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生きた化石探索記



 いわゆる『原始的な形質を残しつつ、現在も生き残っているもの』
あるいは『つい最近まで生き残っていたらしいもの』を取り上げるコーナーです。



第1回 『ラダ・ニーバ』 1998年2月7日執筆 1998年3月27日改稿
第2回 『PZL-WILGA』 1999年5月5日執筆
第3回 『蒸気トラクター』 1998年12月30日執筆
 

『PZL-WILGA』 1999年5月5日執筆

 さて、今回の『生きた化石探索記』の題材は『PZL-WILGA』――ポーランド製の飛行機である。(WILGAは『ウィルガ』と発音する。筆者は、ポーランド語でツグミのことだと聞いた。)
 もとより飛行機の世界は生きた化石の宝庫で、東南アジアや南米では、未だにDC-3(C-46)があたりまえのように飛んでいる。
 そんな中で戦後に設計された飛行機を『生きた化石』というのも妙な話だが、そこは立派な理由がある。

 1939年9月1日、ドイツ地上部隊は北と南からポーランドの国境を突破した。これが、第二次世界大戦の火蓋を切ったドイツのポーランド侵攻である。5週間にわたる戦いの帰趨は読者もよくご存知のことと思う。
 このときのポーランド空軍の主力は、P.Z.L. P.11と呼ばれる戦闘機だった。これがなかなか味のある飛行機で、肩翼配置の文字通りのカモメ翼――要するに、米海軍のF4Uコルセア戦闘機を天地さかさまにしたような格好である――に固定脚を組み合わせた古めかしい外観を持っていた。
 この飛行機はドイツ空軍には結局歯が立たなかったわけだが、これは戦闘機兵力を比較してみると無理からぬことで、ドイツ空軍にはメッサーシュミットBf109が200機、Bf110が95機装備されていたのに対して、ポーランド側の戦力はP.11戦闘機が108機、旧式のP.7戦闘機を合わせても159機にすぎなかった。これを考えると、ポーランド空軍はむしろ善戦したと言えるだろう。

 ――話がそれてしまったが、今回お話する WILGAは、この P.11の直系の子孫とも言える機体なのだ。
 まず、この飛行機に搭載されているエンジンの型式『空冷星型9気筒機械式加給エンジン』が生きた化石である。
 原則としてエンジンは、シリンダーが多ければ多いほど排気量が増え、その分だけパワーが増す。シリンダーを空気で冷やすという前提で、たくさんのシリンダーをもっとも効率よくおさめるには、シリンダーをクランクケースの回りにぐるりと並べるのが理想的であり、それが星型エンジンである。ただ、星型空冷エンジンは戦後になってあまり使われなくなってしまった。現在多くの小型機が使っているテクストロン・ライカミング(アブコ・ライカミング)のエンジンは、星型ではなく水平対向式である。
 なぜかというと、ひとつには、ターボプロップやジェットなどのタービンエンジンの発達で大馬力のレシプロエンジンの必要性がなくなったことだろう。レシプロエンジンは、大馬力を出すにはあまりにも不経済なのだ。もうひとつは、星型エンジンはメインテナンス製がひどく悪いということもある。

 つぎに『機械式加給器』についてである。これはなにかというと、要するにスーパーチャージャーのことだ。同じ効果を得ようと思ったら、今時の小型機はみんな構造の簡単なターボチャージャーを使うはずである。ターボチャージャーの難しさは耐熱合金とその加工技術にあるのだが、ニッケル不足の戦時中ならいざしらず、今は軽自動車にさえターボチャージャーがついている時代である。それなのにわざわざ機構が複雑なスーパーチャージャーを使っているあたり、筆者は設計者の職人魂を感じてしまうのだ。

 このWILGAが『生きた化石』である所以は他にもあるが、それについては『始祖鳥は飛び立った』にて語ることにしたい。参考までに、本機のデジタル写真を第7回に掲載した。
 読者諸氏においては、本機の生きた化石振りを堪能なされることを祈りつつ、今回は筆をおくことにする。


『生きた化石探索記』 第2回 (完)



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