか。

ぴか さんホームページの読み方の件は了解しました。
 これから掲示板のほうにあらためてお邪魔します。

現在、創作モードに突入しております。今朝からエディターを開きっぱなしです。



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『しおしおのパー』
1998年4月20日執筆

いかん。この数日間というもの、日記がしおしおになってしまっています。
 この日記は当地のメインコンテンツなので、これが腰砕けになってしまうと目も当てられないですね。(;_;)

言い訳にはなるかどうかわかりませんが、新居には机が備え付けられていなかったため、この数日間のあいだ、ベッドに腹ばいになってリブレットを操作していたためかもしれません。
 なにぶん、5~6冊の資料を広げてからでないと筆が進まないという悪癖があるので、やはり机(またはテーブル)が欲しいところです。そうだ、机があれば問題は全て解決なのです。早速探して――いや、それにしては、現在執筆中の『恐竜もの』の筆は妙に進んでいます。

 やはり根性の問題でしょうか。



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『バイクばなし』
1998年4月21日執筆

一歩さん新車の購入おめでとうございます。
 あたらしいバイクが到着する瞬間は、ほんとうに良いものですね。
 ZZ-R250は並列二気筒だったのですか。てっきり4気筒だと思っていました。GPZ250R(※1)直系の子孫だったのですね。フューエルコックにOFF位置がないというのは不思議です。燃料を抜かないと、タンクをおろせないではありませんか。

 カワサキのツーリング車は面白い装備がいろいろついていますね。ハザードランプもそうですが、AR125S(2スト単気筒)が、クラッチを握るとサイドスタンドが跳ね上がる機構を装備していたのには驚愕した記憶があります。いまでこそ多くの車体についていますが、『引き込み式』の荷かけフックもおもしろいです。
 メーターも豪華です。燃料計までついているのですよね。これに匹敵するといえば、ヤマハのXJ400(大昔のほう)がメーターパネルに電圧計を装備していたくらいでしょうか。

 じつは7年ほど前に、KZ400というカワサキのバイクに乗っていたことがあるのです。並列二気筒とは思えないほど重く(免許取得時に乗った、ホーク2、ホーク3よりも重いかもしれません)、最高速度は毎時120キロがやっと、前後輪ともにドラムブレーキで、高速からの減速にはエンジンブレーキのほうが良く効くという車体でした。
 ブレーキに関しては、ニュージーランド国内を走るぶんにはあまり不足は感じませんでしたが、レーサーレプリカのブレーキになれた身にはつらいものでした。(^^;
 以来、カワサキは重くてブレーキが甘い、という刷り込みをなされてしまったのですが、なんのなんの、ZX400Rは当時の400ccのなかでもっとも軽かったのですよね。乾燥重量で160kg前後だったでしょうか。ここまで軽くなかったかもしれませんが、とにかく驚異的に軽量だったような記憶があります。  TZR250R初期型と、NSR250RGの乾燥重量は今でも覚えています。前者は124kg、後者が125kgでした。今思うと、レーサーレプリカは、このころ(85~87年頃)がもっとも軽量でした。以降は、サイズが小さくなっていくにもかかわらず、フレームの強化などに起因して重量が増大していくのです。

 話があらぬ方向にそれてしまいましたが、バイクはいいですね。NS400Rは盗難にあってしまいましたが、NSR250RLとCRM250初期型が、日本でわたしの帰りを待ってくれているはずですが、最後に乗った時点ではCRMはキャブレターの調子がおかしく、NSR250RLは積算90000kmを超えてしまっているので、オーバーホールが必要かもしれないです。

 単車について熱く語るコーナーを開設しようとも一瞬思ったのですが、収拾がつかなくなりそうなので日記の中だけでやめておきます。(^^;

