[始祖鳥生息地へ]

祖鳥のさえずり
(1998年7月1日(水)~7月31日(金)執筆分)

[最新の日記]
[前の月の日記] [次の月の日記]



 落ちも構成もない散文的な文章を垂れ流しにさせていただく日刊連載のコーナーです。

 なお、このコーナーは、ぴか さん提唱の『日記共同体』による運営です。
[日記共同体の手引き]

『日記共同体(命名・luna さん)』につどう、
偉大なる日記戦士のみなさん
『軍続日記』
by 一歩さん
『雑騒鬼』
by ぴか さん
『月の裏側』
by luna さん
『サラリーマン日記』
by 海野さん
 当地読者のみなさまに、ご併読をおすすめします。


[日記:最新版] [過去の日記(タイトル一覧)] [始祖鳥生息地へ]

第132回『車の鍵』 1998年7月1日(水)執筆
第133回『読みまちがい大王』 1998年7月2日(木)執筆
第134回『国民的科学のはなし』 1998年7月3日(金)執筆
第135回『ハエのはなし』 1998年7月4日(土)執筆
第136回『抜け毛発見』 1998年7月5日(日)執筆
第137回『黒い沼の生き物』 1998年7月6日(月)執筆
第138回『カササギの架ける橋』 1998年7月7日(火)執筆
第138回『ほんとうの虹』 1998年7月8日(水)執筆
第139回『突如カイコウラから』 1998年7月9日(木)執筆
第140回『帰ってきました』 1998年7月10日(金)執筆
第141回『大きすぎるファイル』 1998年7月11日(土)執筆
第142回『虚構をつむぐ』 1998年7月12日(日)執筆
第143回『電子辞書のはなし』 1998年7月13日(月)執筆
第144回『概念の呪縛』 1998年7月14日(火)執筆
第145回『うれしつらし』 1998年7月15日(水)執筆
第146回『始祖鳥生息地26のひみつ』 1998年7月16日(木)執筆
第147回『俺の歌を聞け』 1998年7月17日(金)執筆
第148回『イセエビぱにっく』 1998年7月18日(土)執筆
第149回『限界への衝動』 1998年7月19日(日)執筆
第150回『渡りの準備中』 1998年7月20日(月)執筆
第151回『フェロモン罠と火による調理』 1998年7月21日(火)執筆
第152回『巨大分子と味覚刺激』 1998年7月22日(水)執筆
第153回『更新をさぼってしまった』 1998年7月23日(木)執筆
第154回『ヒト・カエル起源説』 1998年7月24日(金)執筆
第155回『風邪をひいたかな』 1998年7月25日(土)執筆
第156回『ゴジラパペット入手』 1998年7月26日(日)執筆
第157回『見たかったよう。』 1998年7月27日(月)執筆
第158回『ジーンダイバーを。』 1998年7月28日(火)執筆
第159回『引越しです』 1998年7月29日(水)執筆
第160回『フライトチェック前夜』 1998年7月30日(木)執筆
第161回『合格しました』 1998年7月31日(金)執筆


[目次]
『車の鍵』
1998年7月1日執筆

今日、飛行場で、鍵を車のなかに閉じ込んでしまいました。
 あわてずさわがず針金を探し、2分かけて無事解錠に成功しましたが、車の鍵というのはほんとうにおおらかにできていますね。
 車の中に貴重品をいれるべきではないと、つくづく思います。

ぴか さん日記からの話題です。

 よく考えると『ジュラシック・パーク』に白亜紀の恐竜がいるというのは語義的な矛盾ですね。(^^;
ジュラ紀の恐竜はブラキオサウルス、ディロフォサウルスとコンプソグナトゥス(※1)くらいのもので、あとはほとんど白亜紀の恐竜だったような気がします。ヴェロキラプトル、ドロミケイオミムス、ティラノサウルス(T.rex)、トリケラトプス(※2)といった目立つ連中はみな白亜紀の出身なのですよね。

飛行訓練も大詰めを迎えました。
 今日は口頭試問のためのホームワークが山ほどでてしまったので、あえなくリタイヤです。
 『羽毛恐竜列伝』の最終回がまた先送りになってしまいました。ごめんなさい。

 飛行訓練の進捗から、次の帰国は7月末ごろになりそうです。
 ヨットの操船訓練を受けて、また馬にのって、カイコウラでシャチを見てから帰りたいですが、時間を取ることができるかどうか微妙です。もういちどカイコウラに行けるといいな。

【注釈】
※1 コンプソグナトゥス
 原作版では『プロコンプソグナトゥス』でした。ただ、この恐竜は異なる生物の化石を誤って組み合わせてしまったものだと判明し、この学名は無効になってしまいました。

※2 映画『ジュラシック・パーク』のトリケラトプス
 原作版でアルカロイド毒にやられたのはステゴサウルスでした。



[目次]
『読みまちがい大王』
1998年7月2日執筆

昨日に引き続き、今日も一日荒天でした。飛行場は閉鎖です。  まる一日、口頭試験対策のグラウンドワークに暮れました。もはや論理的な思考能力が残っていません。今日はかための話題ではなくふにゃふにゃの話題でいこうかと思います。策士溺れる。

一歩さん『ハクアキック』という語感は『ホワイトキック』(死語)に通じる間抜けさがあって、ちょっといやです。

 7月末の帰国ですが、悪天候や、飛行機の故障、またはわたしのチョンボで訓練が長引いた場合、滞在がさらに長くなる可能性があります。気合をいれて訓練をしないと、夏の間に日本に帰れません。
 笑い事ではないですね。(^^;

luna さん日記からの話題です。

 トラックに貼り付ける冗談プレートで『最大積載量・美人』『最大積載量・積めるだけ』という類のものがありますが、わたしは、一度だけ『最大積載量・会社次第』というすさまじいプレートを見たことがあります。本当です。
 ぴか さんの作品、『黒』を読んだときに、ふとこのことを思いだしました。

前段からまったくはなしがつながっていないのですがですが、わたしのここ最近な読みまちがいのいくつかをピックアップしてみました。

 そのほか、英文では expect と except をよく読み間違えて、一瞬論理が混乱して頭がくらくらすることがあります。(普通は文脈で分かると思うぞ>始祖鳥)

【注釈】
※1 『黒』
 この場をかりて、ぴか さんの短編、『黒』の感想です。

 『組織内のモラル』と『社会のモラル』の断層というものを感じました。
 組織での仕事を評価してくれるひとはやはり組織内の人間なのでしょう。
 この前提が正しい場合、個人にとって社会的モラルを遵守することは必ずしも『組織内での』自己実現にはつながらないだけではなく、むしろ有害となりえる場合もあるはずです。
 自分の属する集団が、自分にとって世界の全てになってしまったとき、『集団内での自己実現』は『社会での自己実現』と等価になります。
 既成事実を積み重ねるうちに、いつしか感覚が麻痺していくのでしょう。
 組織(あるいはシステム)の犯罪を手を汚した個人に転嫁することは妥当なのかどうか、また組織(システム)を『裁く』ということはどういうことを意味するのか。
 誰が悪いとも言いきれませんが、やはり厳然と『悪』は存在するだけに、どう見極めをつけるか、難しい問題ですね。



[目次]
『国民的科学のはなし』
1998年7月3日執筆

わたしのいつもの巡回経路、『恐竜の楽園』にて興味深い話題を発見しました。

 先日、全米科学財団が先進14カ国の国民を無作為に選び、基礎的な科学知識を試すテストを実施したそうです。
 試験は全部で20問で、その設問は以下のようなレベルのものでした。

1.地球の中心は非常に高温である。(正/誤)
2.レーザーとは焦点を絞った音のことである。(正/誤)
3.喫煙は肺がんをまねく。(正/誤)
4.最古の人類は恐竜と同じ時代に生きていた。(正/誤)
5.地球が太陽を周回するために必要な時間は以下のどれか。(1日、1ヶ月、1年)
6.『分子』とはなにか。あなたの言葉で説明せよ。

(以下略)

 もっとも成績の優れていたのが米国で、正答率はデンマークと並ぶ55%でした。
 英国(注:原文では England ではなく Britain と表記されている)、フランス、ドイツもこれに次いで50%以上の正答率を示しています。
 日本の正答率は36%で、試験を実施した14カ国中、13位とのことでした。
 妥当な結果であると思いつつ、ワールドカップの試合結果にイメージを重ねる今日この頃です。



[目次]
『ハエのはなし』
1998年7月4日執筆

昨日午後から左耳の調子がどうも変でした。
 もしや航空中耳炎かと気をもみましたが、念のため3回ほど抗生物質を飲んだらあっさり直りました。

 ということから連想が働きまして、今日はウジ(ハエ)のはなしをすることにします。
 われながらすごい論理の飛躍。

とはいっても、まったく脈絡がないわけではありません。

わたしたちにとってもっとも身近なイエバエ(※1)のウジは、『私たちから見て』非常に劣悪な環境下で生育します。脊椎動物とは違い、免疫系を持たないはずの昆虫が、残飯、腐肉、排泄物といった、病原菌だらけの苛烈な環境下で生きていけるのは、一見不思議なことでもあります。これは、ウジが独自の抗生物質を出しているからなのです。

