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先日、デジタルカメラを買った。CASIO製のQV-10Aという機種である。 わたしは、写真の世界をあまり良く知らない。持っている機材も、CANONのFTbという往年のFDマウントのカメラだけで、それも日本に置きっぱなしである。持っているレンズは35mmと、28mmの広角レンズだけにすぎない。望遠レンズ付きの全自動一眼レフは、機会があればとは思っているが、残念ながら使った経験がない。 もっとも、8mmビデオカメラは良く使う。標準でズームが使えるうえに、被写体(大抵の場合、鳥や動物である)を見失った場合はズームをひいて探し、その間記録を続けながら、ふたたびアタリを付けることができる。3時間からのテープを入れっぱなしにしておくこともできるうえに、鳴き声も動きも記録できるし、大きさも全自動一眼レフに比べてそう変わらない。そういうことから静止画を撮る「カメラ」というものに、特に必要性を感じていたわけではなかった。そんなわたしがデジタルカメラを買ったのは、メモ代わりに使えると思ったのからだ。 飛行訓練においてもボードに書かれたフライトインフォメーションなどを手書きせずにすむし、図書館などでISBNコードや図版をひかえる程度のことはもちろん、うまくすれば文章そのものをデジタルデータとして取り込むことができないだろうか。ここは英語圏なので文字種は少なく、それだけにOCRソフト(文字の書かれた画像を文章に変換するソフトウェア)の性能も相対的に優れている。ゆえに、目当てのページに向けてシャッターボタンを押し、いくつかの操作をするだけでパソコンのなかにテキストデータができあがっている、つまりもう手で英文をタイプする必要はないと、わたしは夢想していたのだった。 しかしである。 察しのよい読者諸氏にはお気づきになられたかも知れないが、本機種QV-10Aは画素がそれほどには緻密ではなかった。 本のページ全体が写るように、距離をおいてシャッターを切ってしまうと、そこになにが書いてあるのかさっぱり読めないのだ。文字を文字として読めるレベルで写すには、ある程度被写体である本にに近づかなければならなかったのだが、そうするとページが一部分しかうつらない。結局、何枚かに分けざるを得ないので、それほど便利とはいえないことに気が付いたのだ。 メモの道具としてはそれなりに便利なので買ったことを後悔はしていないが、カメラと名が付く以上、それ相応を要求してしまうのも、また人情。その週末、にわかデジタルカメラマンとなったわたしは、野鳥を撮るべくクライストチャーチのハグレー公園に乗り出したのだ。 ところが、この道具は動いている生き物を撮るには向かないことを、早々に思い知らされたのだった。シャッターを切ってからのメモリーへの転送時間が数秒かかるため連写が事実上不可能であること、背面に貼り付けられた液晶は残像を引くために、自分がどこを狙っているのかわからなくなってしまうことなどが問題だった。なるほど、これは動かないものを撮るための道具なのだろう。 わたしは被写体を小鳥からカモに切り替えた。このカメラのレンズは広角であるため、大きく写すためにはぎりぎりまで近づく必要があったからである。確かに、ニュージーランドの鳥はおおむねおおらかで、ひとをあまり恐れない。しかし、怪しげな物体(カメラ)を手に、50cmの距離まで近づいてくる人間をみて黙ってそこにたたずんでいるほどのお人好しは、この界隈ではカモくらいのものだ。まさしくいいカモである。あまりにも撮りやすい被写体は、撮っていてはりあいがない。 エイボン川の岸辺に腰を下ろすと、ボート用の桟橋の埠頭に、2羽のウがカモメに混じり、その翼を干しているのが見えた。 「かれらを撮ってみたい」と思ったが、距離が遠すぎた。近寄ろうにも、ウの仲間は警戒心が強く、ヒトの接近にひどく神経質である。おそらく写距離を確保する前に逃げてしまうだろう。まず無理だ。途方に暮れ、首からさげているペンタックスの双眼鏡を見やったとき、ある考えが電光のようにひらめいた。 その結果が下の写真である。 左と中はLittle Shag(Kawaupaka:Phalacrocorax melanoleucos)の成鳥、そして右はその若鳥である。 |
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