ぴか さん掲示板に、昨日お返事を書こうとしたのですが、なぜか書き込めなかったので(※4)、この日記でお返事させていただきます。ある意味で、この日記自体が一種の掲示板のようなものですね。(^^; とても便利です。
 時差の件ですが、日本(GMT +9)とニュージーランド(GMT +12)には、現在3時間の時差があります。ニュージーランドが夏時間のあいだには時差の開きは4時間です。
 両国の基準の時間を経度に換算すると45度で、経度的にはあまり変わりません。
 日本の基準線は、おなじみ兵庫県明石市の135度ですが、東日本から考えてみた場合、実際の時差は2時間くらいなのかもしれないですね。

【注釈】
※1 GPZ250R
カワサキ製の並列2気筒250ccの自動二輪車。その独特の形状は一度見たら忘れられない。シートの色をコーディネイトできるのがセールスポイントだった。『白車体に黒シートを組み合わせなら、お葬式にも乗って行ける』と、この車体のオーナーがにこやかに語っていたことが思い出されてならない。
 始祖鳥は、この車体を『バトルホッパー(※2)』と呼んでいる。もちろんこの車体のほうが先に世に出ているのではあるが、『バトルホッパー』のインパクトがあまりにも強烈だったためか、いつのころからかこう呼ぶようになって今に至る。

※2 バトルホッパー
『仮面ライダーブラック』の愛車。
 直翅目に似せたスタイルの緑色のバイクで、一度見たら忘れられない格好をしている。自分の意志を持ち、目を点滅させて仮面ライダーブラックと会話したり、ハンドルを切って頷いたりする。さらに生体金属かなにかでできていて、ダメージに対する自己修復能力を持っている。わざわざスズキのバイク屋さん(※3)にもっていかなくてもよいのだ。修理代が安くて良いぞ。
 原型はスズキTS125Sではないかと思われる。この車体だが、いつぞやのモーターショーでスズキのブースに展示されたことがあった。市販されていたら衝動買いしていたと思う。一台欲しい。

※3 ヒーローはスズキのバイクに乗らなければならない
 これにもやはり例外はあって、ごく初期には富士重工のラビットや、ホンダのドリーム号(1号ライダーの初期)や、カワサキSSマッハのエンジンを積んだレーシングサイドカー(人造人間キカイダー)も存在した。

※4 なぜか書き込めなかった
 あとで自分のメールボックスを調べたところ、"WebDeFax MailAcceptor Notify"と題して、『MAIL形式エラー』というメールが届いていました。登録がうまくいくときと、いかないときがあるようです。当方の環境は、東芝リブレット20に、OSがWINDOWS95(4.00.950)、メールソフトは MS-Internet Mail(4.70.1161)、ブラウザは IE3.02 です。



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『バイクばなしは続く』
1998年4月22日執筆

一歩さん日記からの話題です。

 フューエルコックの『PRE』というのは、流れっぱなしになるという意味では普通の単車でいうところの『ON』のようですね。燃料の流入はキャブレターのフロート機構で止まるので大丈夫でしょう。

一歩さんのFZ250はYSP仕様のものではなかったようですね。(YSP仕様はリヤディスクだったのです)

 後輪のドラムブレーキは悪くないと思っています。というよりも、これで十分な気がします。オンロードに限っていえば、減速の時に使っているのはほとんど前輪のブレーキなので、後ろのブレーキはほとんど車体を安定させる程度にしか使わないのです。(わたしの場合) ただ、メンテナンス性の点では、パッドを交換するためにホイールを外さなければならないドラムブレーキに比べると、ディスクブレーキのほうが有利かも知れないですね。
 ふと思ったのですが、CBXやVTのインボード・ディスクはどうやってパッドを交換するのでしょう。ホイールを外すのでしょうか。

ところで、一歩さんのVTは何型なのでしょう。いや、VTの『Special edition』というのは何回かあったような記憶があるのです。(^^;
 カウル付き、ということでVTZやスパーダ、ビキニカウル(死語?)の1型ではなさそうです。1型(VT250FC)にも『インテグラ』というフルカウルのモデルがありましたが、わたしの想像では、角張ったカウルの2型(VT250FE)か丸いカウルの3型(VT250FG)ではなかろうかと思っています。どちらかというと3型の線が強いかな。もしかすると、3型後期の、フロントダブルディスクのものなのでしょうか。