 ちょっと前の戦争(第一次世界大戦あたり)で負傷し、その傷が化膿した場合、病院で手当てを受けるまでそこにわくウジをそのままにしておいたとききます。そこにウジがわくと病原菌の繁殖がおさえられることを、当時の軍医は経験則で知っていたのですね。

抗生物質といえば、それの濫用に由来する耐性菌が医学上で問題になっています。細菌に対して従来の抗生物質が効かなくなり、対策として新しい抗生物質を投入しても、それに耐性をもつ細菌が早晩あらわれてしまうため、その抗生物質も無効になってしまう――という困った現象です。(※2)

 ならば、ウジ由来の抗生物質を濫用し、耐性菌をつくれば、薬を使っている間は病気も治せるし、ウジを駆除することもできて一石二鳥――かというと、そうはうまくはいかないようです。ハエのほうも病原菌の進化以上のはやさで新しい抗生物質をつくりだす能力を持っているためです。
 この意味ではハエも、終わりのない追いかけっこをしているといえます。

ハエといえば、その優れた飛行能力も見のがせません。

 原始的な昆虫である、トンボ(トンボ目)やバッタやキリギリス(直翅目)は、筋肉でじかに翅を駆動しています。もちろん、飛ぶためには単なる往復運動で上端と下端で翅をひねらなければなりませんが、この方法ではひねりを自前の筋肉でおこなわなければならないため、打ち上げと打ち下ろしで、筋肉の動きが非対称で、効率が悪いのです。

 しかし、このことは逆に、自動的にねじれ角が制御される仕組みがあれば、筋肉の動きは上下対称ですむということでもあり、高度に進化した昆虫では、この方法がいくつかの系統で独自に編み出されています。
 例えば、ハチやアリの仲間(膜翅目)は4枚の翅を持っています。これが一見したところ2枚翅にみえるのは、前後翅が『かぎ』でつながっており、前後の翅が同じように動くためです。2枚翅にしか見えず、かつ同じようにしか動かないものならば、退化・癒合しそうなものですが、あえてそうなっていないことには理由があります。これは上端と下端で翼面に『ひねり』をいれるための工夫なのです。

 さて、ハエはハチよりもさらに優れた飛行者です。ミツバチとハエの飛びっぷりをイメージするとわかりやすいと思います。ハエは翅を2枚だけ残し、後の2枚を『平均棍』と呼ばれる器官に変えました。この器官は、振動はしていますが空力的な役目ははたしておらず、もっぱら飛行中の進路変化を感知するものだといわれています。もっとも、ハエくらいの大きさになると、平均棍はその大きさをはるかにうわまわる空気のかたまりを捕らえるはず(レイノルズ数の関係)なので、あるいは空力的な要素もあるのかもしれません。(これは通説ではなく私見です。)
 先に述べたとおり、ミツバチは前後の翅を鉤でつなぐことで翼面のひねりを実現していますが、ハエは翅を2枚に減らしていますから、この方法は使えません。結論を言うと、ハエの仲間は、『ちょうつがい』そのものを改良したのです。こう書くと簡単そうですが、この改良を達成するために、昆虫は石炭紀から三畳紀初期までの時間を費やしています。このあたりになにか進化史上ののブレイクスルーがあったのかもしれません。

現在の昆虫はそのほとんどが10mm以下で、体長でいって石炭紀に生きていた祖先の5分の1以下の大きさです。初期の空を飛ぶ昆虫は現在考えると巨大なものが多かったですが、それらは三畳紀に登場する地上性の爬虫類に食べ尽くされてしまったのか(^^;、以降の種類は小型化の傾向を示しています。昆虫の歴史は、小型化の歴史とも言えるのです。ショウジョウバエの大きさの、飛行可能なトンボは知られていません。

 実のところ、小型の昆虫よりもある程度の大きさがある中型から大型の昆虫のほうが、飛ぶことそのものは構造的に楽だといいます。大型の昆虫は特別に飛行のための筋肉を発達させずとも、普通に羽ばたいて飛べるわけです。はばたいて飛ぶ生物は、小さくなればなるほどはばたきの振動数を増やさなければなりませんが、筋肉はそうむやみに速く動けるものではありません。結局、小型化の限界は筋肉の収縮速度の限界に制約されることになります。

 小さいものが飛べるというのはすごいことです。0.1mmの物体を『浮遊』ではなく『飛翔』させるということは、少なくとも現在の人類の技術では不可能です。

ウジ、ハエについてはいろいろとえぐい話とわたし自身の体験がありますが、読者の減少が心配なので、今回は自粛します。(^^;;;

【注釈】
※1 もっとも身近なハエ
 『キイロショウショウバエのほうがなじみぶかいぞ』という分野のかたもいらっしゃると思いますが、今回は棚上げさせてください。個人的な好みをいえば、キイロショウショウバエはかわいくて好きです。そういえば、このあいだキイロショウショウバエの全塩基配列を掲載したホームページを発見しましたが、アドレスを失念してしまいました。

※2 イタチごっこ
 『ノロイ』の扮装をして、ネズミどもをばったばったとなぎ倒す遊び――ではありません。



[目次]
『抜け毛発見』
1998年7月5日執筆

朝起きると、枕元に妙に抜け毛がちらばっていました。2日間飲み続けた抗生物質のことをふと想起しましたが、因果関係ははっきりしません。いや、そうだとしても中耳炎になるリスクを思えば、髪の毛が抜けるくらいは許容範囲です。

3日の日記に引き続き、全米科学財団の基礎科学知識テストの話題です。

 一歩さんご明答。全問正解です。
 ただ、気になったところをひとつだけ補足させてください。

>2.レーザーとは焦点を絞った音のことである。
>×。但し音波と光線を波長というキーで同一視するなら定かではない。

 この設問は二重の意味で誤謬を含んでいるので、単純に音を光に置き換えてもやはり誤りです。焦点(focus)を絞るだけで良いのなら、虫眼鏡で太陽光線を集めたものはレーザーと呼ばれなければなりません。(^^;
 正しくは『レーザーとは位相(phase)のそろった光である。』ですね。

この科学知識テストの裏を取るために全米科学財団のホームページをあたってみたのですが、該当するドキュメントがありませんでした。この試験結果がワシントンポスト紙の誤報でないとすれば、これからコンテンツが追加されるのでしょう。
 そうそう、先日の日記で『日本は14カ国中12位』という記述をしてしまいましたがこれはわたしの誤りで、ワシントンポスト紙の記事によると、正しくは『日本は14カ国中13位』でした。該当箇所は修正しておきました。

 わたし自身は、日本人の科学知識の貧困さを良いとも悪いとも思っていません。基礎的な科学知識などなくても生きていける環境はありますし、むしろそういう環境のほうが多いのですよね。
 ところで、一歩さんの日記からの引用ですが、

>何が一番大事だ、と問われて、科学と答えるか、政治と答えるか、宗教と答えるか。
>大別するとそういう人間分類で、この正答率は変わる気がする。

 上記の文章は、日本人は政治や宗教に重きを置いているから科学知識がぞんざいになる、ということを主張したものなのでしょうか。(読解力不足をご容赦>一歩さん)
 そうだとするなら、わたしはどうも違うような気がします。(^^;



[目次]
『黒い沼の生き物』
1998年7月6日執筆

ネイチャーにて興味深い記事を発見しました。 スコットランド・イーストカークトンの3億3400万年前のへき頭から面白い化石が発掘されたそうです。

 なにがどうおもしろいのかといえば、この化石の系統が現生の陸上脊椎動物のそれと違っているということです。現生の陸上脊椎動物は、両生類の系統と羊膜類(※1)の系統に大別できます。両生類は切椎類に起源し、羊膜類はアントラコサウルス類にルーツを持っているというのが定説となっています。ところが今回発見された化石は、このどちらの系統でもなく、第3の系統であるバフェツス類という良く知られていない分類に属するものです。今回の化石資料の発見はこの動物群を読みとく大きな手掛かりになりそうですね。

 この動物はEucritta melanolimnetesと名づけられました。これは『黒い沼の生き物』という意味だそうです。(※2)

一歩さん日記からの話題です。

 確かに LASER を展開するとlight amplification by stimulated emission of radiationぴか さん自家用S事典F風味より)、つまり直訳すると『電磁放射励起による光増幅』のことなので、レーザーメスもレーザーポインタもレーザーディスクもレーザー測距装置も用法としては間違いということになります。laser という言葉で出力された光をあらわすことは、電子レンジを microwave と呼び習わす程度に気持ちが悪いですね。気付きませんでした。

 これは出典を思い出せないのですが、レーザーは装置の名前だったと耳にしたことがあります。これが本当なら『電磁放射励起による光増幅装置』というわけですが、ぴか さんの解説を読むと amplifier ではなく amplification となっているので確信がもてません。

【注釈】
※1 羊膜類
 羊膜類とは発生時に羊膜などの胚膜を形成する動物のことで、爬虫類、鳥類、哺乳類がこれに含まれます。無顎類、魚類、両生類は無羊膜類です。

※2 学名の由来
 裏を取るためにラテン語の辞書をひいたのですが、残念ながら載っていませんでした。どうやらギリシア語でつけられた学名のようです。かろうじてわたしにわかるのは『melanos』(黒:ギリシア語)だけです。(^^; ギリシア語事典を買ったほうが良いみたいですね。