わたしは重くて安定した単車よりは、軽くて小さくてパワーがあって、運動性の良い車体が好みです。

 単車の単車足るゆえんはその運動性能にこそあると信じているので、(長距離の快適さと実用性を重視し、なおかつ『風を感じたい』のなら、4輪のオープンカーに乗ればよい)わたしはほとんど2ストロークの車体にしか乗りません。(すごく偏った考えですが、趣味事なのでご容赦下さい。m(__)m)

 いままで10数台のバイクを乗り継いでいますが、そのなかで4ストの車体はC90(いわゆる「スーパーカブ90」)、XL125S、KZ400の3台だけです。ついでに、セルスターターのついているバイクにも縁がありません。(3輪スクーターの『JOY』だけです。)

luna さん、元気になったら、また新作を読ませてください。楽しみにしています。
 でも、決して『元気になること』をあせらないでくださいね。

【注釈】
※1 わたしがいままでに乗り継いだバイク

メーカー車体乗っていた期間
C90’87~’90
RZ50’87
NSR50’88
NS250R’87~’88
NSR250RG'86’88~’91
RZ250’89
RG125Γ’89
JOY’89
XL125S’90
TS125R’91
KZ400’90~’91
NSR250RG'87’91~’92
NSR250RL'90’92~現在
CRM250R’87’92~現在
NS400R’95~この前盗まれた



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『ダーク・ピットな話題』
1998年4月23日執筆

『宇宙戦闘機アルファ・バグ』にはわたしも覚えがあります。買うだけ買って投げ出したままです。外れをつかんだときの悔しさは、筆舌につくしがたいものがありますね。

 SFがかった国際謀略ものならば、クライブ・カッスラーの書くものがおすすめです。仕掛けが大掛かりな007といったところでしょうか。(既に読了されていたらごめんなさい。)現在手元にないので題名が思い出せませんが、『タイタニック号を引き上げろ』『氷山を狙え』『ラドラダの秘宝を探せ』そのほかいろいろがありました。

 宇宙が関わるものとして、おすすめはキューバを舞台にした『ラドラダの秘宝を探せ』でしょうか。これのオープニング(宇宙飛行士の死体が飛行船で送り返されてくる)には驚かされました。



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『バイクばなし(3)』
1998年4月24日執筆

一歩さん日記からの話題です。

お話を聞く限り、一歩さんのVTは2型(VT250FE)の『インテグラ』らしいですね。
 ビキニカウルと呼ばれていたのは、ライト周りをおおうかたちのフェアリングのことで、初代VFや初代VT、MVX、RZ250R(初期型)などがこれにあたります。
 GSXカタナ、インパルス、FZ250やVTの2型以降のような、ハンドルを切っても動かない類のカウルは、ハーフカウルとか、ハーフフェアリングとよばれていたはずです。
 これはもう10年も前のことなので、『ビキニカウル』はもはや死語になっているかもしれません。

 一歩さんの好みは『オールマイティ』な車だったのですね。
 ライダーの数だけ哲学があることを実感しています。

ええと、前回のわたしの書き方は適切でなかったので、あらためて補足します。

 わたしが単車に求めるものは、『すぐそこ』に特化するためではなく、また『むこうの方』に快適にいくことでもなく『走ること』そのものが楽しいかどうか、つまり血を沸き立たせるものがあるかどうかです。
 『走る』『曲がる』『止まる』ことが楽しい(ここが大事)、運動性能の高い単車が、わたしの好みなのです。
 運動性能という視点で考えると、小型化、軽量化には大きな意味があります。小さいと、同じ材料を使った場合、剛性を高く、また軽くできます。軽いということは、加速能力も向上しますし、ブレーキの性能も向上します。なによりも、軽いバイクは振り回しやすく、それにパワーがついていればさらにすばらしい。安定性は二の次です。

 それを満たしたうえでの実用性はあるにこしたことはありませんが、なければないでいいや、と思ってしまうのがわたしの考えです。

ただ、かつて一度だけ、安定性の高い、長距離向きの単車に乗っていたことがあります。7年前にニュージーランドを縦断旅行するときに使った、KZ400がそれです。重量があり、安定感にあふれ、トルクもあり、『乗っていて疲れない』のは確かでしたが、これにもう一度乗りたいかと問われれば、答えは『否』です。こういう車体は、乗っていてあまり面白くないのです。(『わたしにとって』です。)

 結局のところ、一般公道での使用を想定した単車は、すべからくツーリングに使えるような気がします。わたし自身、かつてNSR250RGで北海道の宗谷岬から鹿児島県佐多岬まで走った経験がありますが、特に不自由は感じませんでした。

 これも最終的には、ライダーと単車のあいだの相性の問題、その単車がどれだけ好きか、というところに収束するのでしょう。

壊れるまで乗るというのはいいですね。
 わたしの場合、相性の合わない単車は早々と知人に譲ってしまうのですが、気に入った単車は、そればかり乗り続けます。

 日本での現愛車、NSR250RLは、走行距離が9万キロを超えています。6年前買ったときは1万キロを切っていましたから、みずから走ったのは8万キロですね。何回か『壊れて』はいますが、あちこちを直しながら乗っています。そろそろエンジンそのものを換装すべき頃合いかもしれません。

 ただ、『壊れるまで』が『修理不可能になるまで』ということを指しているのなら、向こう半世紀はNSRに乗り続けなければならないのかも知れないわけで、それはちょっとコワくもあります。(^^;

 こちらのBSAやトライアンフをリストアしつつ乗っているエンスージアストは本当に凄いです。

わたしは今年で免許をとって12年です。えへへ。歳がばれますね。(^^;
 その間、ほぼ単車ひとすじでいたため、4輪の運転は非常に不得手です。必要に迫られない限り、ほとんど乗りません。操縦席(運転席)に座っている時間数を考えたら、飛行機の方が確実に多いような気がします。



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『古巣とネコ』
1998年4月25日執筆

数ヶ月前の住所に銀行のカードが配送されてしまい、古巣に郵便物を受け取りに行って来ました。
 そのさい、かつてなじみだった近所のネコに再会したのですが、彼奴め、3ヶ月のあいだにわたしをすっかり忘れてしまったらしく、会ったとたんに脱兎のごとく走り去ってしまいました。薄情ものめ。(^-^)

 とはいえ、わたしのほうも彼の名前をすっかり忘れていたので、彼の忘れっぽさをとやかくいうことはできません。ははは。



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『二輪とテツガク』
1998年4月26日執筆

昨日付けで、琴鳴さん掲示板を開設されていました。さっそく書き込みに行ってきます。(^-^)

一歩さん日記からの話題です。

 失礼だなどとはとんでもありません。
 『9万キロ』を『愛』と評価してくださって、うれしいです。
 手間も愛情もかけすぎて、捨てるに捨てられなくなってしまった結果かもしれません。今後もエンジンを換装して乗り続けるつもりです。

 走行距離数は、茨城県日立市と宮城県仙台市の片道220kmを、毎週のように往復していた時期があったことが大きいと思います。(^^;

ライダーに哲学は数あれど、その根底は『二輪が好き』ということに尽きるのかもしれません。

 ただ、二輪のどこが好きかとなると、答えはライダーの数だけ存在するでしょう。
 というわけで、テツガクなはなしです。(^-^)
 わたしの中での『より剛に、より軽く、より強く』ということへの理解は、『なにかに比較』しての『より速く』とは、別のものです。
 例えば、400ccの単車と50ccの単車を比較した場合、カートコースのようなところで走らない限り、絶対的な『速さ』では圧倒的に前者が優れています。しかし、後者の方が前者よりもライダーに『先鋭的』な印象を与えることはありえます。

 例として適切であったかどうか自信がないのですが、あるカテゴリーのもとで、『より速く、強く』を追求することは、マン・マシンインターフェースにおける、フィードバックの『純度』の向上と密接な関連があるような気がするのです。