[目次]
『カササギの架ける橋』
1998年7月7日執筆

『鵲(かささぎ)の渡せる橋に――』 旧暦7月7日の夜、牽牛(アルタイル)、織女(ベガ)の2星が天の川を渡って逢うという伝説は広く知られるところですが、さしわたし数十光年の(数百光年か)翼をひろげて天の川に橋をわたし、逢瀬を助けるのがカササギなのだそうです。『銀河鉄道の夜』に登場する天の川のカササギにはこういう意味が含ませてあったのですね。(わたしがこれに気付いたのは、かなりあとになってからのことです。)

カササギの体の大きさはハトくらいですが、尾が長いので実際よりも大きな鳥に見えます。胸腹と背中が白いので、この鳥を見間違えるひとはほとんどいません。鳴き声は『カシャカシャカシャ』という風にきこえる騒がしいものです。カラス科の鳥らしく、声は奇麗ではないのですね。(日本の家の近くに営巣していたオナガは元気だろうか。)
 これまたカラス科の特徴ですが、この鳥は、ぴかぴか光るものが好きなのです。その証拠に、この鳥の学名はピカ・ピカ(Pica pica)といいます。(^-^)(※1) もちろん光るものを集めてどう役立てるということもありませんから、好きで集めているのでしょう。そういう意味でカラス科の鳥は純粋なコレクター、心底マニアックな奴なのです。
 この悪癖(?)が災いしてか、フランス語やイタリア語ではこの鳥の名前は泥棒の代名詞になっていますが、この習性はカササギに限らずカラス科の鳥全般に当てはまるので、代表選手に選ばれてしまったカササギがすこし気の毒ではあります。

ニュージーランドにもカササギ(Magpie)と名の付く鳥は2種類住んでいます。
 Black-backed Magpie(Gymnorhina tibicen tibicen)と White-backed Magpie(Gymnorhina tibicen hypoleuca)です。
 郊外の道路を車なり、バイクなりで走っていると良く見かけますが、町の中心部ではあまり出会わない鳥です。(このあいだ、街の中の公園で餌をついばんでいるのを見たときには驚きました。)この2種は、日本のカササギとは別種どころか別属で、体は大きく(ハシボソガラスよりこころもち小さい程度)尻尾も短いのですが、色はとりあえずカササギ的です。白黒2色といえばコクマルガラスもそうですから、カラス科の鳥にとってはこれは割合ポピュラーな配色なのかもしれません。

【注釈】
※1 ピカ・ピカ
 残念ながらぴか さんとは無関係らしいです。以前直接お会いしたときに確かめました。



[目次]
『ほんとうの虹』
1998年7月8日執筆

今日のクライストチャーチは雲高が1000フィート強のどんよりとした曇り空でした。飛行訓練も本来なら中止のところだったのですが、今日はなんとか飛びました。
 雲の切れ目を抜け、雲海を超えて2500フィートまで上昇すると、そこに見えたのは、真っ白な雲の平原です。雲にかかった円形の虹が、自機の後をいつまでもついてくるのが見えました。(ブロッケン現象といわれるものですね。)いつも地上で見るアーチ型の虹は、実は不完全なものであることに気付かされます。たしかに光学的見地から考えても、円形こそが虹本来のかたちであるはずです。

 ひとに『なぜ飛ぶのか』と聞かれたとき、『ほんとうの虹をみたいから』と答えるのも悪くないかも――と考えをめぐらす今日この頃です。



[目次]
『突如カイコウラから』
1998年7月9日執筆

今、ホエールウォッチングで世界的に有名な町、カイコウラでこの日記を書いています。

 今日明日2日間、操縦訓練がキャンセルになったので、急遽カイコウラ行きを決定したのです。土砂降りの中、クライストチャーチから2時間車を走らせて到着しました。

 明日はホエールウォッチングです。天候が思わしくないので不安です。
 船が出るといいな。



[目次]
『帰ってきました』
1998年7月10日執筆

さきほど帰ってきました。

シャチは見られませんでしたが、マッコウクジラを2頭と、ダスキードルフィン(ハラジロカマイルカ:Lagenorhynchus obscurus)の200頭の群れに逢うことができました。
 鳥は、アホウドリとミズナギドリの仲間を二種類見られました。速すぎてデジタルカメラでは追えませんでしたが、特徴はしっかりノートしておいたので、あとで種を同定してみます。

 カイコウラでのホエールウォッチングについて:
 Whale Watch Kaikoura - New Zealand's Whale Watching Experience

浮上して休息中のマッコウクジラ
浮上して休息中のマッコウクジラ(Physeter macrocephalus)です。

明日朝一番で飛行訓練があるので、今日はここで失礼します。

当地のリンクコーナーの3ページ目に不具合を発見したので修正しておきました。



[目次]
『大きすぎるファイル』
1998年7月11日執筆

ぴか さん、 laser についての ご教示、ありがとうございます。
 英英辞典をひいてみることは気付きませんでした。
 原理の説明の略称を装置の名前に転化することは英語の思想(?)ではさして珍しくないのですね。

一歩さん日記からの話題です。

 バフェツス類はどういう生物であったのか、ほとんど知られてないのですが、今回の発見はその全貌を明らかにする意味で重要なものだそうです。『ネイチャー』を読むためにはカンタベリ大学の図書館か、国際南極センターの資料室まで行かなければならないのですが、両方とも土日は開いていないのです。今週、暇を見て調べてこようかと思っています。

 『虹の輪をくぐる虎』はすばらしいです。さすがは『光下』シリーズの一歩さん。そのまま短編の素材になりそうですね。


 ――あざとすぎますか。(^^;

一歩さんluna さんのフォーマットに準拠するべく、当地の日記ページを週ごとから月ごとに編成し直してみたのですが、なんと3月分の日記が150キロバイトを超えてしまいました。
 いったいなにを書き散らした結果なのか、5月、6月も110キロバイトを超えています。少なかったのは書きはじめの2月と、イースター休暇をはさんだ4月でしたが、いずれのページも90キロバイト近い大きさです。
 ページをロードすると、ものすごい勢いでスクロールバーが縮んでいきます。この時点でブラウザのバックボタンを押したくなる衝動にかられます。自分自身にしてこのていたらくですから、これでは誰にも読んでもらえそうにありません。(^^;

 迷った挙げ句、編集した月別編成の日記はアップロードしないことにしました。
 日記共同体からリンクされていない話題で、なおかつエンターテインメントしていない内容は、容赦なく消していこうかと思っている今日この頃です。



[目次]
『虚構をつむぐ』
1998年7月12日執筆

一歩さん日記から『虹を絡めたお話』の話題です。

 あははは。わたしには小説書きは無理ですよう。(^^;
 わたしは根本的なところで小説を書くことにはむいていないようです。説得力あるフィクションを書くためには、まず自分自身をその虚構に納得させる(※1)ことが必要であると思うのですが、わたしの場合、自分自身をいかにうまくだますか(納得させるか)という段階で挫折しまうのです。わたしにできるのは『こんなお話が読みたい』と好き勝手をいうのがせいぜいのところですね。(^^;

 一歩さんの『竜の巣』風アプローチや、哲学的なアプローチのものこそ読んでみたいです。『竜の巣』のほうは少年の成長物語としての側面が、『虹の輪のむこう』は世界を隔てる『彼岸』のメタファーが感じられてすてきです。(虹には、雨に付随するものとしてのイメージもありますね。)

一歩さん日記から、1ページあたりのファイルの大きさの話題です。

 日記からの相互リンクということを考えると、日記の読者は一日分5キロバイトの文章を参照するためにリンクをクリックするはずです。その際に150キロバイトものテキストが読みこまれたら、さすがに読者は辟易するのではないかと恐れています。わたしの拙文のためにはたしてひとは2分も3分も待ってくれるものだろうか、ということを思うとすこし背筋が寒くなります。(^^;

 わたしは、芸を見せるためにホームページを開いています。
 海野さんの以前のホームページに『ひとがホームページを作るのは、目立ちたがりやだからなのである』というコラムがありましたが、わたしの場合はまさにそのとおりで、『受け』をとること、読者に『おもしろい』と思ってもらうことがわたしにとって第一義の課題です。さらにいえば、わたしの拙文を『おもしろい』と思ってもらえたなら、ついでに生き物や飛行機に興味を持ってもらえるかもしれない、というよこしまな動機も少しあります。

 読んでいただいたうえで『芸風が気に入らない』『おもしろくない』と見切りをつけられ、バックボタンを押されてしまうのは、芸がいたらないゆえで、当然のことであると思います。しかし読んでさえもらえないのでは、お話になりません。

これがこわいこともあって、今のところ記事は一週間単位で分割していますが、細かく分けたほうがかえって不親切ではないかという考えも否定しません。
 全文を通して読もうとする場合、細かく分割することは、何度もリンクを押す動作が必要です。手間がかかります。全文を通しで読んでくれる読者は多くは好意的読者であることを考慮すると、これは積極的に読んでくれる好意的な読者に手間を強いるということでもあります。難しい問題ですね。

『有効でなくなったアンカーをどう処理するか』という問題に関しては、アンカーからURLをふりわけてくれるJAVAスクリプトさえあれば、問題はあっさり解決するかもしれません。『nikki.html#n19980711』というURLを受けて『nikki022.html#n19980711』を開いてくれるアルゴリズムがJAVAスクリプトの文法で可能かどうかがポイントです。

 これとは別件ですが、JAVAサーブレットかCGIを使って、参照形式によるファイルの自由な結合・分離(十分に速いことが前提です)ができないものか、臥龍 鳳雛さんに聞いてみようかな。
 普通の読み物風に、新しい日付の記事を一番下に持ってきたり、キーワードを含む記事を抽出したり、プルダウンメニューで表示件数を指定できたりしたらおもしろいのですが、これはサーバーに負荷をかけそうですね。

【注釈】
※1 虚構(フィクション)について
 かつて起こりえた、または起こっている『現実』と呼ばれているものも、必ずしもこの世界の真の姿をあらわすものではないという意味で、ひとつの虚構といえます。そうでなければ『新発見』や『新事実』というものが出てくるはずもないですね。しかし、現実と呼ばれているものが虚構であるにしても、これはもっとも説得力のある種類の虚構なので、これに準拠する虚構はまだ自分を納得させやすいということはあります。

 しかし、これがファンタジーとなるともう絶望的です。SFは、その論理的整合性を、自己暗示をかける武器として使えますが、ファンタジーの場合はよりどころになるものが自分自身のなかにしかないわけです。ここにファンタジーの作家さんのすごさがあると思います。少なくとも物語を書きあげるまで、虚構を維持するだけのエネルギーがあるということなのでしょう。



[目次]
『電子辞書のはなし』
1998年7月13日執筆

ぴか さんMS BookShelf は使い勝手が良さそうですね。英英辞典まであるとは知りませんでした。辞書内容の単語検索速度はどのくらいなのでしょうか。類語辞典や漢和辞典もあるのでしょうか。質問攻めでもうしわけありません。

 わたしは ViewDic というソフトを使っています。
 今使っている機械は東芝リブレットの一番古い機種なのですが、これに標準添付されてきました。内容は、デジタル化された岩波国語辞典とEASTID英和・和英辞典です。漢字の用法などで迷ったとき、IMEで変換されない文字を探すときなどに重宝しています。

 デジタル環境下の文章書きにとっては特に、辞書ソフトはメリットがあると思います。書きながら辞書をひけるというのはなににも変えがたい便利さです。難点は、価格が一般の書籍よりも大幅に高いということですね。
 ほんとうに、デジタル辞書はなぜ高くなってしまうのでしょう。CD-ROMをプレスし、流通させるコストが、分厚い辞書を製本し、流通させるコストを上回るとはあまり思えないのです。価格が高くなるのは、ビューワーの開発費と、デジタルコピーされることを見越した対策なのでしょうか。

luna さん日記『見知らぬ他人に話し掛けるとき、相手にどう呼びかけるか』というお話が、おもしろかったです。
 エンターテインメントとしてのエッセイは、こうあるべきなのでしょうね。



[目次]
『うれしつらし』
1998年7月14日執筆

ぴか さんMS BookShelf についての詳しい解説、ありがとうございます。

 英英辞典と故事ことわざ事典、類語辞典が魅力ですね。これに漢和辞典と百科事典が加わればいうことなしです。百科事典といえば、このあいだ、パソコン屋さんでオックスフォード百科事典のCD-ROMを見つけました。CDはたしか2~3枚組みで、400ドルもの値段が付いていました。(^^; 高価なのでとても手が出せませんでしたが、『旺文社マイペディア』よりは、はるかに役に立ちそうです。

先日のプロットについて、一歩さんに続いて、luna さんプレッシャーをかけてくださいました。

 ううう、嬉しいけど苦しいよう。(泣き笑い)

 『紅の豚』はチェコフィルだったのですね。『ジャイアント・ロボ THE ANIMATION』(CD持ってます(^^;)がワルシャワフィルであることは知っていましたが、これは知りませんでした。



[目次]
『概念の呪縛』
1998年7月15日執筆

日本にいるときには絶対に読みそうもない本を読了した。

 『空と無我』 定方 晟 講談社現代新書

 仏教の持つ諦観主義を、わたしはあまり好きになれません。
 確かに心頭滅却すれば火もまた涼しいのかもしれないが、これは現世からの逃避ではないしょうか。いつでもどこでも平安な心を持てるということは、本人の幸せであるかもしれませんが、これは今自分自身が暮らしている世界を積極的に住みよくしていこうという努力を放棄することにつながる危険を内包した、諸刃の剣ではないでしょうか。『アジア的停頓』という言葉が頭に浮かびます。
 この世界に生きる存在になにかできるのは、やはりこの世界に生きる存在なのであって、『壊れるものは壊れる』的に諦観した考えかたは敗北主義的で、正直なところ認めたくありません。

 しかし、いかにして『概念の呪縛』から自由になるか、という点においては、『空』と『無我』には大変な叡智が隠されていると感じます。わたしたちは言葉を使って世界を切り取っている以上、その言葉に沿ってしか思考できないのは自明の理です。言葉はすなわち文化に依存するものといえます。わたしたちは、文化の呪縛を受けつつ思考し、行動していることを認識する必要があるのでしょう。
 『空』とは世界の相対化、『無我』とは、自己の相対化なのでしょうか。



[目次]
『始祖鳥生息地26のひみつ』
1998年7月16日執筆

一歩さん日記からの話題です。

 わたしは関西人ではありませんが、『人間ウケてなんぼ』ということに関しては、天地万物宇宙の真理にかけて同意します。創作にかぎらずコミュニケーションというものは相手があってのもの、ひとりよがりはだめですね。わたしの場合、気をつけていないと、書くもの全てひとりよがりになってしまうので難儀しています。

 さて、テキストの長さについての話題ですが、この日記くらいの文章量ならば、一週間ごとに分割するのが妥当のような気がします。上限は半月単位ですね。一日あたりの文章量によるとは思いますが、一画面あたりの文字数が50キロバイトを超えてしまっては、中身を読んでもらえないような気がするのです。『まとめて大量に』というのも説得力がありますし、豪快で良いと思うのですが、『あまり押しが強いと、ひかれてしまう』ということもありそうです。(^^;

 それから、リンクについてのご指摘ありがとうございました。ご指摘の通り、NARUMI さん さんのところには相互リンクコーナーはありません。当地のリンクを整理したときの手違いでした。配置は直しておきました。

以下、当地の読みやすさを向上させるための小細工、『始祖鳥生息地26のひみつ』の曝露です。

 26には全然足りませんが、あとはやっぱりひみつです。

そのほか、気になっているのは改行幅の設定ですね。
 手元にあるのは640*480しか表示できない環境なのでよくわかりませんが、800*600以上の大画面で読んでいるかたには読みにくいのではないかと想像しています。やはり、70~80文字で折り返すべきなのでしょうか。
 しかし、単純に<BR>タグをいれると、行にまたがった検索ができなくなってしまうのが難点です。テーブルを使い、項目の幅を決めて表示する方法がよさそうですね。
 これは帰国してから対処する予定です。

【注釈】
※1 ファイルに落とす
わたしの場合、文章系のサイトはいつもこの方法を使って読んでいます。キャッシュに落とすよりも確実ですし、履歴が残せるうえに、ほかのひとのHTMLを研究することもできるので、とても便利です。



[目次]
『俺の歌を聞け』
1998年7月17日執筆

飛行場から帰ってきたところ、家の木の枝で Song Thrush がさえずっていました。写真はデジタルカメラに双眼鏡をあてて撮影しました。

 ニュージランドはいま真冬。冬はかれらのブリーディング・シーズンなのです。
 Song Thrush は、その名にふさわしく歌の上手な鳥です。かれの美声はメスにだけではなく、ヒトのオスであるわたしにもてきめんに効果を発揮したようで、わたしはかれが飛び去るまでその声に聞き惚れていました。いい声でした。

Song Thrush(<I>Turdus philomelos</I>)
一心にさえずるSong Thrush(Turdus philomelos)の連続写真です。

海野さん日記からの話題です。

 コラムのコーナーがなくなったのは、そういうわけだったのですね。
 書き上げた記事が論説のかたちになっていないのなら、エッセイのコーナーを新設するというのはどうでしょう。(^^; 日記にぬりこめるというのも良いかもしれないです。

 『ホームページ(創作)は自己顕示のあらわれである』という命題ですが、他者とコミュニケーションを持とうとする行為は、すべて自己顕示のあらわれと言えますから、これは間違いなく正しいと思います。煙草屋でハイライトを一箱指定して買うことも欲求衝動の具現化という意味でまさにそうですし、親切心などの利他行動によるものであっても、自分の思うところを相手に伝えることは、やはり自己顕示といえます。
 これは、コミュニケーションの本質かもしれません。

 ただ、この命題は確かに真実をついているのですが、あまりにも適用範囲が広範にわたりすぎているかもしれないですね。日本人をつかまえて、『日本は地球上にある』と主張しても感心してくれるひとは少ないような気がします。(^^;



[目次]
『イセエビぱにっく』
1998年7月18日執筆

以下のはなしは実話であるそうです。
 伝え聞いたところをわたしの文章力でどこまで表現できるかが疑問ですが、とにかく今回はみなさんに聞いていただこうと思います。

かれは商業パイロットであった。
 小さな飛行事業会社の例に漏れず、かれの仕事はこれと決まっているわけではない。あるときは空中写真撮影、またあるときは観光飛行、そして軽貨物の輸送であったりする。
 そのときの仕事は、南島から北島に海産物を輸送することであった。使用機種はセスナ206。単発機ではあるが、かなり大きな飛行機である。最前列のシート以外はすべて取り払われ、クリンナップされていたから、後部の荷物室には相当の荷物が詰めたはずだ。