 ほとんどのライダーは、走り出してみれば、その日の自分自身のコンディションがわかると思います。きれいに旋回が決まった瞬間(速度は関係ありません)に、恍惚感を覚えることも、不甲斐ないライディングに自己嫌悪を覚えることもあるとも思います。走ることに関してこう感じるのは、わたしだけではないはずです。
 ライダー自身をうつす鏡のような一面が、単車にはあるような気がします。

 わたしは、この伝わりかたがリニアな車体が好きなのです。『先鋭的』といいかえてもかまいません。これはロードレーサーに限らず、モトクロッサー、エンデュランサー、トライアラーについても言えることではないかと思っていますが、この種の車体は、自分自身の不甲斐なさもリニアに伝えてきますが、今までの限界を超えたすばらしいライディングをしたとき、はっきりと伝えてくれるのも、また事実です。

 走ることは、恍惚感をともなう、一種の『自己超克』でもあります。これは、リチャード・バックの『かもめのジョナサン』のそれと近い種類のものかもしれません。もちろん、結果としてだれかと競うことはあるかもしれませんが、それは(わたしにとって)決して目的ではないのです。

 つまり、走ることの恍惚感を知ってしまった以上、それがもたらす世界を知ってしまった以上、自分の感性に合わない車体に乗ることは、ある種の不幸でもあります。
 別のいいかたをするなら、自分の本意ではない単車に乗ったとき、『あの単車ならばもっと走ることを楽しめるのにな』という思いにとらわれてしまうのです。
 これはつらいことです。

 もはや、わたしはもう2ストのレーサーレプリカに代表される車体しか乗ることができない感性になっているのかもしれません。
 体力や反射神経の衰えにより、それに乗ることが苦痛になるときが近いうちにくると思いますが、そのときまではきっと、小型高出力で軽量な車体に乗り続けると思います。

 上記は、わたしが小型軽量高出力の車体が『好きな理由』を書いたもので、決してツアラーの存在を否定しているわけではありません。かなり偏った考えであることを自覚しています。
 ご不快に感じられたら申し訳ありません。

旋回半径が大きいのは難儀ですね。ホイールベースに対してハンドルの切れ角が不足気味なのでしょうか。まるで大排気量車のようです。そこがカワサキの持ち味かもしれません。

 旋回半径を向上させるためには、ハンドルの切れ角とホイールベースのどちらかに手を打つ必要がありますね。ここは、チェーンの伸び調整を利用して、ホイールベースを短縮するというのはどうでしょう。
 具体的には、チェーンのコマを無理のない範囲で落とし、ホイールベースを短縮するのです。これで稼げるのは5cm程度ではありますが、ホイールベースの5cmが操縦性、取り回しに与える影響は、なかなかあなどれないものがあります。
 ZXの純正部品はエンドレスチェーンである可能性もありますが、その場合はメンテナンス性を考えて、カシメ式のチェーンに換えてしまうのが良いかもしれません。

ホイールベースの短縮で失われた安定性は、フロントフォークの突き出しを少なくし、キャスター角を寝かせることで、カバーするというのはどうでしょう。安定性とハンドルが重いということはイコールではないのですが、以下にセッティングの変更だけで粘りのあるハンドリングを実現する方法を示します。ご存知でしたらごめんなさい。m(__)m

(1)サスペンションのセッティングを変える
 イニシャルを柔らかめにすると良いかもしれません。

(2)キャスター角を変える
 フロントフォークの突き出しを少なくすると、キャスター角が減少し、安定性が向上します。ただ、相反して運動性がうしなわれるので、これらのバランスをどうとるかは各自の判断です。

(3)タイヤの空気圧を変える
 空気圧を『少なめ』に設定します。燃費も加速性能もタイヤの持ちも悪化しますが、タイヤのグリップ力は向上します。

 部品の交換が許されるのなら、タイヤを変えるのも有効な手段です。安定性を重視するならば、ダンロップ系がおすすめです。ブリジストンのバトラックス系はさけたほうが良いかもしれません。(ミシュランやヨコハマは経験不足のためデータがありません。)



[目次]
『インターフェースについて』
1998年4月27日執筆

今日のトピックスです。  昨日付けで、臥龍 鳳雛さんが復活されていました。
 ぴか さんが、ニフティーサーブSFフォーラムに新作を発表されていました。

一歩さん日記からの話題です。

『弘法筆をえらばず』は、ご説もっともなのですが、『靴に足をあわせる』よりは『足に靴をあわせる』考えのほうがわたしは好きです。(『正しい』ということではありません。)

 工場出荷状態そのままで乗るというのは、パソコンのFEPの出す漢字を無批判に使うことに近い感覚を覚えてしまうのです。
 自分の単車であるということは、車体とのインターフェース部分を自分向けにカスタマイズしても構わないわけで、少なくともこれをすれば、自分の不甲斐なさを、車体(の調整)のせいにせずにすみます。(^^;

チェーンについて、前回『カシメ式』と書いてしまいましたが、わたしの記述の間違いです。ごめんなさい。当該箇所は『クリップ式』に置き換えて読んでください。

 クリップ式ならば、クリップを剥がすだけでチェーンは外れます。外したクリップの再利用はしないほうが良いので、新しいものを用意して置くのが良いでしょう。
 ここで、どれだけコマを詰められるかを、チェックし、あとはなじみのバイク屋さんに持っていって、チェーンを詰めて貰えばOKです。(落とせるのは1~2コマだと思います。)
 コマを落としすぎると、チェーンが繋がらないという悲劇が待っていますので、あらかじめどれだけ詰められるか、確認しておいたほうがよいかもしれません。

『突き出し調整』については図を書いて説明したいのですが、現在スキャナが手元にないので、文章で書かせてください。

 ほとんどの単車のステアリングまわりには、左右のフロントフォークを固定し、フレームのステアリングピボットに接続する三角形の板が上下2枚あると思います。(わたしはこれを『三つ又金具』と呼んでいましたが、正式名称は失念しました。ごめんなさい。) この部品をつける位置を変えることによって、(相対的にみるならフォークを別の位置で止めなおすことによって)フロントフォークの長さを調整することができます。
 この『天板』からフロントフォークが突き出している量が、『突き出し』です。

 つまり、突き出しを減らすと事実上フォークが長くなり、キャスターが寝て、安定性が増すという図式です。
 ただ、単車によってはこの調整そのものが構造的に不可能なものもあります。
 ZZ-Rはどうでしょうか。

先の発言ですが、バトラックスが駄目なタイヤだというわけではありません。

 ただ、あのタイヤはどちらかというと軽快なフィーリングを売りにしていたと記憶しているので、安定性という観点で考えた場合、さけたほうが良いのではないか、という意図の発言でした。申し訳ありません。

 以前、NSR-RG(いわゆる86年型)でバイアス時代のバトラックスのタイヤを試したことがあるのですが、バトラックスは初期挙動が軽快なタイヤ、という印象を受けました。どちらかというと、それ以前に履いていたダンロップのTT500(これもバイアス)のほうが旋回時の粘り強さを見せ、これが自分の感性にあっていたので、以降はダンロップばかり履いています。

わたしは、4ストロークのバックトルクとエンジンブレーキのほうが苦手です。(^^;
 スロットルを戻すと、一瞬、ふっと前に出る感覚がこわいです。

わたしなりにツアラー車のテツガクについて考えてみたのですが、『バイクと自分の関わり』だけを楽しむのではなく、バイクと自分と、それを取り巻く『世界』をひっくるめて愛するのがツアラーの心意気なのかもしれない、という気がしてきました。

 この境地に達するのには、わたしは、かなりの時間がかかりそうです。



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『グラウンド・ワークが続く』
1998年4月28日執筆

執筆中の読み物が暗礁に乗り上げ、気分転換のつもりで、高木正孝の『パタゴニア探検記』を手に取ったところ、気が付いたときには最初から最後まで読了してしまいました。
 この著者の名前には覚えがあったのですが、ポルトマンの『人間はどこまで動物か』を翻訳したかたであったことに、ついさっき気付きました。