 かれは、そのスペースに巨大なコンテナを積み込み、離陸し、北島に針路をとった。いつもの飛行と、特に変わることはなかった。強いて言えば、南島と北島を隔てるクック海峡に差し掛かったときに激しい乱気流に遭遇したことくらいだろうが、このあたりはもともと気流が悪いので、珍しいことではない。かれは乱気流と格闘しつつも、そのまま飛行を続けたのである。

それからしばらくしてからのこと、かれは首筋にむずがゆい感覚を覚えた。
 いぶかりつつ、後ろに手をのばす。『むずがゆさ』をつかまえたその手を戻してみたところ――手中にあったのは元気なイセエビ(クレイフィッシュ)であった。念のために補足すると、全長は40センチ。

 あわてて後ろを振り向いてみると、何十ダースもの(『何十匹』ではない)イセエビが最後部の隔壁をかきむしっている。  この時点になってはじめて、かれは荷物の固定が甘かったことに気づいた。そう、乱気流でコンテナ(といっても薄いプラスチックの箱)が荷くずれを起こし、積み荷の生きたイセエビが解放されたのである。
 そのうちに、後部が行き止まりであることに気づいたのだろうか、クレイフィッシュ軍団は大挙して前に押し寄せてきた。なにしろ『積荷』がまとめて前に移動したので、機体のバランスが危険な状態になった。さらには足元のラダーペダル(飛行機の鼻先を左右に振る操縦系統)の裏側に潜り込むものまであらわれる始末である。(なにしろイセエビは穴が好きなのだ。)案の定、あっさりとラダーが効かなくなってしまった

 この時点でかれは不時着水も考えたそうだが、眼下の海にはサメが団体で泳いでいる。クレイフィッシュとサメの団体を比較した場合、どちらかというと前者のほうが好ましいかもしれない。かれはこの状態のまま陸まで飛び続け、ウェリントン空港への緊急着陸に成功し、事件はとりあえずの決着をみたと聞いた。

後日、エンジニアが機体内部をチェックしたところ、ラダーペダルの裏側から、押しつぶされた15匹のクレイフィッシュを発見したとのことである。

教訓:荷物はしっかり固定しよう。



[目次]
『限界への衝動』
1998年7月19日執筆

中学生だった頃『ブルー・サンダー』という映画を見に行ったことがある。その劇中に、ロイ・シャイダー扮する主人公が、あるタスクを自らに課すシーンがあった。地下駐車場のなかをスラロームしながら最短時間で駆け抜けるというものだ。映画の登場人物が、自分と同じようなことをしているのを見て、いわく言いがたい感慨をもったことを覚えている。

高度をぴったりあわせて急旋回するとき、単車で限界ぎりぎりのコーナリングをするときは、小賢しい自我などはどこかに吹き飛んでしまい、純粋な感覚そのものがそこにある。小賢しい自己など存在しない。ただ、甘美な真空だけだ。
 肉体(脳も含む)を限界まで駆使することは苦痛ではあるが、心地よくもある。旅にでかけることも、山に登るのもこのあたりのロジックが働いているような、そんな気がする。

 『なぜ山に登るのか』

 あまりにも当然のことすぎて、かえって答えにこまる問いというものは確かにある。

luna さん日記からの話題です。

 物語の断片が、こういうかたちで集積されることによって、『メタ』物語としての面白さを感じさせられました。
 完成された水晶細工と同様に、もちろん水晶のかけらにも魅力があるのですよね。



[目次]
『渡りの準備中』
1998年7月20日執筆

今日は休みでした。
 今週末か来週に飛行機のフライトチェック(実地試験)があるので、おそらく今日は試験前の最後の休みになるはずです。
 というわけで、たまっていた洗濯物をまとめて片づけ、郵便局で段ボール箱を買い求め、カンタベリ大学に足を運んでEucritta melanolimnetesに関する論文(参照:当地7月6日)のコピーを手に入れ、部屋の掃除と日本に送る荷物の荷造りをして一日を過ごしました。
 明日朝一番に荷物を発送する予定です。

 掃除の過程で、ショート・サンダーランド飛行艇の窓を発見しました。ワナカの航空ショーで買い求めた、飛行艇の舷側に付くアクリルの丸窓です。買った本人もすっかり忘れていました。

 こんなものなんにつかうのだ、わたし。

 とりあえず車にでもつけるのも面白かろうと思ったのですが、よく考えると、わたしは日本では単車しかもっていないのでありました。

ぴか さん日記からの話題です。
 フェロモンというものは個体間の『信号』に使えるほどですから、特殊な物性を持っているのは間違いのないところですし、行動に作用するものですが、生物のホメオスタシスに直接かかわるものではありません。コミュニケーション手段として使われる物質ですから、わたしたちの『言葉』や、鳥の鳴き声に例えられるべきものですね。フェロモンによって虫を捕獲することを否とするなら、虫の持つ正の走光性を利用する『誘蛾灯』も否定しなければなりません。

 昆虫にとってフェロモンはあくまでもコミュニケーション手段です。この意味で、生物の本質である『動的平衡』に直接作用するホルモン類似物質とは、また事情が違うような気がするのですが、わたしの認識は甘いでしょうか。

 しかし、『特定の害虫にメスばっかりうまれる薬品』が作られるとしたなら(ホメオスタシスに直接作用するという意味で)ご指摘の通り、非常に危険なことだと思っています。

ぴか さん『この世はSF』からの話題です。

 火を使った調理の起源ですが、これは動物行動学よりは文化人類学のトピックですね。(イヌイットの味覚というものはどんなものなのでしょう。)

 ヒト(に限らず多くの哺乳類でも)にとって味の嗜好は学習によるところが大きいのではないかと考えています。
 フライドポテトやハンバーガーを専門にあさるカラスや、インスタントラーメンしか食べない野良猫がいることを考慮すると、火を通した食物に対する嗜好の変化は、ほとんど一代で起こったのではないかと想像できます。生まれて以来、生肉しか食べたことのないひとが、火を通した肉をおいしいと思うかどうかは疑問です。

 ただ、『塩味』についてはこの限りではありません。塩分というものは地上性の動物にとって貴重なものなので、草食、肉食を問わず、この味を好む傾向があるようです。
 こういうことから、ヒトは、『火による調理』よりは、むしろ『味付け』をおいしいと感じているのではないかというのがわたしの説なのですが、いかがでしょうか。
 生肉(生魚)に醤油をかけたものと、焼いた肉に何もかけないものとでは、わたしは前者をおいしく感じるというのがこの説の根拠だったりします。(^^;

【注釈】
※1 ショート・サンダーランド
 第二次世界大戦で活躍したイギリスの4発飛行艇です。

※2 ホルモン類似物質
 環境ホルモンというのも奇妙な日本語ですね。出所はお役所言葉でしょうか。内分泌撹乱物質といえば意味が通るものを、わざわざ本質を避けて通るような言いかたをする必要はないような気がします。



[目次]
『フェロモン罠と火による調理』
1998年7月21日執筆

昨日の話題についてぴか さんから日記でお返事をいただいたのですが、わたしのアップロードから、わずか数時間しか経過していないタイムスタンプを見て仰天しました。
 迅速なお返事をいただきまして、たいへん恐縮しています。

 件の罠においてのフェロモンの役割は対象を『ハーメルンの笛吹き』(※1)的に誘引することにあるのであって、対象を直接殺傷したり、不妊化するものではないはずです。捕獲した対象をあとから殺傷するなら同じという考えかたもありますが、それを問題にするならば(農薬などの)ほかの方法を使った場合でも、同様のことが言えるのではないでしょうか。

 生態系を自らの都合の良いように操作し、それを搾取している以上、ヒトの行ないはすべからく卑怯なものではありますし、フェロモン罠を手放しで礼賛はできませんが、生物濃縮の可能性のある毒物を積極的に撒布する方法に比べると、次善の策と言えるのではないかと思っています。性フェロモンは、種を区別するためにも使われている物質ですから(それだけではありませんが)、ターゲットを絞りやすいということもあります。生物濃縮の危険をともなう現状の農薬や、数十年前に流行した天敵導入法と比較した場合、生態系に与えるインパクトは低く抑えられるのではないかと考えています。

 性誘因を受けたときに身体が恒常的でない反応を示すことはわたし自身もしばしば自覚しますが、これについては動物としての生理の範囲内で起こっている現象で、恒常性を逸脱するものではないと思います。

ぴか さん『この世はSF』の意図されたところは、

「火を通したほうが食べやすく消化吸収が良い」
「火を通したほうがおいしく感じる」

 という論旨だったのですね。もうしわけありません。
 (『調理の起源』と『味の嗜好(※2)』について言及されたものだと思っていました。)
 誤読をお詫びし、あらためてしきり直しさせていただきます。

 ご指摘の『火を通しておいしくなる食べ物』は、もともと生物種としてのヒトが好む食べ物ではなかったのではないでしょうか。むしろこれは順序が逆で、これらの食物は火を手に入れたことで、はじめてヒトの好む食べ物の範疇に入ったのではないかというのがわたしの考えです。