昨日は雲が低くて飛べませんでした。(この日記は29日の朝に書いています)今朝も、雲が低く立ち込めています。

 ここのところ、天候が良くないため、グラウンド・ワークが続く毎日です。



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『今日も飛べなかった』
1998年4月29日執筆

はやいもので、つぎの帰国までに2ヶ月を切ってしまいました。
 ヨットには乗りたいし、あと5~6回はカイコウラに行きたいし、ワナカや西海岸には野鳥を見に行きたいし、訓練の日程+休日のカレンダーとにらめっこしている今日この頃です。

始祖鳥写真館に記事を2ページ追加しました。  デジタル写真を撮る自体は楽なのですが、画像をコンパクトに加工し、コメントをつける時点で戸惑ってしまい、なかなか作業がすすみません。
 コメントを付けていないデジタル写真がたまっていく一方です。

案の定、今日も飛べませんでした。

 駄目かと思いつつも飛行場に待機していたのですが、雲が低く、残念ながら今日の飛行はキャンセルとなってしまいました。残念。
 あした飛べることに望みをかけています。

『野外における危険な生物』(日本自然保護協会)は愛読書のひとつです。

 この本は、『人間に危害をおよぼす生物』というテーマで、哺乳類から昆虫、魚やタコやカニやクラゲ、有毒植物やキノコまで網羅し、その生物の習性や見分けかた、予防と対策などが書かれています。
 生物を『分類』でとらえるのではなく、人間にとって危険かそうでないか、という視点がおもしろい本です。

 この本を読んでいると、生き物の作り出す『毒』というもののバリエーションに驚かされます。
 生き物は、そして生命活動は、タンパク質と酵素で綴られた言語でもあるといえますが、この考えに立つのならば、生物の持つ毒もまた『言語』以外のなにものでもないのかもしれないと、ふと思いました。



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『今週はどうなっているのだ』
1998年4月30日執筆

クライストチャーチは今日も曇りでした。ATIS(空港のインフォメーションサービス)によると雲高1300ftとのことです。結局、今日も飛べませんでした。今週はまったく訓練になりません。
 明朝朝8時に飛ぶ予定なのですが、ゆくてには文字どおり暗雲がたちこめています。

ニフティサーブのSFフォーラムで、『史上最狂の創作塾』をダウンロードしました。
 そうそうたるメンバーによる、素晴らしいアンソロジーです。当日記の読者でニフティのIDを持っているかたは、一読をおすすめします。
 わたしといえば、作者諸氏の言説にうなずきながら、背筋に冷たいものを覚え、抱腹絶倒しつつ読了しました。どの作品も面白かったです。

 FSFの『感想の部屋』で作者別に感想を書くべきかと思ったのですが、芸のある感想が書けそうもないので、今回は(も)見送ることにします。(^^;

読み物書きに行き詰まり、マンガ描きをしていました。その過程で、グラフィックソフトで画像を加工し、色々遊んでいるうちにできた副産物です。
モアと狩人  モアに襲い掛かるマオリの狩人、という構図です。
もとになった画像はカンタベリ博物館のジオラマを、デジタルカメラで撮影したものです。
 色相を薄くし、コントラストをかけ、セピア色に加工したら、妙にリアルな雰囲気になりました。モアの剥製に動きが欠けているのがちょっと不自然ではありますが、画像そのものはなかなか気に入ったので、ここに貼ることにします。

 そうそう、当生息地の写真、マンガは全て Dibas32 ver 1.04(ねたろ さん作)で加工しています。( 窓の杜からダウンロードしてきました。)
 これは強力な画像加工能力をもつ、WINDOWS95用のフリーソフトウェアで、画像のJPG圧縮、サイズ変更、色調変更などにいつも重宝しています。素晴らしいソフトウェアです。


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