 ヒトは体内でビタミンCを作ることができない事実は、果実食だった過去を示唆しているのではないかという説があります。肉や穀物や野菜はともかく、果物を『生で』食べられないというひとはあまり聞いたことがないですね。この事実は、果物はヒトにとって古くからの食料だったことを裏付けているような気がします。

これは議論の本筋から外れますが、『味付け』概念の古さについてです。

 幸島のサル(海水でイモを洗う個体群)を考慮すると、『味つけ』という行動は、火を使う行動に先んじるものだったのではないかという気がします。『味付け』を『調理』の一種と考えるのなら、ヒトにとって『調理』という概念は火を手に入れる前からあったのではないでしょうか。この概念さえ持っていれば、火を扱う技術を手に入れたときに、『調理』にこれを使うことを発想するのはごく自然なことのように思うのです。
 この意味で『味付け』と『火を使った調理』というものは決して無関係のものではないのではないかということがわたしの考えなのですが、いかがでしょうか。

 『自分の好みの食物を探索する』というところから『食物のほうを自分の好みに合わせる』という概念的ブレイクスルーが成し遂げられたからこそ、52億もの人間がこの地球上に生きていられるのでしょうね。

秋月ご夫妻のホームページが更新されていました。

 短編『正義の名に於いて』がいいですね。切れ味のいい短編で、オチもすてきでした。

 これは別件ですが、秋月ご夫妻さま、『シェントゥーエン物語 第二章-5』がデッドリンクになっています。と、ここで書いても、読まれていない可能性が高いですね。(^^; 後日メールを書くことにします。

琴鳴さんのエッセイがおもしろいです。7月に入ってから更新頻度が高くなっています。日記の布石でしょうか。

【注釈】
※1 ハーメルンの笛吹き
 ネズミは24~25キロヘルツの超音波を出すそうです。汎用機(コンピュータ)の電源部から出る超音波の周波数がこれに近いそうで、これがネズミを呼ぶ原因になって、事故が発生しやすいという話を耳にしたことがあります。
 笛の音でネズミをよびあつめた『ハーメルンの笛吹き』の伝説は、案外事実にもとづいたものなのかもしれません。

※2 動物の嗜好
 以前の日記でも言及しましたが、動物は食べるものに保守的で、慣れた味に親しむ傾向があります。ヒトの味覚には(多くの哺乳類、おそらく鳥類にも)『感受期』というものがあって、これによって味の基準を形成するといわれています。つまり、ヒトの嗜好の変化はほとんど一代にして起こったのではないかと思われます。



[目次]
『巨大分子と味覚刺激』
1998年7月22日執筆

今日付けで、黒猫さんのホームページへのリンクを追加しました。

 当秘密結社から使者としてクマ獣人をさしむけたところ、ご許可頂けましたので早速リンクページの更新をかけました。
 黒猫さん、いっぱいなでてくださってありがとうございます。m(__)m
 粗相はしませんでしたでしょうか。

ぴか さん日記より、『生物種が、火のないところでいかにして”火を通したものが好き”という嗜好を発達させうるか』という命題に関してですが、これについてはネコとサンマのパラドックスを引き合いにだしたいと思います。

 泥棒ネコが魚屋のサンマをくわえて走り去る情景は、日本の風物詩でありますし、わたしたちはそれにほとんど違和感を覚えません。しかし、これは奇妙なことです。かれらの生息環境はまったく重なっていないはずで、自然にであうことがほぼありえないはずなのに、ネコがサンマを嗜好するのはなぜでしょうか。

 これについての答えは、対象が自分たちが食べてきた食べ物から大きく逸脱しない味のものであれば、動物は食物に関しての可塑性を発揮できるということですね。
 これを先の命題に外挿すると、ヒトにとって『煮吹きした芋や米、麦』は従来食べてきた食物から逸脱するものではなかったということになります。では、これらの新食物は一体なにに近かったのかというと、わたしは『果物』ではなかったろうかと考えています。
 根拠は後段であらためて論述します。

一歩さん日記に対する回答ですが、釣り餌として『ふかしイモ』が使われるのは、においが拡散しやすく、検知しやすいからではないでしょうか。

 というわけで、今回は、『検知のしやすさ』についてお話することにします。
 味覚の特性に『小さな分子(イオン基)ほど検出しやすい』というものがあります。塩からい、酸っぱいという感覚は、それぞれナトリウムイオン基、水素イオン基に由来していたと記憶しています。
 これらに対して糖分の分子は大き目ですが、二糖類である麦芽糖(C12H22O11)の分子量は342にとどまっています。ブドウ糖の化学式が思い出せませんが、分子量はおよそこの半分で間違いありません。このあたりまでは十分に検出が可能なのですが、これがデンプン((C6H10O5)n)ともなると、分子量にして10万から15万と桁違いに大きくなります。
 味覚で検知できるレベルにするためには、分解して小さな分子にする必要がありますが、ここで問題になってくるのがデンプンは植物にとって貯蔵物であるという事実です。つまり、貯蔵に使うという要請上、常温の自然環境下において、物性として不安定であってはいけないわけですから、分解に手間がかかるのは当然です。逆に簡単に分解できてしまうようなものならば貯蔵の意味を成しません。果物とは違い、食べさせるために作っているものではないということですね。

 つまり、『おいしい』『おいしくない』という以前の問題で、分子が巨大すぎて刺激にならず、加熱前のデンプンでは唾液の酵素でも分解されにくいために(※1)、ほとんど『味がしない』のですね。固い消しゴムをかじっているのに近い状態であると思います。芋をナマで食べるよりは、自分の手の甲でもなめたほうが(塩が析出しているぶんだけ)よほど味がすると思います。

 いや、そもそも『ほとんど味がしない』ものである加熱前のβ-デンプンについて、『うまい』『うまくない』と論じることは言語定義上において矛盾があるような気がするのですが、いかがでしょうか。(^^;

ならば、なぜ加熱したデンプンは味がするのかということですが、これにはデンプンの構造について説明しなければなりません。

 デンプンは自然状態に存在する『β-デンプン』と、加熱調理した結果生じる『α-デンプン』に分類できます。デンプン分子が規則正しく配列されたミセルと呼ばれる部分をもつのが前者で、これを持たないのが後者です。

 ところが、加熱することによって前述のミセル構造が消失し、デンプンは唾液アミラーゼによって分解されやすくなります。デンプンは多糖類(※2)ですから、分解されるということは糖になるということです。味的にいって、わたしたちにとって馴染み深かった『果物』に近いものになるということですね。

【注釈】
※1 デンプンの甘味
 デンプンを繰り返しかんでいるうちに、甘みを感じるというのは、巨大な分子鎖がプチアリン(唾液アミラーゼ)によって分解され、麦芽糖に変化するためで、デンプンそのものの味を検知しているわけではありません。

※2 多糖類
 植物の組織を構成するセルロースも多糖類であるのですが、こればかりは煮ても焼いても分解できません。これを糖に変換できたら相当の栄養になりそうなのですが、植物のほうでそう簡単には分解できない仕掛けをしているようです。
 植物はともかく、動物でセルラーゼを持っているのはフナクイムシやカタツムリ、そして一部の線虫くらいのものです。



[目次]
『更新をさぼってしまった』
1998年7月23日執筆

昨日時間をとれなかったため、この日記は今日、24日にまとめて書いています。
 23日に当地を訪れてくださった読者のみなさん、申し訳ありません。

 当地で使用しているニフティのカウンターが2日間に渡って不具合を起こしていました。ニフティのホームページサービスは、トラブルが多いですね。
 画像を多く使ったコンテンツはニフティのサーバに振り分けているのですが、帰国したら別のプロバイダをさがそうかしら。

ぴか さん一歩さん、返事が遅れてごめんなさい。

 ぴか さん恒温動物の脂肪についての説ですが、説得力がありますね。『まだ暖かい肉=新鮮な肉』という結びつきによる学習強化も考えられるので、非常に説得力を感じます。

 調味に関しては、分野違いになってしまい、もはやわたしでは妥当な答えを出すことができません。これは文化人類学ということで、luna さんの分野でしょうか。
 それでもわたしの知っている事実をあえて外挿するなら、幸島に生息する海水でイモを洗うニホンザルの個体群の例ですね。これを考慮した場合、塩による調味に関してはかなり起源をさかのぼれそうです。保存技術が発達していない時代には防腐剤としての役割もあったことでしょう。
 しかし、塩以外の調味料といえば、ずっと歴史が新しくなるのかもしれません。主要な調味料が登場するのがここ2、3000年であることを考えると、この停滞は確かに不思議です。古代には、『調味』の概念自体が違うものだったのかもしれないですね。

 一歩さん論旨は、動物にとって普遍的に必要な炭水化物で、なおかつ消化吸収によいものが、『おいしく』感じるものだということでしょうか。味覚の特性上、分子が小さくなると、それだけ検出しやすくなり、『味がする』ようになるのは間違いないと思います。ただ、この論理では、炭水化物の中でもっとも『おいしい』のは、ブドウ糖などの単糖類でなければならないはずなのですが、事実を考えてみるに、必ずしもそうではないような気がするのですよね。(^^;
 不思議です。



[目次]
『ヒト・カエル起源説』
1998年7月24日執筆

ぴか さん『この世はSF』にならい、わたしも新説を発表してみることにしました。(来年のエイプリルフールまで待てなかったということもあります。)

今回は、みなさんに衝撃の発表をしなければなりません。

 なにを隠そう、ヒトはカエルから進化したのであります。『ヒトはサルから進化した』という旧来の学説は、地球征服を企むニャントロ星人かユ○ヤ人の陰謀だったのです。たぶん。
 以下に本説の根拠を示します。

(1)骨格の類似性
 ヒトは平泳ぎで泳ぐことができる。これは一見何でもないことに思えるが、そのように足を動かすためには、関節と腱の構造が、カエルのそれと相似している必要がある。哺乳類であるイヌやネコが平泳ぎで泳ぐ場面を想像できるだろうか。つまり、ヒトが平泳ぎで遊泳できるという事実は、ヒトはカエルから進化したことの物証足り得るのである。
 また、ヒトの四肢は不自然に長いが、カエルが直立すればそのままヒトのプロポーションとなることも、この説を補強する材料であると言えるであろう。
 これは有尾類ではあるが、『オオサンショウウオ』の化石が、かつて『ノアの洪水で犠牲になったヒト』の化石と同定されていた事実も補足しておく。

(2)発生過程にみる痕跡
 ヒトの発生過程において、その指のあいだに『水掻き』が形成されることは広く知られた事実である。これは発生の進行にともない、アポトーシスにより分解消滅するが、『個体発生は系統発生を繰り返す』という比較発生学上の法則を考慮した場合、この事実はヒトがカエルから派生したことを示唆するものではなかろうか。

(3)皮膚の特徴
 カエルは皮膚呼吸に多く依存している。その皮膚の構造は有羊膜類(爬虫類、哺乳類、鳥類)に比較して水分の遮蔽が完全ではない。ヒトがその皮膚に、イヌやネコにもない『体内の水分を排出する』汗腺を持つことは、カエル時代の痕跡であると見てよいのではなかろうか。ヒトの皮膚が一般的哺乳類のそれよりは、むしろカエルのそれに似通っていることは多くの人が直感していることでもあろう。

(4)民間伝承に垣間見えるミッシングリンクの影
 現生のカエルの前肢の指は4本、後肢の指は5本である。進化の過程において指の数が増えることはないから、おそらくヒトは前肢の指が5本のカエルから枝分れしたのであろう。カエルからヒトをつなぐ、いわば進化史上のミッシングリンクである。
 このような化石が発見されていないことは本説の弱点であり、まことに遺憾ではあるが、これは化石の記録が極度に断片的で、かつまた不完全なことに起因するものであると考えられる。この事に関しては、将来的にこのような化石が発見されるであろう可能性を述べるにとどめておく。
 しかしながら、わたしたちは民間伝承にかれらとおぼしき姿を見ることができる。
 『河童』がそれである。
 その動物学的特徴は、カエルからヒトへの進化における中間段階にある生き物であることを確信させるものがある。
 背中に甲羅を背負っているということから、河童のモデルはスッポンではないかという説もあるが、これは目撃者の単なる勘違いであろう。

じつはこのシリーズで、

『ヒトの祖先は扁形動物(プラナリアの仲間)であった』
『ヒトの祖先は頭足類(タコ、イカ、オウムガイ、アンモナイトなど)であった』
『ヒトの祖先は鰭脚類(アザラシ、アシカ、オットセイなど)であった』

 という説ももれなく用意しています。
 もちろん、こんなものを発表したら、学界からエンガチョされることはうけあいなので、よいこはまねをしないでくださいね。(その前に査読を通らないか。)



[目次]
『風邪をひいたかな』
1998年7月25日執筆

どうも風邪をひいてしまったようです。
 今朝から鼻水が止まらなくなり、今日の飛行訓練はハンカチ片手でおこなうことになってしまいました。もっとも、風邪をひいていようとも飛行能力にはなんら影響がないことを証明できたことは嬉しかったです。

誰あてのメッセージであると書かれていないので、わたしが答えてしまっていいものかという迷いもありますが――海野さん日記からの話題です。

 『なぜヒトは食べ物を焼くか』という命題について、『ヒトが食べ物を焼く理由は、焼くか、焼かないかの選択ができるからである』は妥当な答えだと思います。
 しかし、選択肢があるからといって選択される必然性はないわけです。(^^;

 つまり、問題になっていたのは『なぜヒトは食べ物を焼くか』ということではなく、『なぜヒトは焼いた食べ物を好むのか』『その嗜好が発達する必然性とはなにか』ぴか さん『この世はSF』参照)ということだったのですが、これについて海野さんはどういうご意見をお持ちでしょうか。

 海野さんの記事が、今回の議題とは全く関係のないエッセイでしたら、失礼をお詫びします。



[目次]
『ゴジラパペット入手』
1998年7月26日執筆

日本行きの飛行機の席を予約するため、街に出てきました。

 8月の第1~2週を希望していたのですが、この間はシンガポール・仙台間の予約が一杯とのことでした。よく考えてみると、この時期は日本はお盆なのですね。予約があいている便をたどっていった結果、必然的にニュージーランド出国は8月23日となりました。
 8月24日9時20分、シンガポール航空976便で仙台空港に降り立つ予定です。

 街に出たところ、どうも風邪が悪化してしまったので、ケンタッキーフライドチキンで食事をしたついでにゴジラパペット(※1)を買ってきました。なんか支離滅裂です。手にかぶせて遊ぶ操り人形です。中に電子式の音声発生装置が仕込まれていて、上顎に隠されたスイッチを押すと、

『しぎゃーきょえー』

 という感じで咆哮してくれます。
 こころがなごみます。すてきです。

ぴか さん日記からの話題です。
 『化石人類の系譜』や『遺伝子上の類似』については全然考えていませんでした。  『化石人類の系譜』について、とりあえず思いつく反論としては、『ビリヤード台に余裕を持って並べられる程の化石からなにがわかるのか』というものがありますね。化石人類の化石のほとんどは下顎だけ、大腿骨だけ、頭蓋骨の破片だけ、といった不完全なもので、全身の骨格が見つかることは希なことです。頭蓋骨の骨片の曲率から脳容積を推定したりということは、ごく普通に行われています。
 化石人類の信憑性に関しては、『ピルトダウン人』をひきあいに出すことにします。(これは有名な偽化石です。これは先史人類の化石として1912年に記載されましたが、現代人の頭骨と、オランウータンの下顎を組み合わせてつくったものであることが判明し、1953年に抹消されました。)

 『現在において、進化の系統を外面的な形態だけで論じるのは無理がある』ということについてですが、古生物学の世界では、『形態』つまり『解剖学的特徴』は分類上の重要な要素です。物理学系のかた、SF系のかたには『遺伝子愛好家』が多い傾向があるような気がしますが、遺伝子は万能というわけではないのですね。(^^;

 とはいえ、遺伝子上の類似については残念ながらお手上げですが、そこは持ち前の詭弁能力できりぬけることにします。上記の問題提起を無効にするためには、『遺伝子上の類似は必ずしも系統の近さとは関係しない』という命題を証明する必要があるということですね。

 それならば、ホメオボックスを例に引くことにします。
 ヒトにおいても、ショウジョウバエにおいても『Pax-6』と呼ばれる遺伝子群が『眼』の発生に関わっていることが知られています。この遺伝子を活性化させることでヒトの『眼』が発生したり、ショウジョウバエの『複眼』が発生したりするのですね。
 さて、これほどまでに系統的に離れた動物間に、共通の、しかも同様の働きをおこなう遺伝子構造が見られるというのは実に不合理であると思うのですが、これについて、ぴか さんはどう思われますか。
 つまり、これは『遺伝子上の類似は必ずしも系統の近さとは関係しない』ということを証明していることになるのではないでしょうか。

 ――あまり気合いを入れて反論すると、本気で『人類カエル起源説』を唱えていると誤解されかねないので、この件についてはこの辺でやめておきます。(^^;

一歩さん、このたびはわたしの『人類カエル起源説』(笑)にご賛同いただきまして、ありがとうございます。

 『人類カエル起源説』に有利な例証が続々と出てくることに、こころからの喜びを覚えています。
 『古代文明はカエルによって作られた』という説は素晴らしいです。かつて存在していたものなら、案外今でも生き残りがいるのかもしれません。

 さて、『遠野物語』には、確か『河童』が登場していましたが、それに加えて『マヨイガ』の記述があることは意味深長です。かれらは地下空洞都市に両生帝国を築き上げ、虎視耽々と地上を狙っているに違いありません。(笑)
 そして、ついにかれらは決起のときを迎えるのです。

 『われらは両生人類である。
  両生帝国のもとにひれ伏すがいい、愚劣、下等なる哺乳人類よ。』

 『あんたらのほうが下等じゃん。』

 『――ぬう。言ってはならぬことを。』

 以降、両生帝国と人類は全面戦争に突入するのでした。

【注釈】
※1 ゴジラ
 こちらでは『ガッジーラ』と発音します。アクセントは『ジ』に置くところがポイントです。



[目次]
『見たかったよう。』
1998年7月27日執筆

(わたしにとって)衝撃のニュースです。  NHKが、ポケモン騒動以前に制作されたアニメーション作品はいっさい再放映しないこと、そしてそれらのフイルムをすべて廃棄処分にすることを決定したそうです。

 (わたしにとって)なにがショックといえば、『恐竜惑星』『ジーンダイバー』がもう見られないということですね。 両作品ともに、金子隆一氏(※1)の監修による『現時点において世界でもっとも考証のしっかりした恐竜(古生物)もの』だったと聞きます。
 恥ずかしながらわたしは両作品とも未見だったのですが、一度も拝見できずに終わってしまいそうです。帰国したら見たいと思っていたのに。(;_;)
 話の経緯から考えるに、LD・ビデオ化も望みは薄そうですし、当分のあいだショックから立ち直れそうにありません。

『始祖鳥と仲間たち』『始祖鳥写真館』に、それぞれ記事を追加しました。WILGA多用途機については、『生きた化石探索記』であらためて解説する予定です。

【注釈】
※1 金子隆一
 おそらく、日本の恐竜ファンでこのかたの名前を知らない人はいないでしょう。
 恐竜・古生物関連において日本最高の科学ジャーナリストです。



[目次]
『ジーンダイバーを。』
1998年7月28日執筆

ぴか さん日記からの話題です。
 いやはや、『ウイルス進化論』で返されるとは予想していませんでした。(^^; なんともマニアックな、見事なご解答をいただきましたこと、ありがとうございます。

(以下、例によって詭弁モードです。以下の記述は科学的に正しくありません。)

 さて、御説によると、遺伝子群はウイルスによって運ばれるとのことですね。しかし、ウイルスごときに運ばれてしまうということは、遺伝子の配列とは進化の系統を探るうえでさして確実な材料ではないということになります。いいかえれば、近縁の生物でもウイルスの働きがあれば大きく遺伝子が変化するということでもありますね。
 つまり『遺伝子の類似した生物が必ずしも近縁であるわけではない』という結論がここから導き出されるわけで、これはやはり『人類カエル起源説』の例証足り得るのではないでしょうか。

(詭弁モード終了)

 これは真面目な話ですが、『ホメオボックス』は、ここ20年内で最大の発見のひとつであることは間違いないと思います。このあたりは発生学、進化や系統を論じるうえでもっとも目の離せないトピックですね。

一歩さん日記からの話題です。

 NHKの例の決定はほんとうにどうにかならないものでしょうか。再放送の中止はともかく、フイルムの廃棄処分はいただけないですねえ。対象とする媒体は違いますが、『華氏451度』を彷彿とさせます。

 もちろんフイルムを抹消しなければならない理由――例えば、すでにNHKのアニメによる光刺激性てんかんの被害者は発生しており(視聴率が低いので問題にならなかった)、フイルムの廃棄処分は、それが表沙汰にならないようにするための揉み消し工作か、あるいは証拠品として差し押さえられるのを未然に防ぐための措置である――というような事情があるわけではないと思うので、フイルムを廃棄処分にするのだけは思いとどまってほしいものです。
 この決定を受けて、民放もポケモン以前のアニメの再放送には慎重になるかもしれないですね。ポケモン前後を境界として、アニメーションの大量絶滅が発生しそうです。(^^;

 昨日の日記を書いたあとで『恐竜惑星』『ジーンダイバー』に関する情報を求めてネットサーフしたのですが、未見だったことをますます後悔するだけの結果に終わってしまいました。
 内容梗概(?)とタイトル一覧を見るだけでもエヴァンゲリオンの数百倍はおもしろそうです。(すごい偏見だぞ>わたし)

これも一歩さん日記からの話題です。

 なるほど、ハリウッド製のあれは『ゴジラ』ではなく『ゴヂラ』だったのですね。わたしとしたことがとんだ不注意でした。
 いやはや、ゴジラやウルトラマンは素人にはアンタッチャブルな領域ですから、迂闊なことは言えませんねえ。『ワシは耳付きのゴジラしか認めん。』とか言われてしまったときのことを考えると、おそろしくて夜も眠れません。
 その存在がうわさされている地下秘密結社『ゴジラ原理主義者同盟』からの刺客におびえながら日々を過ごす今日この頃です。



[目次]
『引越しです』
1998年7月29日執筆

いまの住居の賃貸契約が明日で切れるので、引越しの準備をしています。
 この金曜日にフライトチェックがあるので、それの対策もしなければなりません。
 もっと前から用意しておけば直前になってあわてなくても済むという考えもありますが、そんなこと考えている余裕があるというのはやっぱり余裕があるということなのでしょうか。

一歩さんキータームですが、そこはかとなく今西進化論をにおわせて格好良いです。今西進化論は、SF向きの理論なのかもしれないですね。

おそらく、今日の日記は開設以来の最短記録ですね。

 思えばあの日、わたしはいつものようにWWWを閲覧していたところ一歩さんの日記にであい――と過去を回想しているうちに最短記録でなくなってしまう、というドカベン真っ青のギャグをしかけようかと思ったのですが、常人の30%しか根性のないわたしにとっては長文を書くことは全く至難の技なのです。お疑いのかたもおおいでしょうが、かねがねわたしは――と書いているうちにいつのまにか文章量が増えていることに心ならずも気付かされます。しかしながらわたしは決して長い文章が嗜好するわけではなく、むしろ簡潔を持ってよしとする思想の持ち主であるのですが、こういう主張をおりまぜているうちにやはり文章が肥大化してしまうのです。とはいいながらこれは決してわたしの本意ではなく(もういいっちゅうの>始祖鳥)



[目次]
『フライトチェック前夜』
1998年7月30日執筆

とりあえず家財道具を車に押し込み、引越しをすませました。安宿でこの日記を書いています。とりあえず貴重品だけは手元に置いていますが、荷物の大部分は車に積んだままです。荷物とは増えるものですね。少ないと思っていた書籍だけで40kgはありそうです。

今日、着陸後にBAe146ジェット旅客機の後方を横切ったとき、突如『冬のにおい』を感じました。予期せぬ感覚に一瞬違和感をおぼえましたが、よく考えるとジェット燃料はケロシン(灯油)ですから、ジェット旅客機の排気が灯油ストーブのにおいなのは当然なのですね。

明日はいよいよフライトチェックなのですが、寒冷前線が来ています。

 最悪のタイミングなら暴風雨で中止、前線がうまく通過してくれても強風のなかの試験になりそうです。
 せめて中止だけにはならないことを祈っています。



[目次]
『合格しました』
1998年7月31日執筆

飛行機のフライトチェックに合格しました。
 今、パーティから帰ってきました。ビールの酔いもさめたところです。
 不思議なことに、数年越しの大望だったはずなのに、なぜか実感が湧きません。しばらくのあいだ、果てしなく青い空を見上げてただただ呆然としていました。合格を告げられた瞬間から、こころの中で誰かが『やったぞ、やったぞ』というようなことを叫びつづけているような気がするのですが、意識上の自分自身は、その声をどこか遠くできいているような、そんな気持ちです。
 かといって平静かというと、明らかにちがうのですよね。
 力石徹の『――終わった――なにもかも』という心境とも、真っ白に燃え尽きた矢吹丈ともちがう感覚です。
 不思議な気分です。

合格から2時間後、空港の駐機場でのこと、ヘリコプター(ロビンソンR22)が飛んできてわたしの30m手前でホバリングし、直下に着陸しました。『なぜヘリコプターがこんなところに着陸するのだ』ととてつもない不条理感に襲われましたが、よくみるとパイロットは見覚えのある顔で、Vサインを送ってきました。呆然としながらも反射的にVサインを返したところ、パイロットはにっこり笑って、そのまま上昇し、反対方向に飛び去りました。あとで聞いたところによると、わたしの合格の知らせを聞き、お祝いにかけつけてくれたのだそうです。――ヘリで。(^^;
(幾度となく顔をあわせているのに、いまだにかれの名前を覚えられません。ガーデンシティヘリコプターのパイロットさん、ごめんなさい。)

 それから、ファンテール(2月17日の日記参照)がわたしの目の前30cmのところで、繰り返し尾羽をひろげてみせてくれました。ファンテールをこれほど近くで見たのははじめてでした。嬉しかったです。

ぴか さん日記からの話題です。

 その道を極めるという意味では、研究者には本業も副業もないような気がします。
 宇宙科学や遺伝子工学、核融合や超伝導といった巨大予算の領域になると話は別ですが、相対的にアマチュアが強い分野というのはあるような気がします。
 アマチュアの鳥類学者や古生物学者の活躍は言うにおよばず、観察がものをいう動物行動学や博物学の分野もそうですね。天文学の分野はよく分かりませんが、彗星の発見などで精力的なアマチュアが成果を出すことも少なくないように思えるのです。
 『科学の心』を持ったかたは貴重です。物事を探究するのにプロもアマチュアもないはずなので、それを志した時点でひとは研究者足り得るのではないでしょうか。ぴか さんの視点でしかとらえ得ない切り口は必ずあるはずなので、自分自身を棚上げしての勝手なお願いですが、できることなら、ぴか さん自身の『テーマ』を追い続けてほしいです。

 仕事上の問題ですが、うまく解決するといいですね。

この8月5日で、1億5000万30歳の誕生日を迎えることになりました。
 荒飲矢のごとし。(^^;


最新の日記

過去の日記(タイトル一覧)

始祖鳥生息地へ